年末年始はあまり好きではない。機能不全家族では、一緒にいる時間が長くなるとそれだけ攻撃されることが増えるからだ。一人で過ごすので正月らしさは全くない。掃除はできる限りするが、普段以上ということはない。飾り付けもなし。ないない尽くし。まるで今は年末年始ではないかのように過ごす。餅は正月には食べない。怒鳴りつけられながら食べていたので正月には食べられない。
それでもスケジュール帳を新しくして、目標など立てることはここ何年か続けている。両親の家ではなかった習慣なので、思い出すことがなく、苦痛なく実行できるからだ。今年は1日1ページの物から見開き1週間のものに変えるか迷ってしまい、通販で大晦日に届くという状況になってしまった。年明けに届くと思っていたので年内に届いて嬉しい。
今年の初めに立てた目標は
①ガラクタを手放すこと、つまり物を片付けること、これはできた。
②自分を傷つけた人を自分を含めて許すこと、これはできなかった。
大切なのは物ではなく自分だということで物を捨てたし、できないという自分の考えを尊重し、許すことは諦めた。
新年の目標は新しい人間関係を作ること。生育家庭で学んだ不健全な関係ではなく、健全な人間関係を作りたいと思っている。健全なコミュニケーションの仕方、感情の処理の仕方、人間関係の持ち方を学び直そうと思う。もちろん誰にも教わらずにできるようにはならないので、AC向けのワークブックを使うことにする。これまで10年以上この本にかけてしまったが、今年で最後まで通したい。できないところでつかえてしまっていたが、できないところはそのまま飛ばして進め、できない部分をはっきりさせようと思う。
過去を知って、癒しに向き合って、新しい自分に出会う、という順番で進むワークブックなのだが、ようやく新しい自分を作っていいのだと思うようになった。これまでの私は両親のための私であり過ぎたが、もう彼らはいなくなるし、十分に彼らのための努力をしたと思う。まだ足りない!と思われているが、私はもう十分だと思っている。
私は彼ら仕様の私のことを好きになれない。一人で生きていくのに、好きでもない自分とは生きていけない。自分好みの人間に変わって、心地よく暮らしたいのだ。私の両親は、自分の気持ちの伝え方も、人間関係の持ち方も、自分を守ることも大切にすることも教えず、間違ったことを教えた。
私は自分自身に、健全な思考、行動、対人関係を持つことを許そうと思う。私の両親とは異なる、私に関心を持ち大切にする親、に私自身がなろうと思う。なっていいのだと思う。父も母もそれで損をすることはない。もう死を待つだけなのだから。
母は余命宣告を受けても変わらないままでした。自分の人生の責任を転嫁したまま、死から逃げることはできないのに、逃げたまま一生を終わるつもりのようです。変わらない母は放っておいて、自分のインナーマザーをなんとかしようと思います。
2014年12月31日水曜日
KIZUー傷ー,ギリアン・フリン
年末に読んだ本。ハヤカワ・ミステリ文庫の推理小説。ではあるが、推理小説として読んだわけではない。推理小説として読みたい方、以下ネタバレを含みます。
裕福な母と、自分の皮膚に言葉を彫る長女、亡くなった妹、13歳の異父妹、被害者を含む女性たちの見せかけている姿とより本質に近い姿が描かれる。
少女連続殺人事件をきっかけに、新聞記者となった長女が帰郷し、生まれ育ったアメリカ中西部の小さな街を取材対象とするところから物語は始まる。現在の連続殺人の取材をしていく過程で、過去の妹の死は代理ミュンヒハウゼン症候群の母による殺人である事を知る。生家に滞在する主人公は、今も自分と異父妹が母に薬物を与えられていることに気付く。娘に毒物を与える母に殺されることを選ぶのか、それとも母を諦めるのか?が推理そのものよりも私にとっては面白かった。
長女のカミルは自傷行為を13歳で始めている。証明として、考えや言葉を皮膚に刻んで捉えるため。自分の記憶に信頼がおけない場合、傷痕に記憶の肩代わりをしてもらうことは理解できるのだが、カミルに刻まれた言葉は現在起こっていることにも反応する。皮膚感覚が常に過覚醒しているのは苦しかろうと思うのだが、それなしではもっと苦しいのだろう。そのままでは取り扱えない苦しみを引き受けなくてはならない場合は何らかの緩衝材を入れなくてはならないが、緩衝材ですらかなりの苦しみをもたらすのだ。
カミルとその母は相互理解が全くない。世間から見たらカミルの母は正しいように見え、カミルが自傷行為をする異常な人間だが、より異常なのはカミルの母の方だ。カミルから見たその母は、私から見た母に似ている。自分の母親は異常だと思ってしまった娘がどのように感じるかが自分の身にも覚えがあることとして書かれている。13歳の異父妹は、
現代のアメリカが舞台であるため、都会から来ていた捜査官にカミルの母は早い段階で容疑者として疑われていて、カミルは助かり、薬物検査で母親の逮捕のための証拠となるのだが、社会の側が変化していると考えていいのだろうか?閉塞感の強い町の住人のなかにもカミルの母の異常性に気付いている人がいて、カミルは「真実に気付くと孤立無援」といった最悪の事態にはならない。いいのかなぁ?と思ってしまうくらい希望が持てるのだが、読書中はどちらかというと不快なのだ。読後感が不快と思う方もかなりいると思うが、毒母持ちの娘の多くはこの小説が書かれたことに救いとか希望を持つのではないかと思う。
