2014年11月12日水曜日

祖父が負わされたもの

このブログは母のことを書いているブログだが、祖父について書いてみようと思う。

祖父は明治生まれ。七人兄弟の長男として生まれ、両親ではなく祖父母のところで育てられている。すぐ下の妹も、生まれると祖父母の元に移された。その二人以外は両親の元で育てられた。戸籍上祖父母だが、長兄が末弟を養子にしていたので伯父夫婦に育てられたことになる。この枠組みだけであれば旧戸籍法ではありふれたことである。
私から見て高祖父(実際は曾祖伯父)は芸者を身請けして妻にしたが子はなく、養子にした末弟から子供を男女一人づつ取り上げて六歳頃まで育て、ポイ捨てしたのであろうと思っている。かなりのクソ野郎である。曾祖父は戻ってきた長男長女がおかしくなって、他の兄弟とうまくいかないにもかかわらず何ら手を打たなかった。それだけではない、アルコール依存となり五十代になって間もなく肝硬変で死亡した。無責任カス野郎である。この二人はあろうことか医者であった。DQNなのに。いくら未開の時代の呪術レベルの医療であっても酷い。仁術と言われていた頃に仁のカケラもない。他人に対する親愛の情、優しさが仁だそうだが、ふざけてんのか?と思う。曾祖父は、傷害事件も起こしている。米の目方を石を入れてごまかそうとした小作人の腕を切り落とし、それを金を渡して店を持たせて済ませ、自分は当時開拓中だった北海道で二年程医者をしてからまた戻っている。その神経が理解できない。

このクソカス兄弟の元に生まれた祖父は決して幸せではなかったと思う。六歳までを伯父の元で過ごしたことは致命的だった。同じくそこで育った妹と二人、頭がおかしいと言われるような状態だったのだから。祖父の末弟は幼いうちに病死しているのだが、唯一この弟だけは祖父は好きだったらしく、医者でありながら助けられなかったことを理由に伯父と父の二人を憎んでいた。このこと以外で二人について語ることは一切なかった。

進学のため家を出た祖父は、医学部に入ると言って実は文学部にいた。株で金を稼いでいたらしいのだが、結局は医学部に行っていないこと、大金を手にしていることがバレ、連れ戻されている。そこから祖父は復讐モードに入ってしまい、弟たちを全員追い出し、曾祖父が病死して家長となったのち家を破産させた。あまりにも早く復讐が終わってしまったため、祖父はここで目的を見失ったと思う。もしも一生かかるような難題であったなら祖父にとってまだマシだったのだろうが、何せクソカス兄弟が土台を蝕んでいたものだから、あっけなく崩壊してしまった。

その後の祖父は自分は病気だと言ってろくに働かず、自分の息子達、私の伯父と父を働かせていた。ついでに競馬にハマりキャンブル依存となった。ちなみに祖母も曾祖母も非常に短命で、末子を産むと感染症で死亡している。残された夫たちは迷走人生を歩む。父方の家はいずれは崩壊したと思うのだが、祖父がそこから脱出できなかったことがあまりにも哀れだ。壊すことは自由になることと違う。壊したのに、その家から自由になれなかった祖父は絶望したと思う。周りは取り合わなかったが、祖父は確かに病気だったと思う。精神療法を受けなくては、自分が幼い頃どのように育てられたのかを語らなくてはならなかったと思う。小説家になりたかった祖父は、自分の物語を語ることが全くできなかった。小説家になることを諦め、自分の物語を語らずに人生を終わらせてしまった。祖父の物語を聞いてあげたかったが、語ることも、書くこともせずに祖父は去った。祖父は症状で語ってはいたのだが、私は幼過ぎ、恐怖が強すぎて理解できず、通常の記憶もできなかった。

祖父は私や兄の持ち物で暴力をふるっていた。兄のブリキのおもちゃで父を殴って流血させ、私の子供椅子で母を殴り倒した。私と兄は同じことをされていたのを何十年もお互いに知らなかった。祖父が見た光景とおそらく同じなのだろう。同じことを祖父の妹もされていて、お互いに知らなかったのだろう。私はずっと母親を自分の座る椅子で殴るという画像にとりつかれていた。意識の上では思い出せなかった三歳未満の記憶を、どう話し合っても決裂して母を椅子で殴って終わるという強迫的な観念のなかに保持していた。子供用椅子が大嫌いで、それに座る幼い姪を見た時の恐怖と怒り、暴力への衝動。理由がわからなかったが、自分が何を見たのか知らされたのち、椅子で殴るイメージも子供用椅子に対する恐怖も消えていた。

祖父も祖父の妹も一人っきりで、自分の物、自分に所属する物で誰かに暴力が加えられるのを見せられたのだろう。自分の物であるがゆえに自分が加担していること、自分の責任であることを非言語的に宣告されたのだ。言葉を使わない、反論も拒否もできない無理矢理の加担と責任の押しつけ。犯行の目撃と同時の有罪宣告。凶器を振り下ろしたのはその持ち主ではなかったというのに。

幼い祖父に仕掛けられた時限爆弾は自爆テロのように祖父とその家を破壊した。そして祖父は幼い孫たちに同じ時限爆弾を仕掛けた。最初に誰が仕掛けたのか知らないけれど、世代を超えて時限爆弾は繰り返し仕掛けられ、仕掛けられた人間とその周りの人間を破壊し続けた。語られることが解除になるから言葉を持たない幼児に仕掛けられてきたのだと思う。精神科医の指示に従って行動している間に副次的に得られたことだが、これが祖父にも起こっていたらと思う。父方の家に対するどんな恨みがあって幼い子供に時限爆弾を仕掛けたのか知らないが、効果は絶大だったと思う。父方の家はもう存在していない。怖ろしい家だと子供心に恐怖していたので無くなってくれて内心ホッとしていたのだが、もう少し手加減して欲しかったよ、爆弾犯殿。

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