父の葬儀は仏式で行った。熱心な仏教徒ではなかったのだが、父の兄弟全員先に逝き、皆仏式で、一択だった。現在お寺関連で問題が発生してはいるのだが、決定権が私には無いので、成り行きに任せる。万が一この先私に決定権が来たときには容赦無く決定させていただくが。
父の人工骨は、簡単ではあるが弔おうと思う。ネット検索はとても便利で、寺院、葬儀社の方のブログや仏具屋さんのサイトをみて回った。Wikipediaは情報が多くてかつ商業目的ではないのでとても参考になった。
花、お香、灯明はどの宗教にも共通する率の高いものだし、三仏具として最小のお弔い用品らしい。本尊が無いので仏壇とは言えないし、使っている道具も仏具ではなく、日常使いを使っている。私自身が無宗教であっても、なんらかの形がある方が気持ちが落ち着くのだ。儀式が定型なのはそのためだと思う。同じ手順で同じ動作を繰り返すことは作業療法的なことなのだろう、不思議と気持ちが落ち着く。
私が用意したのは「魂棚」とでも呼ぶようなものだと思う。私が死ぬときはこの人工骨は行き場所がなくなるが、時期をみて土に埋めようと思う。私の棺桶に入れてもらってもまた燃え残って、骨壷に入れられません…になるのだろうから。
私は自分の死後、遺体をどう扱うかを決めておかなくてはならない。そしてそれを周りに通しておかなくてはならない。その場の思いつきだけで、ああだこうだ言うだけなら周りが迷惑するだけだ。きちんと根回しをし、予約をし、プロを雇っておかなくてはならない。自分が死亡していてできないのだから、他人に依頼するしか無いのだ。
日本の場合は医師の死亡診断書が火葬のために必要なので、家で死んだ場合検死が必要になる。家まで来てくれる医師がいれば良いが、誰かに運んでもらい、その後また葬儀のため家に戻るか葬儀場へ、それから火葬場へ行って、お骨にして埋葬するのが大筋だが、かなりの負担になる。できれば病院で死亡し、診断書を書いてもらい24時間待つ間に斎場でお別れ会して火葬、お骨をお別れ会に来てくれた誰かに拾ってもらって私の指定した場所に埋葬、がどうやら最もシンプルな方法だ。
できれば気に入った公営斎場がある自治体を終の住処にしたいと思っている。これまでいろんな土地に住んで、物価や女性が一人で暮らせる安全性、公共サービスの利用しやすさ、公共交通機関の充実度などに注目していたが、公営斎場と埋葬地も調べて選ぶ必要がある。自宅葬の風習が強い土地や、寺の墓地しかないところには、不安で住むことができなくなるだろう。流れ者が他所の土地で死ぬことになるのだから、しっかりするしかないのだ。迷惑をかけることのできる誰かを探し出して、迷惑をかけてもかけられても構わない自分になって、自分の死にたい様に死ぬことができるようになりたいと思っている。
母は余命宣告を受けても変わらないままでした。自分の人生の責任を転嫁したまま、死から逃げることはできないのに、逃げたまま一生を終わるつもりのようです。変わらない母は放っておいて、自分のインナーマザーをなんとかしようと思います。
2015年1月20日火曜日
2015年1月19日月曜日
呪い返しは突然に
母が父の死を悲しんでいないように私には見えると書いたが、他者に対する情がない人なのではないかと思う。無自覚に人を呪う言葉を吐いているのかもしれないが、呪いは呪いだ。
心理学の実験で、女性であることや人種について言及した後、例えば女性は数学的な能力が劣るとか東洋人は数学の能力が高いとかの話をした後に、数学の問題を解かせると正答率が有意に変化するという報告がある。女性で東洋人の被験者は正答率が前者では下がり、後者では上がった。同じ人物が同じ難度の問題を解いたのに、だ。私の母はこれを知らないのに、活用していた。母は、私が気に入らないことを言うとネガティブな予言をする、そして失敗しないようにと叱りつける。まだ失敗していないにもかかわらずだ。失敗するという言葉を聞いた私は、失敗する私を頭の中に浮かべてしまい、より失敗しやすくなるのだ。
車を運転する予定があって、出かける直前に、あんたは事故を起こすから、注意しなさい!と断定的に強い口調で言われた。直前に葬儀のことで、口論をし、母の意見を真っ向から否定したのだ。体裁など気にするべきではないという母に、自分が体裁屋なくせに何を言っているんだ、大げさでなくても葬儀はしなければならないことだ、喪主になる人間のことを考えてものを言え、と。母は本気で自分は体裁など気にしない人間であると思い込んでいるのだろう。仕返しとして呪いの言葉を吐き、失敗すると暗示をかけ、失敗をしたら責めて優位に立つのが母のやり方だが、今回は私の反応が違っていた。
そうやって事故を起こせばいいんだ!と人を呪うようなマネはやめてよ!
