2014年11月23日日曜日

小さなことに左右されない「本当の自信」を手に入れるための9つのステップ,水島広子

私に欠けている自信について良く知ろうと、攻撃の本でかなり参考になった著者の、自信についての本を読む。持っていないもののことを知らないのは当然だが、初めて知ったことが、やってみようと思えることが書いてあった。

自信には二種類ある。Beの自信とDoの自信、それぞれの持ち方は
Doの自信:何かをすることにより成果を上げ、それによって評価を上げる。
Beの自信:今の自分に集中でき、否認することなく現実を受け入れる。言葉にならない肯定感や安心感、自分を愛おしく思う気持ち。
本当の自信とはBeの自信であり、何をしていようと自分について良い感じ方をすること、居心地良く自分と一緒にいられることである。

全く知らなかった。Beの自信が無い私は、自分と居心地良く一緒にいたことがない。責められる恐怖が襲ってきて生きた心地がしない状態とでも言えば良いのか。自信のなさと間違いやすいものは三つ
不安:不安があっても自信は感じられる、別のもの
衝撃:衝撃への反応が過ぎるまで待って決断をする、一時的なもの
喪失感:悲しみのプロセスが自信のなさと似ているもの
完全に間違えていました。自信のなさによると思っていたし、自信のなさにつながりました…誤解だったようです。 もちろんこれで自信を失いそうになるのですが、
今はこれでよい
自分の限界を受け入れる
ここからレッスンを始めましょう!と励ましてもらえる。自信を感じるためのレッスンとして9項目、自信を失わせる相手に振り回されないための5項目、自信をつけるための行動術として4項目あり、それぞれに丁寧な説明があり、無理のない実行可能なものと思わせてくれる。よくある自己啓発本はDoの自信を持つためのものだが、Beの自信が基礎であり、その上にしかDoの自信は載せられない。私の場合はBeの自信が無いので、必死にDoの自信を積み上げようと努力したが、Beの自信はおろかDoの自信さえ手に入らなかったのだ。この本を読んだ今は当然のことだと思えるが、努力しても自信が持てないのは本当に惨めだった。

この本は親子問題を取り扱ってはいないが、最後に少し記述があり、母が私にBeの自信を持たせないようにしたことが分かった。母は「自信のない人」で母の評価に過ぎないものを真実として私に押しつけ、母の不安をプレッシャーとして私に押しつけたのだ。ありのままの子供としての私を拒否したのだ。

Beの自信を持てなければ、必死になってDoの自信を持とうとする。母の見栄のためにはBeの自信を持たせないようにして、Doの自信を持つための努力を果てし無く続けさせる方が好都合だったのだ。母は、私の意見はおかしい、聞かされて迷惑だし、そんなことを言う子を育てるのは嫌だ、と私を脅した。その結果、
本当の私を知られたら嫌われる
自分の意見に自信がなく、言いたいことが言えない
自分の気持ちを他人に伝えられず、つい我慢してしまう
というBeの自信がない人間になった。インナーマザーとして取り込んでしまった後は、自分でも理由がわからないまま、苦しくて止めたいのに止められなかった。この本に書かれていることはとても小さなことの積み重ねで、継続していかなくてはならない。でもやりたいと思っている。Doの自信を得るための努力はやればやるほど悪循環に陥るが、Beの自信を得るための努力は正の循環をしていると思う。少しづつだがプラスが戻ってきていると思う。落ち着いて、焦らずに続けて行きたい。

ブログを少し変えてみる

気分が少し改善して、ブログを真っ黒から変更する。ローズピンクを追加。やっぱり黒いけれど。

中身も少しずつ変更していきたい。母の死よりも、自分のインナーマザー、インナーペアレントをなんとかした方が良さそうだ。現実の母ではなく、私の頭の中にいて、侵入し、支配し、批判してくる私自身のことだ。現実の私の行動は、世間様に恥ずかしくないようにと言うインナーマザーには全く従っていない。なのでひたすら批判されているのだ。そしてこの批判は負担なのだ。何くそ、とか黙ってろ!で自分の意思で選択をしてきたつもりだが、しつこく批判されるのにも流石に疲れてきた。この辺でお別れしたい。現実の母ともインナーマザーとも。

