このブログの目的であった母の死が来た。自分がそれに動揺したり、影響されたりすることが予想されたため、不安を和らげるためにこのブログを始めたのだが、恐れていたより影響は受けなかった。二日病院に泊まり、家族葬とはいえ調べたり探したりすることは多く、疲れて見えたらしく、看護師の方や葬儀社の方にはとても気を使っていただいた。まるでごくまともな娘に見えたのだろうけれど内心は全く違うことを考えていた。いじめられっ子が何かの間違いで自分をいじめた人間の死に目と葬儀に立ち会ったときに近いと思う。母が子供をいびっていたことなどはた目にはわからなかったように、私が母の死をむしろ喜んでいることなど知りようもないことなのだから。
結論から言えば私は母の死を悲しめなかった。大して苦しまずに済んだことに関しては、正直つまらないとさえ思った。もっと苦しめば私にも少しは同情心というものが湧いたかもしれないのにと思う。湯灌のときは足元に座ってしまい、幼児の頃に折檻されたときと位置関係が同じになってしまい、過去に飛んでしまった。その頃の母の写真もみたが、私の髪を掴んで台所まで引きずり、床下収納に蹴り落として蓋をし、その上に立って怒鳴り散らしていた人間と同じ人間とは思えなかった。般若顏で撮らせるわけはないけれど。
父と母の遺影が並んで置かれている祭壇に向かって思ったことは、
私のせいにするな、あなた方夫婦の問題だ
私のせいにするな、全部お返しする、私は関わらない!
だった。
子供だった私はバカだった。親に言われたことをそのまま受け取った。親の顔色をみて動くことを強いながら、顔色をみていると顔色をうかがうなと怒鳴りつけ、満足などしないくせに、自分が欲しいものを代わりに子供にとらせた挙句、自分の手に入らないと子供を攻撃してくる親でも、幸せになってほしいと努力をした。結局のところ親の嘘や欺瞞を見抜けなかった私が悪いのだ。もちろんこういう考え方がよろしくないことはわかるのだが、親にその自覚がない場合、問題を回避する責任は私だけに負わされる。
親を含めた他人に騙されたり、背中から撃たれたくないのなら、自分がそのように利用されやすい人間でいることを辞めるしかない。これからは他人を攻撃するようになるのだろうと思う。親はおそらく親にだけは反抗するなというつもりだったのだろうけれど、そんなに都合良くはいかない。誰にも反抗できなくなる人間も多いと思う。私はそのタイプであり、反動で攻撃的な人間になるのだろうと予想している。そしてそれを嫌だと思っていない、おそらく私の本質には十分な量の攻撃性があって、ただ使われていなかっただけなのだと思う。うまく使いたいと思うのだが、加減がわからず過剰に攻撃してしまうであろうこともまた、私にとっては楽しみなことでもある。
その死を悲しめる母の元に生まれてきた人を、羨ましいと思う。私にはその気持ちがわからなかった。そしてそれがどれほど悲しいことなのかも理解することはないのだと思う。