裕福な母と、自分の皮膚に言葉を彫る長女、亡くなった妹、13歳の異父妹、被害者を含む女性たちの見せかけている姿とより本質に近い姿が描かれる。
少女連続殺人事件をきっかけに、新聞記者となった長女が帰郷し、生まれ育ったアメリカ中西部の小さな街を取材対象とするところから物語は始まる。現在の連続殺人の取材をしていく過程で、過去の妹の死は代理ミュンヒハウゼン症候群の母による殺人である事を知る。生家に滞在する主人公は、今も自分と異父妹が母に薬物を与えられていることに気付く。娘に毒物を与える母に殺されることを選ぶのか、それとも母を諦めるのか?が推理そのものよりも私にとっては面白かった。
長女のカミルは自傷行為を13歳で始めている。証明として、考えや言葉を皮膚に刻んで捉えるため。自分の記憶に信頼がおけない場合、傷痕に記憶の肩代わりをしてもらうことは理解できるのだが、カミルに刻まれた言葉は現在起こっていることにも反応する。皮膚感覚が常に過覚醒しているのは苦しかろうと思うのだが、それなしではもっと苦しいのだろう。そのままでは取り扱えない苦しみを引き受けなくてはならない場合は何らかの緩衝材を入れなくてはならないが、緩衝材ですらかなりの苦しみをもたらすのだ。
カミルとその母は相互理解が全くない。世間から見たらカミルの母は正しいように見え、カミルが自傷行為をする異常な人間だが、より異常なのはカミルの母の方だ。カミルから見たその母は、私から見た母に似ている。自分の母親は異常だと思ってしまった娘がどのように感じるかが自分の身にも覚えがあることとして書かれている。13歳の異父妹は、
異常なことをしたがる相手にそれをさせてあげれば、相手の頭をもっとおかしくすることになるとカミルに言うのだが、これは母に強力に支配されている娘の言葉だ。そこから逃げることもできない間はその状態に耐えるしかない。いつか逃げることを支えに生きるしかないのだが、カミルの妹はその前に死んだ。カミルは異父妹を連れて逃げることができるのか?母に愛されるためなら自分の命を差し出すのか?
悪いことがこれから起こるとわかっているのに何もできない
現代のアメリカが舞台であるため、都会から来ていた捜査官にカミルの母は早い段階で容疑者として疑われていて、カミルは助かり、薬物検査で母親の逮捕のための証拠となるのだが、社会の側が変化していると考えていいのだろうか?閉塞感の強い町の住人のなかにもカミルの母の異常性に気付いている人がいて、カミルは「真実に気付くと孤立無援」といった最悪の事態にはならない。いいのかなぁ?と思ってしまうくらい希望が持てるのだが、読書中はどちらかというと不快なのだ。読後感が不快と思う方もかなりいると思うが、毒母持ちの娘の多くはこの小説が書かれたことに救いとか希望を持つのではないかと思う。
母は絶対だと言う考えがこの小説のなかでは当然のように崩れてしまっているのは嬉しいことだ。そしてそんな母に育てられて、娘はどこまでも歪むということが当然のように描かれている。正しさは誰にもない、誰にも正しさが負わされないことがこの内臓がむき出しの様な感のある小説に、不思議な清涼感を与えているのではないかと思う。きっと読む人が誰かによってこの小説は推理小説であったりなかったりするのだと思う。誰かのレビューを読んでみたいので、密林で探してみようと思っている。
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