2014年9月3日水曜日

衣について

私はまるで男子のようだった。運動し、日焼けもし、ショートカットで男物を着ていた。なんというか、典型的だったと思う。母親は私の体が女性的になってきたとき、嫌悪感も露わに、太ってる!肉がついてる…と忌々しそうに私の体を見て言った。まぁよくあることなのだが。

私が服装を変えるきっかけとなったのは、ある女の子を見てしまったことだ。体の線が全くわからない、サイズが大きすぎる服を着て、まるで女性らしさがない服装だった。メガネも似ている。自分自身を見せられたようだったこと、その服が却って自分の弱点を晒してしまっていることに強い衝撃を受けた。声をかけて、むしろ見つけられるから危険だよ、やめないと、と言えたらよかったが、動くことができなかった。それからはサイズの甘いものを着ないようになった。それでもスカートは履かず、パンツスタイルのみだが。

通院の付き添いで、たとえパンツでもスリムなものを着ていると、母には
「男の人の気を引きたいと思われるからやめなさい」と言われる。
唖然とした。ブルカでも着ろと?貧弱な体型に緩い服が合わないことすらわからないのか?気が狂ったのかと思ったが、おかしな思い込みが多いのは元々だった。女性でありながら、女性の服装のせいにする男性と同じ思考回路をしているのが気持ち悪かった。痴漢があの服は誘っているんだとか、触って欲しいんだとか、責任を転嫁するのと同じだった。男尊女卑の強い人だと思っていたが、そこまで男性の考え方を取り入れなくても…いや、「セクハラをする男性」の考えを取り入れなくても…。自分が女性であることをどう思っているのだろうか。

母は、私が上司にセクハラされて、苦しんで痩せたときも、そんなことで会社を辞める気?そんなの許さないから!だけ言い捨て、それ以降その問題は完全無視だった。何より優先なのは、いい勤め先に勤めている娘の母である自分自身だった。母にとって最優先事項は自分の立ち位置で、辛かろうが苦しかろうがその根拠を私が供給し続けるべきだと思っていたのだろう。だから、供給し続けるよう命令して、それで済ませたのだ。私は奴隷だったのだ、ご主人様に奉仕するための。

母からはまともな服飾関連の文化を伝達されなかったが、服のデザインをする人と知り合いになる機会に恵まれ、その人の服をかなり持つようになった。優雅に着てね!と彼女の服に対する情熱とイメージをたくさん一緒にもらった。服そのものが喜びの源で、他人からどう見られるかなどは考慮に入っていない。彼女が自分で選んだ布と裁断の独自性は、緊張感もあるが、布の肌触りが心地よく、それを着て活動することが想定された服だった。衣に関しては、彼女と友人達によって、母親の歪んだ思い込みの絡まない状態で楽しむことができるようになったと思う。何より都内に何年か住んで、そこに暮らす女性達を見て、自分のダサさを痛いほど味わったのが有効だったと思う。どんなに奇抜な格好でも、自分が好きだと思えば着ていいし、何をその人が素敵だと思っているかが提示されていて、地下鉄で観察するのが楽しかった。

母は、年と共に服に興味のない男性のようになっている。ジャケットでありさえすれば、デザインもサイズも無頓着で構わないという考えで、まともに鏡を見ていないんだろうな、とわかってしまうような。なんでそれを選ぶのか…と見る者を呆れさせる。それでも大量に服は持っているというありがちな状態。

服を抑圧の道具にした母親は、服に仕返しされているのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

アイメッセージのみ可。ユーメッセージ不要。言いっぱなし、聴きっぱなしのコメント欄です。返米御容赦!夜露疾駆