父について年末に投稿したが、また書くことになった。今週くも膜下出血と脳内出血を起こして入院、今は死を待っている。認識もほぼできないということで、ただ死んでいないだけなのだ。
それでも今日はまだ話が出来たような気がする。目が開いていて、私をみているような気がしたので聞いてみた。
私のことを忘れた?と。
父は私を見ながら、うん、と言って頷いた。
心から笑った。父と思っていないし、娘だと思っていない。今会った人だ。また私を忘れるから、また会いに行ける。会ったらがっかりさせることもすることもない、見知らぬ誰かになったのだ。はっきりしない言葉でも、わだかまりなく言いたいことを言う父はとても接しやすい。父と話して楽しかったことなど幼児のとき以来だと思う。
お兄さんと、妹と弟にもうすぐ会えるよ、と言うと
本当?と驚いた顔で聞き返してきた。
子供だった頃のことは深く記憶に刻まれていて、呼び起こすことができるのだろうか。率直な会話ができることはとても嬉しい。父にとって大切なものが何か私は知らないが、父のことを大切に思っていた誰かのことを思い出していてほしいと思う。
父だった人は、私を祖父から守らなかった。目の前で祖父に嫌なことをされている小学生の私、助けてほしいと父を見た私から目をそらした。自分の娘より自分の父が大切だったのだ。父から守ってもらえなかった娘の私などゴミ同然だと思っていた。そのことを二十年後にようやく酷いじゃないかと言った私に、そんなことは覚えていない、知らないと父は言った。娘であったから助けることもせず、その上それを忘れても逃げられないと思っていたのだろう。でも今は自分に娘がいたことを忘れてしまった。ようやく私は自由になったのだ。
お父さんを許すよ、と誰にも聞いてもらえない言葉を父だった人の前で言ってみた。なんだか悲しいんだけれど可笑しかった。
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