母は絶対だと言う考えがこの小説のなかでは当然のように崩れてしまっているのは嬉しいことだ。そしてそんな母に育てられて、娘はどこまでも歪むということが当然のように描かれている。正しさは誰にもない、誰にも正しさが負わされないことがこの内臓がむき出しの様な感のある小説に、不思議な清涼感を与えているのではないかと思う。きっと読む人が誰かによってこの小説は推理小説であったりなかったりするのだと思う。誰かのレビューを読んでみたいので、密林で探してみようと思っている。
裕福な母と、自分の皮膚に言葉を彫る長女、亡くなった妹、13歳の異父妹、被害者を含む女性たちの見せかけている姿とより本質に近い姿が描かれる。
少女連続殺人事件をきっかけに、新聞記者となった長女が帰郷し、生まれ育ったアメリカ中西部の小さな街を取材対象とするところから物語は始まる。現在の連続殺人の取材をしていく過程で、過去の妹の死は代理ミュンヒハウゼン症候群の母による殺人である事を知る。生家に滞在する主人公は、今も自分と異父妹が母に薬物を与えられていることに気付く。娘に毒物を与える母に殺されることを選ぶのか、それとも母を諦めるのか?が推理そのものよりも私にとっては面白かった。
長女のカミルは自傷行為を13歳で始めている。証明として、考えや言葉を皮膚に刻んで捉えるため。自分の記憶に信頼がおけない場合、傷痕に記憶の肩代わりをしてもらうことは理解できるのだが、カミルに刻まれた言葉は現在起こっていることにも反応する。皮膚感覚が常に過覚醒しているのは苦しかろうと思うのだが、それなしではもっと苦しいのだろう。そのままでは取り扱えない苦しみを引き受けなくてはならない場合は何らかの緩衝材を入れなくてはならないが、緩衝材ですらかなりの苦しみをもたらすのだ。
カミルとその母は相互理解が全くない。世間から見たらカミルの母は正しいように見え、カミルが自傷行為をする異常な人間だが、より異常なのはカミルの母の方だ。カミルから見たその母は、私から見た母に似ている。自分の母親は異常だと思ってしまった娘がどのように感じるかが自分の身にも覚えがあることとして書かれている。13歳の異父妹は、
異常なことをしたがる相手にそれをさせてあげれば、相手の頭をもっとおかしくすることになるとカミルに言うのだが、これは母に強力に支配されている娘の言葉だ。そこから逃げることもできない間はその状態に耐えるしかない。いつか逃げることを支えに生きるしかないのだが、カミルの妹はその前に死んだ。カミルは異父妹を連れて逃げることができるのか?母に愛されるためなら自分の命を差し出すのか?
悪いことがこれから起こるとわかっているのに何もできない
現代のアメリカが舞台であるため、都会から来ていた捜査官にカミルの母は早い段階で容疑者として疑われていて、カミルは助かり、薬物検査で母親の逮捕のための証拠となるのだが、社会の側が変化していると考えていいのだろうか?閉塞感の強い町の住人のなかにもカミルの母の異常性に気付いている人がいて、カミルは「真実に気付くと孤立無援」といった最悪の事態にはならない。いいのかなぁ?と思ってしまうくらい希望が持てるのだが、読書中はどちらかというと不快なのだ。読後感が不快と思う方もかなりいると思うが、毒母持ちの娘の多くはこの小説が書かれたことに救いとか希望を持つのではないかと思う。
母は絶対だと言う考えがこの小説のなかでは当然のように崩れてしまっているのは嬉しいことだ。そしてそんな母に育てられて、娘はどこまでも歪むということが当然のように描かれている。正しさは誰にもない、誰にも正しさが負わされないことがこの内臓がむき出しの様な感のある小説に、不思議な清涼感を与えているのではないかと思う。きっと読む人が誰かによってこの小説は推理小説であったりなかったりするのだと思う。誰かのレビューを読んでみたいので、密林で探してみようと思っている。
2014年12月25日木曜日
父について
私には父もいる。祖父の息子として。今月始めに転倒骨折し、認知症が進み、リハビリ不可のため特養入所となった。繋がりが薄いためか、認識してもらえないとしても大差ない。私には父はいないも同然なのだ。もちろん経済的に家庭を維持したのは父なのだが、精神面での父はいなかった。純然たるATMとでも言えばいいのか。揶揄としてでなく、機能がもともとないので要求することも出来なかった。夫をATMと言う妻たちは、それ以外の機能を果たせるのに果たしていないこと、ATMではないにもかかわらずATMになっていることが許せないのだと思う。ATM機能だけしかない人には何も言うことは出来ない。ギャンブル依存したり、誰かを虐待したり、何らかの人間の行動があったら内面を推し量ることもできるのだが、私には父は魂がここにない人間のように思えていた。あまりにも辛すぎるので肉体から魂が離れてしまってそのまま戻ってこなかったような。わたしが幼い頃はそれでもまだ近くにいたように感じたのだが、祖父から守ってくれることも母から守ってくれることもなかった父は、父親とは思えなかった。今でも生物学的には父だったが社会学的には父になれなかった人だと思っている。そしてそれが腹立たしいと思えない、気の毒な人だとしか思えない私は、娘ではないのだ。父である人間もいなければ娘である人間もいないのだ。役割として不在であった。私は誰かの娘であることを諦める以外になかったし、諦めてよかったのだと思っている。父を求めても得られないままさすらう人になりたくなかった。何を訴えても返事の帰ってこない父は「ただのしかばねのようだ」った。
