私は、母を介護することや死に目に会うことは望んでいないので、拒否する。自分なりによく考えて出した結論で、感情的になって仕返しの一環として、ではない。世間様から見て立派な娘などというものにはなれなくて構わない。どちらかというと仕返しをしないために離れたいと思っている。仕返しするエネルギーを他のことに使いたい。
母から私への働きかけは、全て私から見れば攻撃としか感じられない。近くにいて、母の自己欺瞞の手伝いを小出しに要求されるのは、いつ来るかわからない攻撃に備えているのと同じ状態なので、とても疲れるのだと思う。拒否するとムッとして睨みつけたり、話の途中で何処かへ行こうとしたりで、まともな議論が成立しないのだ。愚痴垂れ流して、それを私が黙って聞いていることはもうない、ということが母には認められないらしい。
私はある程度自尊心を回復したのかもしれない。なんでそんなサンドバッグを私がしなくてはならないのか?と思えるようになった。何しろ母は自分が変わるつもりは無いのだから、死という変化さえ、変わるつもりがないから逃げる、でやり過ごすつもりなのだから。予想外の、斜め上をいったものだなぁと呆れる。自覚症状がなく、疼痛もなく、食欲があるなら、逃げられると思ってしまうものなのだろうか?死ぬのだ、ということを実感できないのかもしれない。
私にはおそらく、馬鹿は死ぬまでには治るんじゃないか、という期待があったと思う。治らないこともあるし、自分が巻き込まれないようにした方がいいと思い始めている。祖父は遠くにいて死に目も会わず、悲しまずで済ませたのに、母にはそれなりに期待していたのだろう。人は変われる、と。
さて、先週母から手紙が届いた。未開封。母の感情垂れ流しの、芝居がかった粘着な文章が嫌いで開けたくないのだ。文字がベットリとまとわりついてくるような、遠回しの察してクレクレが本当に気持ち悪いのだ。
遠回しの攻撃、つまり母の操作や要求に従え、なのだと思うと開封できない。私は全てを攻撃ととっているし、そこは批判されるところであろうことは分かっている。攻撃されたからといって母の言いなりになることは無いのだから、それは過剰な反応…と言われるかもしれない。
しかし、母のそういうやり口には、もうすでにうんざりだ。ずっと前のことになるが、母に面と向かって「あんたのそのやり口にはもううんざりだ!」と言ったことがあったが、記憶から消去されているのだろう。
今週は母からの手紙を開封できるだろうか。余命宣告によって過去の行いがチャラになった、愚痴垂れ流してもいいんだ、と思っているのだろうか。面倒くさい。未開封で捨ててしまおうかと思っている。
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