2014年10月6日月曜日

対人関係について

私ひとりでは私はいない。他人が私が存在しているかのような振る舞いをするから、私が存在しているのだと思う。

妙なことを考えていると思われるかもしれないが、自分がいることに確信が持てなかったことがある。誰かに話しかけられて初めて、あぁこの人には私が存在して見えるのだ、私はいるのだ…と思ったのだ。多分だいぶおかしかったと思う。

自分を労わるようになってしばらくしたら、気分が変化したようだ。自分がいるのは自明のことまではいかないが、自己ケアをする対象として以前より存在感があるように思う。まだどこかおかしい気もするが。


対人関係が薄い私ではあるが、その対人関係に私の存在がかかっているのだから、意味はあると思っている。対人関係を続けるように言ってくれた人は、私の存在がかかっているからという理由で助言したのだろうか。最初の対人関係は親とのそれであるが、残念ながら障害を受けるような類のものだった。それをなんとか他の対人関係で乗り越えようとしても、同じ傷をえぐられ、対人関係から引いてしまうのだ。


回復次第努力はするが、かなり嫌気がさしている。繰り返す度に嫌気も増加し、回復に時間がかかっていると思う。そしてようやく良くなったのにまた悪くなるリスクを負って対人関係を持つことがおそらく嫌なのだ。根本的なところで私は十代の頃と変わっていない。自信が持ちたくて努力しても自信が持てない、むしろ自信を失う。

正直休みたい。なぜこんなに疲れてしまったのか。誰からも存在していない状態となって休みたい。死んでしまいたいと思っているように聞こえるらしいのだが、休んで回復できるのではないかと思うから休んでみようと思うのだ、たぶん。死にはしないから、死にたくないから休みたい。

台風接近による気圧の変化により不調なのかもしれない。自分の体が冷えていくように感じる。温かい物を口にしてもいっときだけ。食べた後は消化器に血液が行ってしまい、かえって体が冷たくなってしまう。まだ10月なのに震えるほど寒い。

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