母親の幼い頃の写真をみたことがある。母の兄が出征するときに撮られたもの。祖父母と六人姉妹が写っている。母は四歳位、二十歳前後の若い伯母から末の妹の母までがいて、なかなか良い写真だった。モノクロだし荒いけれど、ワンピース姿の伯母は特に綺麗だった。この集団のなかでは、母はあまり関心をもたれなかったかもしれない。
母の生まれた家は自作農家で、貧しいわけではなかったと思う。伯父は無事に帰ってくることができ、戦後の食糧難も全く感じなかったそうだ。何種類か果樹も育て、現金収入も米収穫期以外にあったので、馬を飼ったり、豚を飼ってみたり、いろいろ作物を試してみたり、積極的な農家だったと思う。
私が幼い頃行った祖父母の家で、伯母たちの着物が薄暗い部屋に拡げられると、そこだけ明るく、古びた箪笥から色が流れ出るようだった。帯の鈍い光がぼんやりとうねっていた。母と伯母たちが着付けをする様は、なんとも綺麗だった。私にとってはワクワクする驚異の場所だったのだ。
同じものでも人によって感じ方が違う。私の目に美しく映ったものは、母にとって、古臭く、田舎臭いものだったのかもしれない。姉妹のなかで最も美しいわけでもなく、最も賢いわけでもない母には鬱屈したものがあったのだろうか。母の嫌いな美しい伯母が語るその家と、母が語る家とはまるで違う。美しい伯母によれば、川面に緑が映るなかを渡し舟で下って行く輝きに満ちた場所、母から見れば、粗野で無作法で下品な人たちばかりの嫌な場所。
母のすぐ上の姉によれば、情緒面で不安定な兄嫁が来た後が辛かったそうだ。小姑達を悩ませた強烈なその人は、私にとっては、日に焼けて深くひび割れた手を持つ人だった。私が会ったのはずっと後になってからで、子供四人産んだ後でも伯父の嫁になれて嬉しいと思っているらしい人だった。過去に、メンヘラ彼女が疑心暗鬼になって、変装して彼をストーカー…のようなことをしたらしいのだが、関係者があまり語らないので、詳細不明。
おそらく母は、女性が可能な社会階層の移動は結婚によるものだ、姉妹のなかで一番いいところに嫁に行こう、と思ったのではないだろうか。父方の祖父が、お見合いのときに「お金の苦労はさせない」と言ったから結婚したのに…と母がボヤいたときには心底驚いた。結婚相手は父なのに、なんで祖父の言ったことが決め手になるのか解らなかった。お金は祖父が使うので、マイナスがあった。資産が目当てだったくせにそうじゃない振りをして資産状況も確認せず、怠慢としか言いようがない。いいところの奥様ではなく、お店に行ったらつけを払ってくれと言われる奥様になってしまった。
そこで自分の浅ましさを反省していたら、人生違っていただろうに。母には自業自得だという自省はなかった。ひたすら祖父が悪いと責任転嫁し続けた。自分は被害者だというところから一歩も動かなかった。因果応報は自分以外に起こることなのだ。自分は純粋な被害者なのだ、と。
美しさでも賢さでもお金でも一番になれず、権力が手に入れられなかった母は、被害者であることで手に入れられる権力に固執した。 責任の全てを相手に負わせてバッシングすることは、全てを失った人たちに許された唯一の逆転の行為。自分で努力し自分の力で欲しいものを手に入れることは、したくなかったのだろう。万策尽きた気分だったろう。おそらく周りが差し出したものを上品に受け取って、誰かに謙遜して見せるのが望みだったのだろう。
その後、私の学歴によって、姉妹たち以上のものをようやく手に入れた。そして私を貶めて謙遜して見せるのがたいそうお気に召していたらしい。でもそれも一番美しい伯母の孫たちが、それ以上の学歴を手に入れるまでのことだった。
母親の強欲さは私の想像の及ばないものだった。私はもう義務は果たしたつもりだったのに、全く満足せず、私への不満を募らせ、被害者ぶる母が理解できなかった。疲れ切って倒れた馬を、全力で執拗に鞭打つ母は、人間ではなかった。
ニーチェがみたら、私をかばって泣いてくれただろうか?きっとそうしてくれたと思いたい。発狂はしない程度で。
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