母親のことを、一人で最前列で見たせいか、母が演じて見せたことを思い出して吐きそうになることがある。自分の言葉でかけなかったので、以下引用。
もともと自分に対する自信がない人なので、相手をおとしめることによって自分の価値を高めようとしたり、相手を見下すことによって、弱い自我を守ろうとします。ひとたび相手を一段下に見ると、自分の不安な気持ちをかくすために、強い口調になるなど感情的な態度をとります。
相手が現状を正しく認識したり、行動を起こしたりできないように変質的なコミュニケーションを使います。どんな形であっても、負けや失敗が恐ろしいからです。批評にも耐えられないので、たとえどんな手段を使っても、最後には自分が勝利者になったことにして、体面を取り繕おうとします。
引用終わり。
私は一体母親にとってなんだったのだろうか。どう思うかまで指図できる奴隷だろうか。娘自身の考えなど許さないのに、母を尊敬するよう強要して、私は尊敬されている!と本気で思っていたのだろうか。その貧しい人間関係からなにか得られたのだろうか。
この貧困は、撲滅できない。母が自分で選んだ貧困だからだ。私にできるのは、この貧困を引き継がないこと、自分自身の貧困を耐えることだけだ。貧しいから誰かから盗んで構わない、という考えを母は何処かでこっそり採用したのだろう。そしてそのことを自分身から隠すことも選んだ。
母には、相手をあやつって支配する、という形の人間関係しか作れない。
家族の弱みを見つけ、それを攻撃し、傷つけて自分の優位を確保する。
相手が悪い、自分が被害者だと信じ込んでいる母にとって、加害者に仕立て上げた家族を繰り返ししつこく攻撃することは、楽しいことなのだろう。
家族であっても、相手の自我が壊れるのを見ると、自分の力を感じられて嬉しいのだろう。
ただし何か力を得たように錯覚しているだけで、母自身の問題が解決することはない。
母の家族という集団が、変質して、お互いを大切にしあった家族とは全く違ったものになっていったのは当然の帰結だ。長年大切にしあってきた他家族がしていることを真似するよう未だに要求される。自発的に何かをすることを子供から奪い去っておいて、子供が自発的に自分のために何かをしないと不満に思うところは、全く変わらないのだ。間違いを指摘されても、決して認めることはない。誰の話も聞かない。過ちを認めることはなく、謝罪もしない。自分のやり方が不十分だったことを残念に思うくらいだろう。もっと徹底的に相手の自我を崩壊させておけばよかった…と。
家族を自分のいいように乱用して変質させ、死を前にして自分が得たものが不満だとしても、もう遅い。この変質家族の中で先に死ぬのは母だ。自分のために変質させた家族の中で、変質させた張本人が最初に死ぬのはなんとも皮肉だ。いやむしろ幸運か。
変質家族から自分が得たものだけを持って、死ねばいいと思う。自分の得たものが、他人が手にしているものより貧しいのは、夫が子供が何もしてくれないからだと責任転嫁しながら死ねばよいのだと思う。転嫁されても私に果たすべき責任などない。私の得たものを母に渡すことも不可能だ。私から繰り返し取り上げてきた母の手には、私から奪ったものは残っていない。私の大切だったものは奪われ、踏み躙られて空費されるだけで、母の自尊心にはならなかった。私にとって大切なものが、母によって空費されるのを見ているしかなかった。
ずっと思い出すことができなかったが、私の大切なものを私の目の前で踏み躙り、私に勝とうとする母が憎くて仕方なかった。殺してやりたかった。そして未来の私自身が、家族という密室内で起こったことをなかったことにして、母を許すことも許せないと思っていた。私の記憶すら、自分の都合のいいように操作できると思っている母が憎かった。家族だけしか信用できないんだ、世間は冷たい、恐ろしいと繰り返す母が、心底恐ろしかった。外の世界より恐ろしいのは私を閉じ込めようとする母だった。
こんなことをした母を、許すことなどできない。自分のしたことから逃げ続ける母を許すことはできない。死んでいようが生きていようが関係ない。死んだ後も、誰かに自分を被害者だと思わせ続けようとしている母は、死んでも他人の記憶のなかで責任転嫁をし続ける人間だ。それを許すことはできない。母親が誰かの耳に呪いを吹き込むことは止められないが、母の死んだ後も私は生きて、それらを見つけ次第片付けようと思う。私にできる分だけ。
私はよく母も誰も殺さなかったと思う。自分自身も含めて、殺意を人間に向けて殺してしまったことはまだない。母の死を望むことくらいは自分に許したいと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿
アイメッセージのみ可。ユーメッセージ不要。言いっぱなし、聴きっぱなしのコメント欄です。返米御容赦!夜露疾駆