母が父の死を悲しんでいないように私には見えると書いたが、他者に対する情がない人なのではないかと思う。無自覚に人を呪う言葉を吐いているのかもしれないが、呪いは呪いだ。
心理学の実験で、女性であることや人種について言及した後、例えば女性は数学的な能力が劣るとか東洋人は数学の能力が高いとかの話をした後に、数学の問題を解かせると正答率が有意に変化するという報告がある。女性で東洋人の被験者は正答率が前者では下がり、後者では上がった。同じ人物が同じ難度の問題を解いたのに、だ。私の母はこれを知らないのに、活用していた。母は、私が気に入らないことを言うとネガティブな予言をする、そして失敗しないようにと叱りつける。まだ失敗していないにもかかわらずだ。失敗するという言葉を聞いた私は、失敗する私を頭の中に浮かべてしまい、より失敗しやすくなるのだ。
車を運転する予定があって、出かける直前に、あんたは事故を起こすから、注意しなさい!と断定的に強い口調で言われた。直前に葬儀のことで、口論をし、母の意見を真っ向から否定したのだ。体裁など気にするべきではないという母に、自分が体裁屋なくせに何を言っているんだ、大げさでなくても葬儀はしなければならないことだ、喪主になる人間のことを考えてものを言え、と。母は本気で自分は体裁など気にしない人間であると思い込んでいるのだろう。仕返しとして呪いの言葉を吐き、失敗すると暗示をかけ、失敗をしたら責めて優位に立つのが母のやり方だが、今回は私の反応が違っていた。
そうやって事故を起こせばいいんだ!と人を呪うようなマネはやめてよ!
呪いを呪いだと宣言し、速攻で打ち返したのは生まれて初めてだった。巧妙に、心配をする母、という体裁をとっているので今まで呪われるがままだったが、気をつけて行っておいで、と相手の無事を祈る人ならば言うはずだということが本当に理解出来たのだろう、なんて縁起の悪いことを言うんだ、私に悪いことが起こらないようにという意味ではなく、失敗しろ‼︎と願っているんだ…この人は。そして自分ではそれを自覚しないようにしているんだ…とすぐにわかったのだ。
呪い返しは倍返しになるのだろう。トイレでゲェゲェ言っていたが、実際には吐いていない音だったので、無視して予定通り車で出かけた。帰ってきたら本当に吐けなかったらしく、胃に転移したんだ、と言っていた。もちろん今さらどこに転移しても大差ないよ、と励ましてあげた。自分が体裁屋であること、人を呪うことを指摘され、呪いが返ってきて動揺したのだろう。それを自覚することからも逃げ、転移があるから吐きそうになったのだと自分を誤魔化しているのが、やっぱり学ばない人なのだとその徹底ぶりにはある意味感心した。
父の忌中であるし、仏壇に手を合わせ、仏飯を供えたりすると邪魔をしてくる。まるでそんなことはしなくていいから、自分の方に気を使えと言いたいかのように父の悪口を言う。悪口をやめて欲しければ、自分を優先しろと脅されているような気持ちになる。
これが五十年以上連れ添った夫婦の成れの果て。でもそれも終わったのだ、と試しにポジティブに考えてみている。自分の現住所のある市へ戻ったときには気持ちが緩んだのか、歩きながら泣いていた。背中のリュックには斎場でいただいた人工骨頭があるのだ。人工物はお骨とはみなせないとのことで、私が持ち帰った。父が旅先で購入した、お経の書いてある扇子も一緒に。
妻が生前と変わらず自分を悪く言っている家にいても代わり映えというものが無いのではないかとも思う。人工骨頭であってもしばらく父の一部であったものは私と移動していくのだ。どこに辿り着くのかわからないけれど、ともに流転しようと思っている。
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