父親の象徴とされるサンタクロース、そのプレゼントが届く日にこんな投稿をしてしまった。父からもらえなかったものを恋人からもらおうとして得られず、やたら高額化していったような感のあるクリスマスという名のイベントなのだが、心の慰めにはならない。近くの教会へ寄り道でもしようかと思う。とても静かだから。無宗教の人間にとって慰めってどう得たらいいのかわからないが、私には慰めが必要なんだと思う。
父親の象徴とされるサンタクロース、そのプレゼントが届く日にこんな投稿をしてしまった。父からもらえなかったものを恋人からもらおうとして得られず、やたら高額化していったような感のあるクリスマスという名のイベントなのだが、心の慰めにはならない。近くの教会へ寄り道でもしようかと思う。とても静かだから。無宗教の人間にとって慰めってどう得たらいいのかわからないが、私には慰めが必要なんだと思う。
2014年12月17日水曜日
最近見た夢
私の夢はとても暗い。恐怖に駆られて走り回るのがデフォだ。眠ることが休養とか安らぎになるのか疑問だ。私にとっては眠ることは恐怖なのだ。少しずつ改善はしているのだが、悪夢を誰かに代わって欲しいと思う。それか、スティーブン・キングのように誰かに自分の悪夢を見せたい。キングの小説を読み出した頃、私の物ではない悪夢を見た。伝染性悪夢とでも言うのか。代わってあげることは出来ないけれど、誰かの見る夢を自分も見るのは腹立たしくも不思議な経験だ。私にそんな力はないが、一人で悪夢を見ているのは辛い。実生活も夢の中もどこにも救いも慰めもないのだ。
私の見る夢はRPGのようだ。笙野頼子のレストレスドリームという小説とほとんど同じ。悪夢の中で私は繰り返し死ぬ。死ぬ選択を避けながら夢を見る度にゲームを進めて行くのだ。苦痛や恐怖を味わうことがゲーム終了まで繰り返されるとしたら、睡眠障害になってしまうのは致し方のないことではないだろうか?幾つかは終了させたのだが、自分がまだ未終了の夢を見続けていることは分かっていた。終了してようやく目覚めている時へ持ち帰れる。どんな夢を見ていたのかを目覚めている時にも思い出せるようになる。
これで悪夢が終わってくれたら、と一つクリアするたびに思う。現実か夢かどちらかで休めるようになりたい。何処かで休まないともうこれ以上耐えられない。これから眠るけれど、耐えられない状態がまだ続くのかと思うと怖くて眠りたくない。誰かに助けて欲しいが、こればっかりは無理だ。私の悪夢は現実を押しつぶしているようで、私の人生が侵食されているように思えるのだが、それに対して私は何も出来ないのだ。十代の頃からずっと眠るのが嫌だと思ってしまうような悪夢を見ている。いつ迄この状態が続くのだろうか。死ぬ迄だろうか。死んだら悪夢を見なくて済む、そして現実も失う。二つとも手放せるのだ。少し安心。眠っていることからも、起きていることからも逃げたい。苦しい。
私の見る夢はRPGのようだ。笙野頼子のレストレスドリームという小説とほとんど同じ。悪夢の中で私は繰り返し死ぬ。死ぬ選択を避けながら夢を見る度にゲームを進めて行くのだ。苦痛や恐怖を味わうことがゲーム終了まで繰り返されるとしたら、睡眠障害になってしまうのは致し方のないことではないだろうか?幾つかは終了させたのだが、自分がまだ未終了の夢を見続けていることは分かっていた。終了してようやく目覚めている時へ持ち帰れる。どんな夢を見ていたのかを目覚めている時にも思い出せるようになる。
私は引っ越して来たばかりの部屋で片付けをしている。前の住人が窓に貼っていた紙が何枚か残っていて、絵が書いてある。人の顔なのだが、円に目らしき線と髪が書かれているだけの、かろうじて顔だということだけがわかる絵。なんだろうと思いながらほかの何枚かと一緒にはがし、何の気なしに裏返すと、墨と朱赤で呪いの言葉が書いてあった。剥がした者を呪ってやると文字が並んでいて、それを読んでいる間に私の顔の周りで静電気の放電のように、ビシッ!バシッ!と音がして顔を叩かれるような痛みが何もない空間から私に向けられ、あぁ、呪われてしまった…どうしたらいいんだろう…と恐怖してしまう。いつもなら、呪いをなんとか解こうと奔走するのだが、なぜかこの時は違った。片付けを続けたのだ。誰か知らないけど呪われちまった、どうしよう、と思いながら半泣きで荷ほどきをし、食器を棚にしまったりしていたのだ。窓から剥がした呪いの紙の上に梱包していた紙を重ねて置いていき、それらをまとめてゴミ箱に捨て、呪いの紙も一緒に捨てたことに気づいて慌てたのだが、今さら拾っても何も変わらないな…とそのまま可燃ゴミにまとめてしまった。そうしているうちに、ご近所の方が茶菓子を持ってやって来たので、茶を淹れてお喋りをした。呪われてるのになぁ…どうしようかなぁ…と思いながら一緒に腰掛けて茶をすすり、相手の話に適当な相槌を打って過ごした。紙をはがした窓は何もなくなったので、外がよく見え、日が差し込んで部屋は明るかった。はがした方がスッキリしてイイなと思った。呪いを解くために何もせず、茶を飲んで過ごした。この夢を持ち帰れたということは、終了したということなのだが、なんで終了なのかわからなかった。この夢のように誰だかわからない私を迫害する者は両親のどちらかなのだが、私を呪った紙に書かれた顔はおそらく母だ。 母を可燃ゴミに出して、何事もなかったかのようにご近所さんと茶を飲んでしまった。内心穏やかではなかったけれど、それがおそらく正解だったのだろう。呪いたい人には呪わせておくしかないし、呪いも私が恐怖して解こうと奔走しなければ、私への影響力はゼロだ。母が私をどれほど呪おうと私の人生を左右させなければ良いのだ。母が死ねば、もう直接に私に呪いの言葉を吐きかけることも、いびることも出来ない。紙に書かれた呪いは私の記憶に書かれた呪い。私さえ望めば、可燃ゴミに出せるのだろう。夢の中で出してしまったように。
