私には父もいる。祖父の息子として。今月始めに転倒骨折し、認知症が進み、リハビリ不可のため特養入所となった。繋がりが薄いためか、認識してもらえないとしても大差ない。私には父はいないも同然なのだ。もちろん経済的に家庭を維持したのは父なのだが、精神面での父はいなかった。純然たるATMとでも言えばいいのか。揶揄としてでなく、機能がもともとないので要求することも出来なかった。夫をATMと言う妻たちは、それ以外の機能を果たせるのに果たしていないこと、ATMではないにもかかわらずATMになっていることが許せないのだと思う。ATM機能だけしかない人には何も言うことは出来ない。ギャンブル依存したり、誰かを虐待したり、何らかの人間の行動があったら内面を推し量ることもできるのだが、私には父は魂がここにない人間のように思えていた。あまりにも辛すぎるので肉体から魂が離れてしまってそのまま戻ってこなかったような。わたしが幼い頃はそれでもまだ近くにいたように感じたのだが、祖父から守ってくれることも母から守ってくれることもなかった父は、父親とは思えなかった。今でも生物学的には父だったが社会学的には父になれなかった人だと思っている。そしてそれが腹立たしいと思えない、気の毒な人だとしか思えない私は、娘ではないのだ。父である人間もいなければ娘である人間もいないのだ。役割として不在であった。私は誰かの娘であることを諦める以外になかったし、諦めてよかったのだと思っている。父を求めても得られないままさすらう人になりたくなかった。何を訴えても返事の帰ってこない父は「ただのしかばねのようだ」った。
父親の象徴とされるサンタクロース、そのプレゼントが届く日にこんな投稿をしてしまった。父からもらえなかったものを恋人からもらおうとして得られず、やたら高額化していったような感のあるクリスマスという名のイベントなのだが、心の慰めにはならない。近くの教会へ寄り道でもしようかと思う。とても静かだから。無宗教の人間にとって慰めってどう得たらいいのかわからないが、私には慰めが必要なんだと思う。
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