ま、自分は何とか出来るだろう=自分への信頼
ま、身近な人が助けてくれるだろう=身近な人への信頼
ま、今まで大丈夫だったし、これからも大丈夫だろう=世界への信頼
これらがあって
ま、何とかなるだろう
=先に何が起こるかわからなくても、落ち着いて暮らす、健康に生きる。
が可能になる。もちろん、様々な問題が発生してこれらが揺らぐことはあっても、回復させながら生きていく。
治療を受けるなかで知った、この三つは本当に基本だと思う。人生における最優先事項で、社会的達成など、このはるか後でいい、自己実現なんて寝言だ。あくまで私見。
「自分、身近な人、世界への信頼感」は、その最初の場所である家庭がどのようなものであったかに左右されると思う。最優先事項が人生の最初の時期に達成された人は、祝福された人だ。家庭のなかに暴力があったり、虐待があれば、自分にも、身近な人である家族にも、幼児にとっての家庭は全世界だから、世界への信頼感さえも、持つことはできないだろう。人生の最初の時期に呪詛されたとでもいうべきか。
この呪いから回復するために、間違った自己治療を含め、意識的に無意識的に、様々なことをやってきた。効果はあったのかなかったのか自分ではわからない。
生きている限りは、治せるところまで治したい。自分への信頼がないことは辛く、苦しい。努力して何かを得ても、自分自身に価値があるとは思えなかった。何をしてもダメだとしか思えなかった私が自分への信頼を回復するために何をしたらいいのか。今、私は、日常生活の小さな達成を自分で認めることをやってみている。なんだそんなこと…と思われるかもしれないが、私にはそれができていない。
母は日々の生活のなか、躾の名を借りて些細なことを執拗にあげつらい、私の心を踏み躙ってきた。幼い頃からの執拗な積み重ねは、頑強であり、深く私に埋め込まれ、思い出すと母に対する恐怖が蘇る。私の身体や衣食住に加えられる惨めな経験、日常生活のなかにある、思い出すきっかけとなる家事は辛い。生育家庭で暮らした時間より、一人で暮らした時間の方が長いのに。
本来家事は、再生産を可能にするための準備や、回復のためのもの。本来の機能を取り戻せるように、努力したい。
母親を含む他人から毒を受けても、回復できるように、解毒できるようになりたい。他人の心理的な問題を押し付けられて、身代わりをさせられるのはもう嫌なのだ。
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