これで悪夢が終わってくれたら、と一つクリアするたびに思う。現実か夢かどちらかで休めるようになりたい。何処かで休まないともうこれ以上耐えられない。これから眠るけれど、耐えられない状態がまだ続くのかと思うと怖くて眠りたくない。誰かに助けて欲しいが、こればっかりは無理だ。私の悪夢は現実を押しつぶしているようで、私の人生が侵食されているように思えるのだが、それに対して私は何も出来ないのだ。十代の頃からずっと眠るのが嫌だと思ってしまうような悪夢を見ている。いつ迄この状態が続くのだろうか。死ぬ迄だろうか。死んだら悪夢を見なくて済む、そして現実も失う。二つとも手放せるのだ。少し安心。眠っていることからも、起きていることからも逃げたい。苦しい。
2014年11月23日日曜日
小さなことに左右されない「本当の自信」を手に入れるための9つのステップ,水島広子
私に欠けている自信について良く知ろうと、攻撃の本でかなり参考になった著者の、自信についての本を読む。持っていないもののことを知らないのは当然だが、初めて知ったことが、やってみようと思えることが書いてあった。
自信には二種類ある。Beの自信とDoの自信、それぞれの持ち方は
全く知らなかった。Beの自信が無い私は、自分と居心地良く一緒にいたことがない。責められる恐怖が襲ってきて生きた心地がしない状態とでも言えば良いのか。自信のなさと間違いやすいものは三つ
この本は親子問題を取り扱ってはいないが、最後に少し記述があり、母が私にBeの自信を持たせないようにしたことが分かった。母は「自信のない人」で母の評価に過ぎないものを真実として私に押しつけ、母の不安をプレッシャーとして私に押しつけたのだ。ありのままの子供としての私を拒否したのだ。
Beの自信を持てなければ、必死になってDoの自信を持とうとする。母の見栄のためにはBeの自信を持たせないようにして、Doの自信を持つための努力を果てし無く続けさせる方が好都合だったのだ。母は、私の意見はおかしい、聞かされて迷惑だし、そんなことを言う子を育てるのは嫌だ、と私を脅した。その結果、
自信には二種類ある。Beの自信とDoの自信、それぞれの持ち方は
Doの自信:何かをすることにより成果を上げ、それによって評価を上げる。本当の自信とはBeの自信であり、何をしていようと自分について良い感じ方をすること、居心地良く自分と一緒にいられることである。
Beの自信:今の自分に集中でき、否認することなく現実を受け入れる。言葉にならない肯定感や安心感、自分を愛おしく思う気持ち。
全く知らなかった。Beの自信が無い私は、自分と居心地良く一緒にいたことがない。責められる恐怖が襲ってきて生きた心地がしない状態とでも言えば良いのか。自信のなさと間違いやすいものは三つ
不安:不安があっても自信は感じられる、別のもの完全に間違えていました。自信のなさによると思っていたし、自信のなさにつながりました…誤解だったようです。 もちろんこれで自信を失いそうになるのですが、
衝撃:衝撃への反応が過ぎるまで待って決断をする、一時的なもの
喪失感:悲しみのプロセスが自信のなさと似ているもの
今はこれでよいここからレッスンを始めましょう!と励ましてもらえる。自信を感じるためのレッスンとして9項目、自信を失わせる相手に振り回されないための5項目、自信をつけるための行動術として4項目あり、それぞれに丁寧な説明があり、無理のない実行可能なものと思わせてくれる。よくある自己啓発本はDoの自信を持つためのものだが、Beの自信が基礎であり、その上にしかDoの自信は載せられない。私の場合はBeの自信が無いので、必死にDoの自信を積み上げようと努力したが、Beの自信はおろかDoの自信さえ手に入らなかったのだ。この本を読んだ今は当然のことだと思えるが、努力しても自信が持てないのは本当に惨めだった。
自分の限界を受け入れる
この本は親子問題を取り扱ってはいないが、最後に少し記述があり、母が私にBeの自信を持たせないようにしたことが分かった。母は「自信のない人」で母の評価に過ぎないものを真実として私に押しつけ、母の不安をプレッシャーとして私に押しつけたのだ。ありのままの子供としての私を拒否したのだ。
Beの自信を持てなければ、必死になってDoの自信を持とうとする。母の見栄のためにはBeの自信を持たせないようにして、Doの自信を持つための努力を果てし無く続けさせる方が好都合だったのだ。母は、私の意見はおかしい、聞かされて迷惑だし、そんなことを言う子を育てるのは嫌だ、と私を脅した。その結果、
本当の私を知られたら嫌われるというBeの自信がない人間になった。インナーマザーとして取り込んでしまった後は、自分でも理由がわからないまま、苦しくて止めたいのに止められなかった。この本に書かれていることはとても小さなことの積み重ねで、継続していかなくてはならない。でもやりたいと思っている。Doの自信を得るための努力はやればやるほど悪循環に陥るが、Beの自信を得るための努力は正の循環をしていると思う。少しづつだがプラスが戻ってきていると思う。落ち着いて、焦らずに続けて行きたい。
