2015年1月20日火曜日

無事に死ねるように生きる

父の葬儀は仏式で行った。熱心な仏教徒ではなかったのだが、父の兄弟全員先に逝き、皆仏式で、一択だった。現在お寺関連で問題が発生してはいるのだが、決定権が私には無いので、成り行きに任せる。万が一この先私に決定権が来たときには容赦無く決定させていただくが。

父の人工骨は、簡単ではあるが弔おうと思う。ネット検索はとても便利で、寺院、葬儀社の方のブログや仏具屋さんのサイトをみて回った。Wikipediaは情報が多くてかつ商業目的ではないのでとても参考になった。

花、お香、灯明はどの宗教にも共通する率の高いものだし、三仏具として最小のお弔い用品らしい。本尊が無いので仏壇とは言えないし、使っている道具も仏具ではなく、日常使いを使っている。私自身が無宗教であっても、なんらかの形がある方が気持ちが落ち着くのだ。儀式が定型なのはそのためだと思う。同じ手順で同じ動作を繰り返すことは作業療法的なことなのだろう、不思議と気持ちが落ち着く。

私が用意したのは「魂棚」とでも呼ぶようなものだと思う。私が死ぬときはこの人工骨は行き場所がなくなるが、時期をみて土に埋めようと思う。私の棺桶に入れてもらってもまた燃え残って、骨壷に入れられません…になるのだろうから。

私は自分の死後、遺体をどう扱うかを決めておかなくてはならない。そしてそれを周りに通しておかなくてはならない。その場の思いつきだけで、ああだこうだ言うだけなら周りが迷惑するだけだ。きちんと根回しをし、予約をし、プロを雇っておかなくてはならない。自分が死亡していてできないのだから、他人に依頼するしか無いのだ。

日本の場合は医師の死亡診断書が火葬のために必要なので、家で死んだ場合検死が必要になる。家まで来てくれる医師がいれば良いが、誰かに運んでもらい、その後また葬儀のため家に戻るか葬儀場へ、それから火葬場へ行って、お骨にして埋葬するのが大筋だが、かなりの負担になる。できれば病院で死亡し、診断書を書いてもらい24時間待つ間に斎場でお別れ会して火葬、お骨をお別れ会に来てくれた誰かに拾ってもらって私の指定した場所に埋葬、がどうやら最もシンプルな方法だ。

できれば気に入った公営斎場がある自治体を終の住処にしたいと思っている。これまでいろんな土地に住んで、物価や女性が一人で暮らせる安全性、公共サービスの利用しやすさ、公共交通機関の充実度などに注目していたが、公営斎場と埋葬地も調べて選ぶ必要がある。自宅葬の風習が強い土地や、寺の墓地しかないところには、不安で住むことができなくなるだろう。流れ者が他所の土地で死ぬことになるのだから、しっかりするしかないのだ。迷惑をかけることのできる誰かを探し出して、迷惑をかけてもかけられても構わない自分になって、自分の死にたい様に死ぬことができるようになりたいと思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿

アイメッセージのみ可。ユーメッセージ不要。言いっぱなし、聴きっぱなしのコメント欄です。返米御容赦!夜露疾駆