2013年母親はガンで余命宣告を受けた。その時点では半年だった。もちろん治療の効果があって、余命が伸びたゆえ、私がこのブログを書いているのだが。
ステージ4で、転移していたが、それも放射線治療にて改善。骨転移は現在はない。肺の腫瘍で、片肺が正常なので、日常生活は送れる。抗がん剤が効いて、腫瘍がある側の肺に広がっていた小さい腫瘍塊は消えている。幸運にも得た余命だが、どう使おうか、とは考えないらしい。映画や本などでは、自分のやりたかったことに取り組んだり、とても感動的、肯定的、人間の素晴らしさや生きることに対する前向きな姿勢をこれでもかっ!と見せてくれるが、そんなものはかけらもない。
なんとも不思議だが趣味をやめたのだ。自分の楽しみを味わおうとするものかと思っていた。趣味が何もないのは体裁が悪いから、世間体のためにやっていたのかもしれない。お茶と山歩きだが、体力的にできるにもかかわらず、やめてしまった。お茶に関してはそもそも伯母が師範をしていたが、母はこの伯母が嫌いで批判をよくしていた。夫を早くに亡くし、子供を一人で育てた人なのだが。悪口は自己紹介だが、田舎者で意識が低い、考え方が間違っているなどなど。姉妹なのだから、どちらも田舎者だし、ブーメランにしかならないことには気づかないようだった。この伯母は姉妹のなかで最も容姿がよく、華やかな人だ。モテてリア充だったことは私も聞き及んでいる。母はひがんでいたのだろう。姉妹のいない私には、姉妹間の競争はわからなかった。別の家庭を持つようになっても続くのか。比較するネタには困らないだろうけれど。
母親には、自分自身の好きなことに打ち込む、ということがどんなことなのかわからないのだと思う。姉妹との比較がおそらく行動の原動力となっていて、自分自身の欲求を深く考えたこともないのだろう。体裁や世間体などの、他者から見て良しとされる、が行動や考えの選択基準となっていて、こんなにちゃんとしてるのに評価されていない、と常に欲求不満だったのだと思う。今にして思えばだが。
私は幼い頃母の味方だった。母が自分のいない間に死んでしまったらどうしようと、習い事に行くのが辛かった。あの強烈な不安感を覚えている。あの頃、母親が苦しんでいるのは自分のせいで、なんとかしなくてはならないと必死になっていて、母の要求を叶えようとしていた。
騙されていたことに気付いたのはずっと後だった。いや騙されていることに気づかないようにしていたのだろう。母親に騙されて利用される娘だなんて、自覚したくなかった。
母親が、自分は被害者だということにして責任逃れをしつづけるのは構わない。でも私に責任転嫁することは許さない。子供に責任負わせて逃げられることではないのだ。そもそも何から逃げようとしているのだろう。世間は母親のことなど気にかけていない。母親の人生に関心を持ち、責任の追求などという労力をはらったのは私くらいのものだ。
私は母親を愛していた。でも、悪い女にひっかかって人生を随分辛いものにしてしまったと思う。これが赤の他人なら、まだよかったと思う。もうそんなのにひっかからんぞと次を選ぶことも出来ただろう。しかしそんな女が私の母親なのだ。次の母親を探すという選択肢はない。どんなに悪い、嫌な女でも、子供を産んでしまえば、自分から逃げることのできない人間を手に入れられる。好きなだけ虐めても、躾で誤魔化せる。威張り、自分を立派だと言わせることが出来る。無限の権力を持って、誰かの上に君臨して、現実では惨めな自分をごまかしていたのだろう。