これは川柳として江戸期に詠まれたもののようです
大人になり、親の気持ちがわかったころには、親は亡くなっていて、生きている間に孝行したらよかったな…という気持ちを詠んだもの
私と母の関係上での用法は
まずこの川柳に対して冒涜的なのは、母がこれを口に出すことです。祖父母のことを思ってではなく、私に向けて。ちなみに母親の言う親孝行とは、親の言いなりになることで、わたしが幸せになることではありません。
「私のようないい親は早死にする」と弱々しい声で言いつつ、今親孝行しろ、すぐ親孝行しろ、ここでしろ!と自分の要求を通していました。当時私は十代中頃。死ぬ死ぬ詐欺により極度の不安に陥り、コロっと騙されていました。長いこと死ぬ死ぬ詐欺を繰り返すとその対人関係が死にます…。もちろん母親にとっては私を人とも思っていなかったから、死んでも構わなかったのでしょう。
いつまでも死なない、おかしい、と十年後位に気づきました、遅い。死んで腐った対人関係をつづけて毒をたっぷりもらってしまいました。
その頃の親と同じ年齢になり、どうしてあんなマネができたのか、わたしには母の気持ちが全くわかりません。10代の人間を脅して言いなりにするなんて、その位の年齢の女の子達を見て、なんて酷い人間なんだと、むしろ軽蔑してます。
この川柳は心理的に健康な親に育てられた子供の気持ちを詠んだもので、毒親に育てられたものにとっては、理解できない心情だと思います。この後に
されど墓に布団は着せられず
とあるそうなので、親孝行とは、どうやら暖かい布団と食べ物、という衣食のたりていることらしいのです。それが孝行?と、物の豊かな現代人は思ってしまいます。当時の布団が現代で言うと何に当たるのかわかりませんが、親の言いなりになって自分の人生を差し出すことではないはずです。詠んだ人は差し出してませんし。
母親は自分の都合のいいようにこの川柳を使ったんでしょう。母親の入った墓を蹴り飛ばしてやりたいくらいですが、他の人も入っているので多分やらないと思います。それ以前にまだ入ってませんでしたね…
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