自分の意見に自信がなく、言いたいことが言えない
自分の気持ちを他人に伝えられず、つい我慢してしまう
ブログを少し変えてみる
気分が少し改善して、ブログを真っ黒から変更する。ローズピンクを追加。やっぱり黒いけれど。
中身も少しずつ変更していきたい。母の死よりも、自分のインナーマザー、インナーペアレントをなんとかした方が良さそうだ。現実の母ではなく、私の頭の中にいて、侵入し、支配し、批判してくる私自身のことだ。現実の私の行動は、世間様に恥ずかしくないようにと言うインナーマザーには全く従っていない。なのでひたすら批判されているのだ。そしてこの批判は負担なのだ。何くそ、とか黙ってろ!で自分の意思で選択をしてきたつもりだが、しつこく批判されるのにも流石に疲れてきた。この辺でお別れしたい。現実の母ともインナーマザーとも。
他人の生き様も死に様も私には変えられない。それと同じで、母の死に様は私には関係のないことなのだ。死を前にして変わる人もいるのかもしれないが、母は、生きてきた様にしか死ねないだろう。私は自分の頭の中のインナーマザーをなんとかすることに取り組めばいいのだ。現実の母に取り組んでもインナーマザーは変わらない。そんなことはなかったと逃げられただけだった。あの人のもとに娘として生まれてしまった以上諦めるしかない。自分で自分の母親に、それなりに良い母親になるしかないのだ。支配や侵入、批判とは無縁の自信を持った母親に。おそらく自信のない母親程、支配や侵入、批判をするのだろう。自信を持てないのは何の成果も持たない母だから、ある意味当然だったが、それを私を使ってごまかし、逃げたことが母の人生だったのだと思う。自分の問題、責任から逃げる人生。自分の問題に向き合わず、長い人生を逃げて終わらせることはどんな気持ちだろうか。世間体だけを、自分の思い込みに過ぎない世間体というものだけを取り繕って終わらせるのだろう。私はそんな人生は送りたくはないけれど。母は自分の人生を私の人生を使って肯定しようと思っていたのだろうけれどそうはいかない。それは許さない。私に埋め込んだインナーマザーはもうお払い箱なのだ。母の怨念をお祓いする。
言葉を使って、このブログを使って。
中身も少しずつ変更していきたい。母の死よりも、自分のインナーマザー、インナーペアレントをなんとかした方が良さそうだ。現実の母ではなく、私の頭の中にいて、侵入し、支配し、批判してくる私自身のことだ。現実の私の行動は、世間様に恥ずかしくないようにと言うインナーマザーには全く従っていない。なのでひたすら批判されているのだ。そしてこの批判は負担なのだ。何くそ、とか黙ってろ!で自分の意思で選択をしてきたつもりだが、しつこく批判されるのにも流石に疲れてきた。この辺でお別れしたい。現実の母ともインナーマザーとも。
他人の生き様も死に様も私には変えられない。それと同じで、母の死に様は私には関係のないことなのだ。死を前にして変わる人もいるのかもしれないが、母は、生きてきた様にしか死ねないだろう。私は自分の頭の中のインナーマザーをなんとかすることに取り組めばいいのだ。現実の母に取り組んでもインナーマザーは変わらない。そんなことはなかったと逃げられただけだった。あの人のもとに娘として生まれてしまった以上諦めるしかない。自分で自分の母親に、それなりに良い母親になるしかないのだ。支配や侵入、批判とは無縁の自信を持った母親に。おそらく自信のない母親程、支配や侵入、批判をするのだろう。自信を持てないのは何の成果も持たない母だから、ある意味当然だったが、それを私を使ってごまかし、逃げたことが母の人生だったのだと思う。自分の問題、責任から逃げる人生。自分の問題に向き合わず、長い人生を逃げて終わらせることはどんな気持ちだろうか。世間体だけを、自分の思い込みに過ぎない世間体というものだけを取り繕って終わらせるのだろう。私はそんな人生は送りたくはないけれど。母は自分の人生を私の人生を使って肯定しようと思っていたのだろうけれどそうはいかない。それは許さない。私に埋め込んだインナーマザーはもうお払い箱なのだ。母の怨念をお祓いする。
言葉を使って、このブログを使って。
2014年11月22日土曜日
騙されていたこと、これからは騙されたくないこと
私は親に騙されていたと思う。親は騙したつもりはないだろう、私を使役することは当然の権利だと思っていたのだろうし、自分たちの不幸を埋め合わせるために育てたのだから、それに従わない私の方が悪いことになる。そんな親に対して、何かしてあげようという気持ちになれない人間なのだ、私は。冗談じゃない、ピント外れの恩着せで騙された私の怒りのやり場は?ずっとその怒りを自分から隠してきた。それで周りの人に迷惑もかけた。怒りを親にきちんと返せていたら、周りに迷惑をかけずに済んだのにと思う。私を騙さずにいてくれた人も、親のように私を騙した人も、どちらとも安定した対人関係を築けなかった。対人関係を維持するということに関してはものすごく中途半端だと思う。対人関係療法は私にはできない。ないからだ。