呪いを呪いだと宣言し、速攻で打ち返したのは生まれて初めてだった。巧妙に、心配をする母、という体裁をとっているので今まで呪われるがままだったが、気をつけて行っておいで、と相手の無事を祈る人ならば言うはずだということが本当に理解出来たのだろう、なんて縁起の悪いことを言うんだ、私に悪いことが起こらないようにという意味ではなく、失敗しろ‼︎と願っているんだ…この人は。そして自分ではそれを自覚しないようにしているんだ…とすぐにわかったのだ。
呪い返しは倍返しになるのだろう。トイレでゲェゲェ言っていたが、実際には吐いていない音だったので、無視して予定通り車で出かけた。帰ってきたら本当に吐けなかったらしく、胃に転移したんだ、と言っていた。もちろん今さらどこに転移しても大差ないよ、と励ましてあげた。自分が体裁屋であること、人を呪うことを指摘され、呪いが返ってきて動揺したのだろう。それを自覚することからも逃げ、転移があるから吐きそうになったのだと自分を誤魔化しているのが、やっぱり学ばない人なのだとその徹底ぶりにはある意味感心した。
父の忌中であるし、仏壇に手を合わせ、仏飯を供えたりすると邪魔をしてくる。まるでそんなことはしなくていいから、自分の方に気を使えと言いたいかのように父の悪口を言う。悪口をやめて欲しければ、自分を優先しろと脅されているような気持ちになる。
これが五十年以上連れ添った夫婦の成れの果て。でもそれも終わったのだ、と試しにポジティブに考えてみている。自分の現住所のある市へ戻ったときには気持ちが緩んだのか、歩きながら泣いていた。背中のリュックには斎場でいただいた人工骨頭があるのだ。人工物はお骨とはみなせないとのことで、私が持ち帰った。父が旅先で購入した、お経の書いてある扇子も一緒に。
妻が生前と変わらず自分を悪く言っている家にいても代わり映えというものが無いのではないかとも思う。人工骨頭であってもしばらく父の一部であったものは私と移動していくのだ。どこに辿り着くのかわからないけれど、ともに流転しようと思っている。
心理学の実験で、女性であることや人種について言及した後、例えば女性は数学的な能力が劣るとか東洋人は数学の能力が高いとかの話をした後に、数学の問題を解かせると正答率が有意に変化するという報告がある。女性で東洋人の被験者は正答率が前者では下がり、後者では上がった。同じ人物が同じ難度の問題を解いたのに、だ。私の母はこれを知らないのに、活用していた。母は、私が気に入らないことを言うとネガティブな予言をする、そして失敗しないようにと叱りつける。まだ失敗していないにもかかわらずだ。失敗するという言葉を聞いた私は、失敗する私を頭の中に浮かべてしまい、より失敗しやすくなるのだ。
車を運転する予定があって、出かける直前に、あんたは事故を起こすから、注意しなさい!と断定的に強い口調で言われた。直前に葬儀のことで、口論をし、母の意見を真っ向から否定したのだ。体裁など気にするべきではないという母に、自分が体裁屋なくせに何を言っているんだ、大げさでなくても葬儀はしなければならないことだ、喪主になる人間のことを考えてものを言え、と。母は本気で自分は体裁など気にしない人間であると思い込んでいるのだろう。仕返しとして呪いの言葉を吐き、失敗すると暗示をかけ、失敗をしたら責めて優位に立つのが母のやり方だが、今回は私の反応が違っていた。
そうやって事故を起こせばいいんだ!と人を呪うようなマネはやめてよ!
呪いを呪いだと宣言し、速攻で打ち返したのは生まれて初めてだった。巧妙に、心配をする母、という体裁をとっているので今まで呪われるがままだったが、気をつけて行っておいで、と相手の無事を祈る人ならば言うはずだということが本当に理解出来たのだろう、なんて縁起の悪いことを言うんだ、私に悪いことが起こらないようにという意味ではなく、失敗しろ‼︎と願っているんだ…この人は。そして自分ではそれを自覚しないようにしているんだ…とすぐにわかったのだ。
呪い返しは倍返しになるのだろう。トイレでゲェゲェ言っていたが、実際には吐いていない音だったので、無視して予定通り車で出かけた。帰ってきたら本当に吐けなかったらしく、胃に転移したんだ、と言っていた。もちろん今さらどこに転移しても大差ないよ、と励ましてあげた。自分が体裁屋であること、人を呪うことを指摘され、呪いが返ってきて動揺したのだろう。それを自覚することからも逃げ、転移があるから吐きそうになったのだと自分を誤魔化しているのが、やっぱり学ばない人なのだとその徹底ぶりにはある意味感心した。
父の忌中であるし、仏壇に手を合わせ、仏飯を供えたりすると邪魔をしてくる。まるでそんなことはしなくていいから、自分の方に気を使えと言いたいかのように父の悪口を言う。悪口をやめて欲しければ、自分を優先しろと脅されているような気持ちになる。
これが五十年以上連れ添った夫婦の成れの果て。でもそれも終わったのだ、と試しにポジティブに考えてみている。自分の現住所のある市へ戻ったときには気持ちが緩んだのか、歩きながら泣いていた。背中のリュックには斎場でいただいた人工骨頭があるのだ。人工物はお骨とはみなせないとのことで、私が持ち帰った。父が旅先で購入した、お経の書いてある扇子も一緒に。