他人の生き様も死に様も私には変えられない。それと同じで、母の死に様は私には関係のないことなのだ。死を前にして変わる人もいるのかもしれないが、母は、生きてきた様にしか死ねないだろう。私は自分の頭の中のインナーマザーをなんとかすることに取り組めばいいのだ。現実の母に取り組んでもインナーマザーは変わらない。そんなことはなかったと逃げられただけだった。あの人のもとに娘として生まれてしまった以上諦めるしかない。自分で自分の母親に、それなりに良い母親になるしかないのだ。支配や侵入、批判とは無縁の自信を持った母親に。おそらく自信のない母親程、支配や侵入、批判をするのだろう。自信を持てないのは何の成果も持たない母だから、ある意味当然だったが、それを私を使ってごまかし、逃げたことが母の人生だったのだと思う。自分の問題、責任から逃げる人生。自分の問題に向き合わず、長い人生を逃げて終わらせることはどんな気持ちだろうか。世間体だけを、自分の思い込みに過ぎない世間体というものだけを取り繕って終わらせるのだろう。私はそんな人生は送りたくはないけれど。母は自分の人生を私の人生を使って肯定しようと思っていたのだろうけれどそうはいかない。それは許さない。私に埋め込んだインナーマザーはもうお払い箱なのだ。母の怨念をお祓いする。

言葉を使って、このブログを使って。

2014年11月22日土曜日

騙されていたこと、これからは騙されたくないこと

私は親に騙されていたと思う。親は騙したつもりはないだろう、私を使役することは当然の権利だと思っていたのだろうし、自分たちの不幸を埋め合わせるために育てたのだから、それに従わない私の方が悪いことになる。そんな親に対して、何かしてあげようという気持ちになれない人間なのだ、私は。冗談じゃない、ピント外れの恩着せで騙された私の怒りのやり場は?ずっとその怒りを自分から隠してきた。それで周りの人に迷惑もかけた。怒りを親にきちんと返せていたら、周りに迷惑をかけずに済んだのにと思う。私を騙さずにいてくれた人も、親のように私を騙した人も、どちらとも安定した対人関係を築けなかった。対人関係を維持するということに関してはものすごく中途半端だと思う。対人関係療法は私にはできない。ないからだ。

私に今あるのは怒りだ、長年積み重なった怒りだ。努力しているにもかかわらず馬鹿にされ、努力を認めてもらっても自信が持てない自分の不甲斐なさに対する怒り。相手の気持ちを優先し自分の気持ちは無視しろと要求され、誰かに助けを求めたいのに、どうやって求めたらいいのかわからない。誰かに理解され、信頼され、安心して迷惑をかけたり、かけられたりしたいのに、結局私は一人で居る。

騙されながら誰かといるよりは一人で居る方がマシと思ってきたが、なぜこの二つの選択肢しか私は持てないのだろう。誰かと信頼し合うとか、安心して誰かといるとかができないからこの二つしか選択肢が持てないのだろう。
私は変わりたい。相手に優しくしたり、思いやったりするのはやめようと思う。それで舐められて、馬鹿にしてもいい人間だと思われてしまうのだ。私が優しさとか思いやりとか思っているものは多分別の何かだと思う。相手をつけあがらせるだけの何か良くないものなのだ。攻撃しないだけで十分ではないか、立ち入ってこないだけで十分まともだと思う。対人距離とか自他境界がきちんとあるのが安心できる対人関係だと思う。

私には全然自信がない。何かをする自信がなくて、一人でいたい、誰とも会いたくないし、話したくないと思っている。もう嫌だと心底思っている。自分がどう思っているのかよくよく自分に聞いてみるとろくな答えが返ってこない。何とかしたいのに、怒りや嫌気でいっぱいになっている。自分がどんな人間か、どう感じているかを無視して、やらなくてはならないことを強要してきた結果がこれなのだ。もう消えてしまいたい。自分に何かができるとは思えなくなってしまった。

気分が不安定で、ネガティブな方向へ来たと思う。少し休んで、自分のために何かしてそれからまた考えようと思う。私の中には私を責め、苦しめることを専らにする誰かが生息しているらしい。そいつに死んで欲しい。

