自信には二種類ある。Beの自信とDoの自信、それぞれの持ち方は
Doの自信:何かをすることにより成果を上げ、それによって評価を上げる。本当の自信とはBeの自信であり、何をしていようと自分について良い感じ方をすること、居心地良く自分と一緒にいられることである。
Beの自信:今の自分に集中でき、否認することなく現実を受け入れる。言葉にならない肯定感や安心感、自分を愛おしく思う気持ち。
全く知らなかった。Beの自信が無い私は、自分と居心地良く一緒にいたことがない。責められる恐怖が襲ってきて生きた心地がしない状態とでも言えば良いのか。自信のなさと間違いやすいものは三つ
不安:不安があっても自信は感じられる、別のもの完全に間違えていました。自信のなさによると思っていたし、自信のなさにつながりました…誤解だったようです。 もちろんこれで自信を失いそうになるのですが、
衝撃:衝撃への反応が過ぎるまで待って決断をする、一時的なもの
喪失感:悲しみのプロセスが自信のなさと似ているもの
今はこれでよいここからレッスンを始めましょう!と励ましてもらえる。自信を感じるためのレッスンとして9項目、自信を失わせる相手に振り回されないための5項目、自信をつけるための行動術として4項目あり、それぞれに丁寧な説明があり、無理のない実行可能なものと思わせてくれる。よくある自己啓発本はDoの自信を持つためのものだが、Beの自信が基礎であり、その上にしかDoの自信は載せられない。私の場合はBeの自信が無いので、必死にDoの自信を積み上げようと努力したが、Beの自信はおろかDoの自信さえ手に入らなかったのだ。この本を読んだ今は当然のことだと思えるが、努力しても自信が持てないのは本当に惨めだった。
自分の限界を受け入れる
この本は親子問題を取り扱ってはいないが、最後に少し記述があり、母が私にBeの自信を持たせないようにしたことが分かった。母は「自信のない人」で母の評価に過ぎないものを真実として私に押しつけ、母の不安をプレッシャーとして私に押しつけたのだ。ありのままの子供としての私を拒否したのだ。
Beの自信を持てなければ、必死になってDoの自信を持とうとする。母の見栄のためにはBeの自信を持たせないようにして、Doの自信を持つための努力を果てし無く続けさせる方が好都合だったのだ。母は、私の意見はおかしい、聞かされて迷惑だし、そんなことを言う子を育てるのは嫌だ、と私を脅した。その結果、
本当の私を知られたら嫌われるというBeの自信がない人間になった。インナーマザーとして取り込んでしまった後は、自分でも理由がわからないまま、苦しくて止めたいのに止められなかった。この本に書かれていることはとても小さなことの積み重ねで、継続していかなくてはならない。でもやりたいと思っている。Doの自信を得るための努力はやればやるほど悪循環に陥るが、Beの自信を得るための努力は正の循環をしていると思う。少しづつだがプラスが戻ってきていると思う。落ち着いて、焦らずに続けて行きたい。
自分の意見に自信がなく、言いたいことが言えない
自分の気持ちを他人に伝えられず、つい我慢してしまう
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