私に今あるのは怒りだ、長年積み重なった怒りだ。努力しているにもかかわらず馬鹿にされ、努力を認めてもらっても自信が持てない自分の不甲斐なさに対する怒り。相手の気持ちを優先し自分の気持ちは無視しろと要求され、誰かに助けを求めたいのに、どうやって求めたらいいのかわからない。誰かに理解され、信頼され、安心して迷惑をかけたり、かけられたりしたいのに、結局私は一人で居る。
騙されながら誰かといるよりは一人で居る方がマシと思ってきたが、なぜこの二つの選択肢しか私は持てないのだろう。誰かと信頼し合うとか、安心して誰かといるとかができないからこの二つしか選択肢が持てないのだろう。
私は変わりたい。相手に優しくしたり、思いやったりするのはやめようと思う。それで舐められて、馬鹿にしてもいい人間だと思われてしまうのだ。私が優しさとか思いやりとか思っているものは多分別の何かだと思う。相手をつけあがらせるだけの何か良くないものなのだ。攻撃しないだけで十分ではないか、立ち入ってこないだけで十分まともだと思う。対人距離とか自他境界がきちんとあるのが安心できる対人関係だと思う。
私には全然自信がない。何かをする自信がなくて、一人でいたい、誰とも会いたくないし、話したくないと思っている。もう嫌だと心底思っている。自分がどう思っているのかよくよく自分に聞いてみるとろくな答えが返ってこない。何とかしたいのに、怒りや嫌気でいっぱいになっている。自分がどんな人間か、どう感じているかを無視して、やらなくてはならないことを強要してきた結果がこれなのだ。もう消えてしまいたい。自分に何かができるとは思えなくなってしまった。
気分が不安定で、ネガティブな方向へ来たと思う。少し休んで、自分のために何かしてそれからまた考えようと思う。私の中には私を責め、苦しめることを専らにする誰かが生息しているらしい。そいつに死んで欲しい。
私に今あるのは怒りだ、長年積み重なった怒りだ。努力しているにもかかわらず馬鹿にされ、努力を認めてもらっても自信が持てない自分の不甲斐なさに対する怒り。相手の気持ちを優先し自分の気持ちは無視しろと要求され、誰かに助けを求めたいのに、どうやって求めたらいいのかわからない。誰かに理解され、信頼され、安心して迷惑をかけたり、かけられたりしたいのに、結局私は一人で居る。
騙されながら誰かといるよりは一人で居る方がマシと思ってきたが、なぜこの二つの選択肢しか私は持てないのだろう。誰かと信頼し合うとか、安心して誰かといるとかができないからこの二つしか選択肢が持てないのだろう。
私は変わりたい。相手に優しくしたり、思いやったりするのはやめようと思う。それで舐められて、馬鹿にしてもいい人間だと思われてしまうのだ。私が優しさとか思いやりとか思っているものは多分別の何かだと思う。相手をつけあがらせるだけの何か良くないものなのだ。攻撃しないだけで十分ではないか、立ち入ってこないだけで十分まともだと思う。対人距離とか自他境界がきちんとあるのが安心できる対人関係だと思う。
私には全然自信がない。何かをする自信がなくて、一人でいたい、誰とも会いたくないし、話したくないと思っている。もう嫌だと心底思っている。自分がどう思っているのかよくよく自分に聞いてみるとろくな答えが返ってこない。何とかしたいのに、怒りや嫌気でいっぱいになっている。自分がどんな人間か、どう感じているかを無視して、やらなくてはならないことを強要してきた結果がこれなのだ。もう消えてしまいたい。自分に何かができるとは思えなくなってしまった。
気分が不安定で、ネガティブな方向へ来たと思う。少し休んで、自分のために何かしてそれからまた考えようと思う。私の中には私を責め、苦しめることを専らにする誰かが生息しているらしい。そいつに死んで欲しい。
2014年11月20日木曜日
生活の質/QOL
quality of life,QOLとは一人一人の人生の内容の質や社会的に見た生活の質のこと。
どれだけ人間らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているかということを尺度とする。
社会的地位が高いことも、経済的な優位も幸福を見出せないかぎりはQOLを上げることはなく、生活水準とは別の尺度である。医療面で侵襲的な治療を受けるか否か、終末医療をどう選択するか、など限られた状況でしかお目にかからないが、人生の質は、年齢や状況に関係なく常に考慮していいと思う。
さて、私のQOLはとても低いと思う。ありのままの私は拒否され、母の評価にすぎないものを押し付けられ、母の不安はプレッシャーとして私に押し付けられた。結果として私は、自分を知られたら嫌われると思い、自分の意見に自信がなく言いたいことが言えず、自分の気持ちを他人に伝えられずに我慢してしまうようになった。著しくQOLの低い人生を送ってきたと思う。母は一時的にせよ、それでQOLを上げていたのだろう。これは私が止めるように言って止めさせられるものではなく、母の死によってしか止むことはないのだと思う。私が母の死を望むのは、私のQOLを下げようとしないで欲しいからだ。私のQOLを下げてまで母に生きていて欲しいとは思っていないのだ。死ぬまで私に対して批評家の立場を取り続け、ダメ出しをし続けて、自分のQOLを高くするつもりだということは分かった。このことに関して私にできることはもう何もない、諦めることにする。
私は何の意味も無いのだ。母親にとって好都合なサンドバッグで、人間として見ることはなかったのだ。だから私は他人からもダメ出しをされるサンドバッグになったのだ。