2014年11月20日木曜日

生活の質/QOL

quality of life,QOLとは一人一人の人生の内容の質や社会的に見た生活の質のこと。
どれだけ人間らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているかということを尺度とする。

社会的地位が高いことも、経済的な優位も幸福を見出せないかぎりはQOLを上げることはなく、生活水準とは別の尺度である。医療面で侵襲的な治療を受けるか否か、終末医療をどう選択するか、など限られた状況でしかお目にかからないが、人生の質は、年齢や状況に関係なく常に考慮していいと思う。

さて、私のQOLはとても低いと思う。ありのままの私は拒否され、母の評価にすぎないものを押し付けられ、母の不安はプレッシャーとして私に押し付けられた。結果として私は、自分を知られたら嫌われると思い、自分の意見に自信がなく言いたいことが言えず、自分の気持ちを他人に伝えられずに我慢してしまうようになった。著しくQOLの低い人生を送ってきたと思う。母は一時的にせよ、それでQOLを上げていたのだろう。これは私が止めるように言って止めさせられるものではなく、母の死によってしか止むことはないのだと思う。私が母の死を望むのは、私のQOLを下げようとしないで欲しいからだ。私のQOLを下げてまで母に生きていて欲しいとは思っていないのだ。死ぬまで私に対して批評家の立場を取り続け、ダメ出しをし続けて、自分のQOLを高くするつもりだということは分かった。このことに関して私にできることはもう何もない、諦めることにする。

私は何の意味も無いのだ。母親にとって好都合なサンドバッグで、人間として見ることはなかったのだ。だから私は他人からもダメ出しをされるサンドバッグになったのだ。

自分がなぜこうなったかを知ることは、常に救いだと思う。母親にとってサンドバッグだった私は、私自身にとっては何か。もちろん人間である。自信がなく、QOLの低い人生を送っているが、人間だと思う。自分のことをゴミだ、ムシケラだと思い、そこから這い上がろうとしているものは人間だと思う。もう疲れてしまって這い上がる気力も尽きてしまったように思うが、私は人間なのだ。

母が死に、私の人生の始めからQOLを落とし続けてきた人間が去って行く。私のQOLと引き換えに母のQOLを上げることは母の死をもって止むのだ。

母の死を現実のものとして考えるようになって、自分のQOLを上げるための試行を再び始めようという気力が湧いてきたと思う。これで私のQOLを上げられなかったら、再度何が理由なのか探り、再々試行しなくてはならなくなるが、おそらく大丈夫だという謎の確信めいたものがある。

私の「母親」はもう死んだ。法的に母の立場にある人間が生きていようが死んでいようが、私をどう使おうが、もう私には無意味になってしまった。母の立場にいた人間を私なりに愛したつもりだったが、それは過去のことであって、今はもう諦めてしまったのだ。大切だったが、今はもういらない。なくても生きていける私になろうと思う。いらないものを抱えて生きていくのは、意外と重荷で、辛いものなのだから。QOLが下がってしまうことはしたくない。手放して生きて行きたいと思うのだ。

2014年11月12日水曜日

祖父が負わされたもの

このブログは母のことを書いているブログだが、祖父について書いてみようと思う。

祖父は明治生まれ。七人兄弟の長男として生まれ、両親ではなく祖父母のところで育てられている。すぐ下の妹も、生まれると祖父母の元に移された。その二人以外は両親の元で育てられた。戸籍上祖父母だが、長兄が末弟を養子にしていたので伯父夫婦に育てられたことになる。この枠組みだけであれば旧戸籍法ではありふれたことである。
私から見て高祖父(実際は曾祖伯父)は芸者を身請けして妻にしたが子はなく、養子にした末弟から子供を男女一人づつ取り上げて六歳頃まで育て、ポイ捨てしたのであろうと思っている。かなりのクソ野郎である。曾祖父は戻ってきた長男長女がおかしくなって、他の兄弟とうまくいかないにもかかわらず何ら手を打たなかった。それだけではない、アルコール依存となり五十代になって間もなく肝硬変で死亡した。無責任カス野郎である。この二人はあろうことか医者であった。DQNなのに。いくら未開の時代の呪術レベルの医療であっても酷い。仁術と言われていた頃に仁のカケラもない。他人に対する親愛の情、優しさが仁だそうだが、ふざけてんのか?と思う。曾祖父は、傷害事件も起こしている。米の目方を石を入れてごまかそうとした小作人の腕を切り落とし、それを金を渡して店を持たせて済ませ、自分は当時開拓中だった北海道で二年程医者をしてからまた戻っている。その神経が理解できない。

