2015年1月12日月曜日

悲しむのは後だ

父が死んだ。その後でこうして投稿している私も大概だと思う。悲しんでいないわけではないのだが、要介護の母の方に私が、父に兄がついたためかとも思う。父の傍にいたら、悲しむこともできるのだが、悲しんでいない母、自分のことしか考えていない母といると悲しんでいる余裕はない。母の死に対応するためのブログだったが、父が先に死に、母が残っている以上、母が死ぬまでは油断できない。

兄と交代して父につくまでは父の死について考えている場合ではない。死に対して私はあまり深く考えてはいないが、ある種の変化だと思っている。死ぬまでは死がどういう物なのか本当にはわからないが、肉体だけが生者たちに残されているのではないかと思う。魂と肉体の別れが死ならば、魂が好きなところへ去っていけるよう願うのみだ。父が自由になっているのなら、私も自由になってもいいような気がするのだ。

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