自分がなぜこうなったかを知ることは、常に救いだと思う。母親にとってサンドバッグだった私は、私自身にとっては何か。もちろん人間である。自信がなく、QOLの低い人生を送っているが、人間だと思う。自分のことをゴミだ、ムシケラだと思い、そこから這い上がろうとしているものは人間だと思う。もう疲れてしまって這い上がる気力も尽きてしまったように思うが、私は人間なのだ。
母が死に、私の人生の始めからQOLを落とし続けてきた人間が去って行く。私のQOLと引き換えに母のQOLを上げることは母の死をもって止むのだ。
母の死を現実のものとして考えるようになって、自分のQOLを上げるための試行を再び始めようという気力が湧いてきたと思う。これで私のQOLを上げられなかったら、再度何が理由なのか探り、再々試行しなくてはならなくなるが、おそらく大丈夫だという謎の確信めいたものがある。
私の「母親」はもう死んだ。法的に母の立場にある人間が生きていようが死んでいようが、私をどう使おうが、もう私には無意味になってしまった。母の立場にいた人間を私なりに愛したつもりだったが、それは過去のことであって、今はもう諦めてしまったのだ。大切だったが、今はもういらない。なくても生きていける私になろうと思う。いらないものを抱えて生きていくのは、意外と重荷で、辛いものなのだから。QOLが下がってしまうことはしたくない。手放して生きて行きたいと思うのだ。
どれだけ人間らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているかということを尺度とする。
社会的地位が高いことも、経済的な優位も幸福を見出せないかぎりはQOLを上げることはなく、生活水準とは別の尺度である。医療面で侵襲的な治療を受けるか否か、終末医療をどう選択するか、など限られた状況でしかお目にかからないが、人生の質は、年齢や状況に関係なく常に考慮していいと思う。
さて、私のQOLはとても低いと思う。ありのままの私は拒否され、母の評価にすぎないものを押し付けられ、母の不安はプレッシャーとして私に押し付けられた。結果として私は、自分を知られたら嫌われると思い、自分の意見に自信がなく言いたいことが言えず、自分の気持ちを他人に伝えられずに我慢してしまうようになった。著しくQOLの低い人生を送ってきたと思う。母は一時的にせよ、それでQOLを上げていたのだろう。これは私が止めるように言って止めさせられるものではなく、母の死によってしか止むことはないのだと思う。私が母の死を望むのは、私のQOLを下げようとしないで欲しいからだ。私のQOLを下げてまで母に生きていて欲しいとは思っていないのだ。死ぬまで私に対して批評家の立場を取り続け、ダメ出しをし続けて、自分のQOLを高くするつもりだということは分かった。このことに関して私にできることはもう何もない、諦めることにする。
私は何の意味も無いのだ。母親にとって好都合なサンドバッグで、人間として見ることはなかったのだ。だから私は他人からもダメ出しをされるサンドバッグになったのだ。
自分がなぜこうなったかを知ることは、常に救いだと思う。母親にとってサンドバッグだった私は、私自身にとっては何か。もちろん人間である。自信がなく、QOLの低い人生を送っているが、人間だと思う。自分のことをゴミだ、ムシケラだと思い、そこから這い上がろうとしているものは人間だと思う。もう疲れてしまって這い上がる気力も尽きてしまったように思うが、私は人間なのだ。
母が死に、私の人生の始めからQOLを落とし続けてきた人間が去って行く。私のQOLと引き換えに母のQOLを上げることは母の死をもって止むのだ。
母の死を現実のものとして考えるようになって、自分のQOLを上げるための試行を再び始めようという気力が湧いてきたと思う。これで私のQOLを上げられなかったら、再度何が理由なのか探り、再々試行しなくてはならなくなるが、おそらく大丈夫だという謎の確信めいたものがある。
私の「母親」はもう死んだ。法的に母の立場にある人間が生きていようが死んでいようが、私をどう使おうが、もう私には無意味になってしまった。母の立場にいた人間を私なりに愛したつもりだったが、それは過去のことであって、今はもう諦めてしまったのだ。大切だったが、今はもういらない。なくても生きていける私になろうと思う。いらないものを抱えて生きていくのは、意外と重荷で、辛いものなのだから。QOLが下がってしまうことはしたくない。手放して生きて行きたいと思うのだ。
2014年11月12日水曜日
祖父が負わされたもの
このブログは母のことを書いているブログだが、祖父について書いてみようと思う。
祖父は明治生まれ。七人兄弟の長男として生まれ、両親ではなく祖父母のところで育てられている。すぐ下の妹も、生まれると祖父母の元に移された。その二人以外は両親の元で育てられた。戸籍上祖父母だが、長兄が末弟を養子にしていたので伯父夫婦に育てられたことになる。この枠組みだけであれば旧戸籍法ではありふれたことである。