このクソカス兄弟の元に生まれた祖父は決して幸せではなかったと思う。六歳までを伯父の元で過ごしたことは致命的だった。同じくそこで育った妹と二人、頭がおかしいと言われるような状態だったのだから。祖父の末弟は幼いうちに病死しているのだが、唯一この弟だけは祖父は好きだったらしく、医者でありながら助けられなかったことを理由に伯父と父の二人を憎んでいた。このこと以外で二人について語ることは一切なかった。

進学のため家を出た祖父は、医学部に入ると言って実は文学部にいた。株で金を稼いでいたらしいのだが、結局は医学部に行っていないこと、大金を手にしていることがバレ、連れ戻されている。そこから祖父は復讐モードに入ってしまい、弟たちを全員追い出し、曾祖父が病死して家長となったのち家を破産させた。あまりにも早く復讐が終わってしまったため、祖父はここで目的を見失ったと思う。もしも一生かかるような難題であったなら祖父にとってまだマシだったのだろうが、何せクソカス兄弟が土台を蝕んでいたものだから、あっけなく崩壊してしまった。

その後の祖父は自分は病気だと言ってろくに働かず、自分の息子達、私の伯父と父を働かせていた。ついでに競馬にハマりキャンブル依存となった。ちなみに祖母も曾祖母も非常に短命で、末子を産むと感染症で死亡している。残された夫たちは迷走人生を歩む。父方の家はいずれは崩壊したと思うのだが、祖父がそこから脱出できなかったことがあまりにも哀れだ。壊すことは自由になることと違う。壊したのに、その家から自由になれなかった祖父は絶望したと思う。周りは取り合わなかったが、祖父は確かに病気だったと思う。精神療法を受けなくては、自分が幼い頃どのように育てられたのかを語らなくてはならなかったと思う。小説家になりたかった祖父は、自分の物語を語ることが全くできなかった。小説家になることを諦め、自分の物語を語らずに人生を終わらせてしまった。祖父の物語を聞いてあげたかったが、語ることも、書くこともせずに祖父は去った。祖父は症状で語ってはいたのだが、私は幼過ぎ、恐怖が強すぎて理解できず、通常の記憶もできなかった。

祖父は私や兄の持ち物で暴力をふるっていた。兄のブリキのおもちゃで父を殴って流血させ、私の子供椅子で母を殴り倒した。私と兄は同じことをされていたのを何十年もお互いに知らなかった。祖父が見た光景とおそらく同じなのだろう。同じことを祖父の妹もされていて、お互いに知らなかったのだろう。私はずっと母親を自分の座る椅子で殴るという画像にとりつかれていた。意識の上では思い出せなかった三歳未満の記憶を、どう話し合っても決裂して母を椅子で殴って終わるという強迫的な観念のなかに保持していた。子供用椅子が大嫌いで、それに座る幼い姪を見た時の恐怖と怒り、暴力への衝動。理由がわからなかったが、自分が何を見たのか知らされたのち、椅子で殴るイメージも子供用椅子に対する恐怖も消えていた。

祖父も祖父の妹も一人っきりで、自分の物、自分に所属する物で誰かに暴力が加えられるのを見せられたのだろう。自分の物であるがゆえに自分が加担していること、自分の責任であることを非言語的に宣告されたのだ。言葉を使わない、反論も拒否もできない無理矢理の加担と責任の押しつけ。犯行の目撃と同時の有罪宣告。凶器を振り下ろしたのはその持ち主ではなかったというのに。

