投影して、欠点を非難することは、相手を負の感情を捨てるゴミ箱にしていることと同じ。自分の欠点は改善されることなくそのまま残り続ける。一時しのぎのため誰かに投影することを繰り返し、誰かをゴミ箱にしなくてはいられない人になる。内に向かって自己嫌悪となるはずのものが、外に向かって、教育の名を借りた他人を攻撃する悪口となる。
にちゃんねるの言語センスは凄いものがあると思う。人のことを言えないでしょ?とは実際に相手を目の前にしたら、恐ろしくて言えないと思う。自分を守ろうとして欠点を他人に押し付けたら、返す刀で、それ自己紹介だね☆なんて、モニター越しでなければ恐ろしくて言えない。悪口を言って、悦びにギラギラと顔を輝かせる人は、珍しくない。職場で家庭で学校で社交の場でよく見かけると思う。他人は変えられず、一緒に悪口を言っていたことにされるリスクを負わされ続けるしかないのか…?
私と母の関係上での用法は
ーーーここは趣向を変えて、私が新語を練習することにする。
母:本当に田舎の人って自分のみっともなさに気付いてなくて、常識がないのよね〜。
プ:それって自己紹介だね☆姉妹だから出身一緒でしょ?その服センス悪い、よくそんなの着てられるね
母:私の肺がん治せないくせに、医者のくせに!
プ:それって自己紹介だね☆私が闘病中甘ったれてるから治らないって言ったよね、自分が甘ったれてるから肺がん治せないんじゃない?精神的な甘えで病気になるって言ったんだから、自分の病気は精神力で治すんでしょ?偉そうに言ってたくせに治せないんだ。
母:私が肺がんになったのは孫がストレスを掛けたせいだ!
プ:それって自己紹介だね☆大したことできない大人しい子のしたことを針小棒大に言って、被害者ぶって、ストレスかけられたお芝居を熱演しすぎたんじゃないの?お芝居もやりすぎは禁物よね。それがストレスになって肺がんになったんじゃない?自分のせいだね。
こんな感じだろうか。できれば母と二人になるのは避けたい。私が誰にも言わないと見越して、自分の醜い部分を吐き出してくる。好都合なことに耳の遠くなった、貴女の夫にでも言っとくれ。
生きている限り、被害者ぶり続けるのだろう。それになんの意味があるのかわからない。もうじき死ぬのに、やりたいことは責任転嫁なのだろうか?
呼吸が苦しくなって話すことができなくなるまで続けるつもりだろうか…?
酸素がもったいねぇ。
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