2014年8月26日火曜日

シズコさん,佐野洋子

母であるシズコさんについて娘である洋子さんが書いたエッセイ。
シズコさんは24歳で洋子さんを産み、93歳で亡くなる。洋子さんはシズコさんとは決して上手く行っていなかったが、母親を愛していないことに強い罪悪感を感じている。母の望む施設への入所のため有り金はたき、その上で

私は母を金で捨てたとはっきり認識した。
愛の代わりを金で払ったのだ。
母はひざが少し悪かったが、健康だった。

と書いている。自分が同居で介護をするのが当然のことなのに、と思っているのだ。洋子さんはシズコさんに触ることができない。幼い頃にシズコさんに、つなごうとした手を振り払われたことがあるからだ。シズコさんに撫でられたり、抱きしめられたりした記憶もなく、父や兄弟の感触を記憶している。もちろんそれでは介護は無理。しかしそんな洋子さんが、シズコさんが呆けてから触れるようになった。母と同じに布団に入って、白い髪の頭を撫で、ごめんなさい、と号泣するのだ。呆けたシズコさんは

私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ

と言ったのだ。なぜそれがシズコさんに言えたのか、とても不思議に思ったが、洋子さんの50年以上に渡る自責の念は消えたのだ。それだけで。

洋子さんという娘のシズコさんという母親に対する求愛、男女ではないから求愛はおかしいのだが、文字通りの意味で求愛と思う、はめでたく叶い、楽しみで嬉しい施設通いをするようになるのだ。結婚もし、子供もいる洋子さんにとって、シズコさんとごめんなさいありがとうを言い合ったことが人生の一大事であったとは、人生の最初の対人関係の強力さに、恐れを感じてしまう。洋子さんはまた

どのような介護をしたとしても、母が死んだ時、私はある達成感と、思い残すことはないという気のすませかたが出来たのではないかとも思う。

とも書いている。これほどのことを母との関係に込めてしまうとは、娘とは一体なんなのだろうか、とほとんど畏れとも言うべきものを感じる。母親を愛していない娘なのだと洋子さんは繰り返し書いているが、母親の愛を乞うているひとは、母親を愛しているひとなのではないだろうか。
洋子さんには妹もいるが、おそらく違う母娘関係があったと思う。しかし、洋子さんはそれに充分な注意を払えないような集中度の高いシズコさんとの終わりの時期を過ごしていたようだ。このエッセイの中ではそれから死までの記憶があまりない、と書かれている。それほど喪失感が大きかったのか。姉妹のいない私には、姉妹間で起こることについて無知だが、それがかなり重要なことになりうるのは6人姉妹の末の母を見ているとわかる。姉妹間の優劣が人生における選択に影響を及ぼしたように思えてならないのだ。

誰かの人生が自分と同じようであることも、参考になることもきっとあまりないと私は思っているので、このエッセイとは違って、私が許されることはないと思っている。現在介護の必要がなく、呆けてもいない母は、母の人生を生きている。そこには私の存在する余地はない。私の関わる過去などなかったことにしているのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿

アイメッセージのみ可。ユーメッセージ不要。言いっぱなし、聴きっぱなしのコメント欄です。返米御容赦!夜露疾駆