妻が生前と変わらず自分を悪く言っている家にいても代わり映えというものが無いのではないかとも思う。人工骨頭であってもしばらく父の一部であったものは私と移動していくのだ。どこに辿り着くのかわからないけれど、ともに流転しようと思っている。
2015年1月12日月曜日
悲しむのは後だ
父が死んだ。その後でこうして投稿している私も大概だと思う。悲しんでいないわけではないのだが、要介護の母の方に私が、父に兄がついたためかとも思う。父の傍にいたら、悲しむこともできるのだが、悲しんでいない母、自分のことしか考えていない母といると悲しんでいる余裕はない。母の死に対応するためのブログだったが、父が先に死に、母が残っている以上、母が死ぬまでは油断できない。
兄と交代して父につくまでは父の死について考えている場合ではない。死に対して私はあまり深く考えてはいないが、ある種の変化だと思っている。死ぬまでは死がどういう物なのか本当にはわからないが、肉体だけが生者たちに残されているのではないかと思う。魂と肉体の別れが死ならば、魂が好きなところへ去っていけるよう願うのみだ。父が自由になっているのなら、私も自由になってもいいような気がするのだ。
兄と交代して父につくまでは父の死について考えている場合ではない。死に対して私はあまり深く考えてはいないが、ある種の変化だと思っている。死ぬまでは死がどういう物なのか本当にはわからないが、肉体だけが生者たちに残されているのではないかと思う。魂と肉体の別れが死ならば、魂が好きなところへ去っていけるよう願うのみだ。父が自由になっているのなら、私も自由になってもいいような気がするのだ。
2015年1月10日土曜日
私を忘れた人に会う
父について年末に投稿したが、また書くことになった。今週くも膜下出血と脳内出血を起こして入院、今は死を待っている。認識もほぼできないということで、ただ死んでいないだけなのだ。
それでも今日はまだ話が出来たような気がする。目が開いていて、私をみているような気がしたので聞いてみた。
私のことを忘れた?と。
父は私を見ながら、うん、と言って頷いた。
心から笑った。父と思っていないし、娘だと思っていない。今会った人だ。また私を忘れるから、また会いに行ける。会ったらがっかりさせることもすることもない、見知らぬ誰かになったのだ。はっきりしない言葉でも、わだかまりなく言いたいことを言う父はとても接しやすい。父と話して楽しかったことなど幼児のとき以来だと思う。
お兄さんと、妹と弟にもうすぐ会えるよ、と言うと
本当?と驚いた顔で聞き返してきた。
子供だった頃のことは深く記憶に刻まれていて、呼び起こすことができるのだろうか。率直な会話ができることはとても嬉しい。父にとって大切なものが何か私は知らないが、父のことを大切に思っていた誰かのことを思い出していてほしいと思う。
父だった人は、私を祖父から守らなかった。目の前で祖父に嫌なことをされている小学生の私、助けてほしいと父を見た私から目をそらした。自分の娘より自分の父が大切だったのだ。父から守ってもらえなかった娘の私などゴミ同然だと思っていた。そのことを二十年後にようやく酷いじゃないかと言った私に、そんなことは覚えていない、知らないと父は言った。娘であったから助けることもせず、その上それを忘れても逃げられないと思っていたのだろう。でも今は自分に娘がいたことを忘れてしまった。ようやく私は自由になったのだ。
お父さんを許すよ、と誰にも聞いてもらえない言葉を父だった人の前で言ってみた。なんだか悲しいんだけれど可笑しかった。
それでも今日はまだ話が出来たような気がする。目が開いていて、私をみているような気がしたので聞いてみた。
私のことを忘れた?と。
父は私を見ながら、うん、と言って頷いた。
心から笑った。父と思っていないし、娘だと思っていない。今会った人だ。また私を忘れるから、また会いに行ける。会ったらがっかりさせることもすることもない、見知らぬ誰かになったのだ。はっきりしない言葉でも、わだかまりなく言いたいことを言う父はとても接しやすい。父と話して楽しかったことなど幼児のとき以来だと思う。
お兄さんと、妹と弟にもうすぐ会えるよ、と言うと
本当?と驚いた顔で聞き返してきた。
子供だった頃のことは深く記憶に刻まれていて、呼び起こすことができるのだろうか。率直な会話ができることはとても嬉しい。父にとって大切なものが何か私は知らないが、父のことを大切に思っていた誰かのことを思い出していてほしいと思う。
父だった人は、私を祖父から守らなかった。目の前で祖父に嫌なことをされている小学生の私、助けてほしいと父を見た私から目をそらした。自分の娘より自分の父が大切だったのだ。父から守ってもらえなかった娘の私などゴミ同然だと思っていた。そのことを二十年後にようやく酷いじゃないかと言った私に、そんなことは覚えていない、知らないと父は言った。娘であったから助けることもせず、その上それを忘れても逃げられないと思っていたのだろう。でも今は自分に娘がいたことを忘れてしまった。ようやく私は自由になったのだ。
お父さんを許すよ、と誰にも聞いてもらえない言葉を父だった人の前で言ってみた。なんだか悲しいんだけれど可笑しかった。
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