幼い祖父に仕掛けられた時限爆弾は自爆テロのように祖父とその家を破壊した。そして祖父は幼い孫たちに同じ時限爆弾を仕掛けた。最初に誰が仕掛けたのか知らないけれど、世代を超えて時限爆弾は繰り返し仕掛けられ、仕掛けられた人間とその周りの人間を破壊し続けた。語られることが解除になるから言葉を持たない幼児に仕掛けられてきたのだと思う。精神科医の指示に従って行動している間に副次的に得られたことだが、これが祖父にも起こっていたらと思う。父方の家に対するどんな恨みがあって幼い子供に時限爆弾を仕掛けたのか知らないが、効果は絶大だったと思う。父方の家はもう存在していない。怖ろしい家だと子供心に恐怖していたので無くなってくれて内心ホッとしていたのだが、もう少し手加減して欲しかったよ、爆弾犯殿。

2014年11月5日水曜日

支配されちゃう私

支配されちゃう人々,大嶋信頼 をタイトルの"ちゃう"に目が吸い寄せられ、読む。ミラーニューロンについては、興味があったので大元になる文献は読んでいたので、そこまで言う?と疑問に思うのだが、なんちゃって科学ということで気にしないことにする。むしろユングの集合無意識については、分かりやすくていいなと思った。ラカンにしろユングにしろ門外漢にはとても難解で、現代語訳とか、超訳などはとてもありがたい。分かりやすくするために犠牲になっている部分もあるのだろうけれど。
親の愛は絶対だ、無いというのは子が悪い!という前提である社会や他人
私の親が私に与えたものは絶対に愛ではない!という私自身の感覚
この二つのズレがどうしようもなく苦しかったのだと思う。親の愛が絶対なら、私にこのままずっと支配されていろと言うのか⁉︎という怒りと驚愕だ。
ずっと支配されていろ、でも他人や社会には愛されている、自由にさせてもらったと言え!と親に強要されてきた。誰が食わせてやっている、住まわせてやっているんだ、誰のおかげで生きているんだ!犠牲になっていりゃいいんだ、お前が我慢すればいいんだ!と、親からも他人からも言われ続け、逃げ続けてきた。その結果私の居場所はどこにもなかった。親の家は最も支配される場所で、支配され、心を喰われる場所だった。

常に移動し続ける草食獣のように、他の人たちのなかに隠れながら、一つ所にとどまらないように、悪目立ちしないように生きていた。人の心を喰う人外たちも混じる集団のなかではそもそも無理なことなのだが、数が多いことだけが救いだった。両親の家では喰われるしかなかったから、たまに逃げられるだけマシだった。これをマシと言ってしまう私は自尊心が全くなかったと思う。

支配しようとする人間は惨めで醜悪な人間だ。私のことを、優しい人間だ、優しくしてくれ、我慢してくれ、と泣き落としにかかったり、私の拒否に対して怒って見せたりと三文芝居を繰り広げる。それはそれは醜悪である。本物の芝居を見たことのある人間にそんなものは通用しない。ただひたすら大根役者め…と思うだけだ。決められたセリフを言わない、筋書き通りに動かない私に対して心底吃驚した顔、傷ついた顔をする。その顔は、思い出しただけで笑えるくらいの無様な顔だ。鏡見てご覧?と鏡を差し出してやりたくなる。唾棄すべきものに対しては、唾棄してあげるのが正しい対応なのだろう。それをかわいそうに思って不問に付するのはむしろ不親切なのだろう。「ザマァ」と言ってあげている人たちはむしろ親切だと思う。鏡になってどう見えるかはっきり教えているのだから、曇りない鏡だと思う。歪んだ鏡となり、相手の妄想通りの支配者様を映してきたのが支配されちゃう私だ。

支配されちゃう人間であることを辞めるのは難しいことだが、自己催眠療法とカウンセリングを地道に続けることでいいらしい。方向性に間違いはない、ということはとても安心できる。何処まで回復できるのかは私にとっては高望みだと思う。必死にやっていることが根本から間違ってさえいなければ、大した成果が得られなくても、おそらく納得だけはできるだろう。私はこれまで、納得していないことのために努力してきて後悔してきたのだ。誰が泣こうが喚こうが自分が納得したこと以外はしない。決して。