私がこのブログに投稿していることは、過ぎたことをいつまでも…と言われてしまうようなことだ。過去のことを蒸し返しても自分のためにはならない、許して乗り越え、前向きにならなくてはならない。それが正しいし、目指すべきとされて、従ってきたが、わからなくなった。本当に私のためか?違うだろう。
文句ぐらい言わせろー!
後から何を言っても変わらないなら、それこそ文句ぐらい好きに言いたい。誰かに変わって欲しいとも、過去を変えられるとも思っていない。何を言っても変わらないからこそ、安心して言いたいことが言えるのではないだろうか。
当時は、家族が崩壊しないように、何か言うことは無理だったが、今は言える。だから言う、碌なもんじゃなかったと。どんなに綺麗事言おうが、忘れたことにしようが、私はそこに居たし、覚えている。まともな家族ではなかった。誰がなんと言おうと私はそう思っている。
ブログに言いたいことを好きなように投稿して、ようやく沈澱していたものが浮き上がってきたように思う。重く沈んでいたものが攪拌されて動くようになったのは嬉しいことだ。沈澱物が言葉になってブログ上に出ていったかのようだ。引き続きシェイクに励もうと思う。
もう沈澱の重さに耐えるのは無理、かつ無意味だと思ってしまったら、この重い疲労感から逃れたいと思うようになった。何かの意味があると思っていたら、まだ沈澱させたままでいたかもしれない。動きづらさや生きにくさといったものが軽減されたら嬉しい。
変わることは難しいし、変わったという実感が持てないこともあるけれど、私は変わりたいと思っているのだ。自信や確信はあまり持てないのだけれど。