私から見て高祖父(実際は曾祖伯父)は芸者を身請けして妻にしたが子はなく、養子にした末弟から子供を男女一人づつ取り上げて六歳頃まで育て、ポイ捨てしたのであろうと思っている。かなりのクソ野郎である。曾祖父は戻ってきた長男長女がおかしくなって、他の兄弟とうまくいかないにもかかわらず何ら手を打たなかった。それだけではない、アルコール依存となり五十代になって間もなく肝硬変で死亡した。無責任カス野郎である。この二人はあろうことか医者であった。DQNなのに。いくら未開の時代の呪術レベルの医療であっても酷い。仁術と言われていた頃に仁のカケラもない。他人に対する親愛の情、優しさが仁だそうだが、ふざけてんのか?と思う。曾祖父は、傷害事件も起こしている。米の目方を石を入れてごまかそうとした小作人の腕を切り落とし、それを金を渡して店を持たせて済ませ、自分は当時開拓中だった北海道で二年程医者をしてからまた戻っている。その神経が理解できない。
このクソカス兄弟の元に生まれた祖父は決して幸せではなかったと思う。六歳までを伯父の元で過ごしたことは致命的だった。同じくそこで育った妹と二人、頭がおかしいと言われるような状態だったのだから。祖父の末弟は幼いうちに病死しているのだが、唯一この弟だけは祖父は好きだったらしく、医者でありながら助けられなかったことを理由に伯父と父の二人を憎んでいた。このこと以外で二人について語ることは一切なかった。
進学のため家を出た祖父は、医学部に入ると言って実は文学部にいた。株で金を稼いでいたらしいのだが、結局は医学部に行っていないこと、大金を手にしていることがバレ、連れ戻されている。そこから祖父は復讐モードに入ってしまい、弟たちを全員追い出し、曾祖父が病死して家長となったのち家を破産させた。あまりにも早く復讐が終わってしまったため、祖父はここで目的を見失ったと思う。もしも一生かかるような難題であったなら祖父にとってまだマシだったのだろうが、何せクソカス兄弟が土台を蝕んでいたものだから、あっけなく崩壊してしまった。
その後の祖父は自分は病気だと言ってろくに働かず、自分の息子達、私の伯父と父を働かせていた。ついでに競馬にハマりキャンブル依存となった。ちなみに祖母も曾祖母も非常に短命で、末子を産むと感染症で死亡している。残された夫たちは迷走人生を歩む。父方の家はいずれは崩壊したと思うのだが、祖父がそこから脱出できなかったことがあまりにも哀れだ。壊すことは自由になることと違う。壊したのに、その家から自由になれなかった祖父は絶望したと思う。周りは取り合わなかったが、祖父は確かに病気だったと思う。精神療法を受けなくては、自分が幼い頃どのように育てられたのかを語らなくてはならなかったと思う。小説家になりたかった祖父は、自分の物語を語ることが全くできなかった。小説家になることを諦め、自分の物語を語らずに人生を終わらせてしまった。祖父の物語を聞いてあげたかったが、語ることも、書くこともせずに祖父は去った。祖父は症状で語ってはいたのだが、私は幼過ぎ、恐怖が強すぎて理解できず、通常の記憶もできなかった。
祖父は私や兄の持ち物で暴力をふるっていた。兄のブリキのおもちゃで父を殴って流血させ、私の子供椅子で母を殴り倒した。私と兄は同じことをされていたのを何十年もお互いに知らなかった。祖父が見た光景とおそらく同じなのだろう。同じことを祖父の妹もされていて、お互いに知らなかったのだろう。私はずっと母親を自分の座る椅子で殴るという画像にとりつかれていた。意識の上では思い出せなかった三歳未満の記憶を、どう話し合っても決裂して母を椅子で殴って終わるという強迫的な観念のなかに保持していた。子供用椅子が大嫌いで、それに座る幼い姪を見た時の恐怖と怒り、暴力への衝動。理由がわからなかったが、自分が何を見たのか知らされたのち、椅子で殴るイメージも子供用椅子に対する恐怖も消えていた。
祖父も祖父の妹も一人っきりで、自分の物、自分に所属する物で誰かに暴力が加えられるのを見せられたのだろう。自分の物であるがゆえに自分が加担していること、自分の責任であることを非言語的に宣告されたのだ。言葉を使わない、反論も拒否もできない無理矢理の加担と責任の押しつけ。犯行の目撃と同時の有罪宣告。凶器を振り下ろしたのはその持ち主ではなかったというのに。
幼い祖父に仕掛けられた時限爆弾は自爆テロのように祖父とその家を破壊した。そして祖父は幼い孫たちに同じ時限爆弾を仕掛けた。最初に誰が仕掛けたのか知らないけれど、世代を超えて時限爆弾は繰り返し仕掛けられ、仕掛けられた人間とその周りの人間を破壊し続けた。語られることが解除になるから言葉を持たない幼児に仕掛けられてきたのだと思う。精神科医の指示に従って行動している間に副次的に得られたことだが、これが祖父にも起こっていたらと思う。父方の家に対するどんな恨みがあって幼い子供に時限爆弾を仕掛けたのか知らないが、効果は絶大だったと思う。父方の家はもう存在していない。怖ろしい家だと子供心に恐怖していたので無くなってくれて内心ホッとしていたのだが、もう少し手加減して欲しかったよ、爆弾犯殿。
祖父は明治生まれ。七人兄弟の長男として生まれ、両親ではなく祖父母のところで育てられている。すぐ下の妹も、生まれると祖父母の元に移された。その二人以外は両親の元で育てられた。戸籍上祖父母だが、長兄が末弟を養子にしていたので伯父夫婦に育てられたことになる。この枠組みだけであれば旧戸籍法ではありふれたことである。
私から見て高祖父(実際は曾祖伯父)は芸者を身請けして妻にしたが子はなく、養子にした末弟から子供を男女一人づつ取り上げて六歳頃まで育て、ポイ捨てしたのであろうと思っている。かなりのクソ野郎である。曾祖父は戻ってきた長男長女がおかしくなって、他の兄弟とうまくいかないにもかかわらず何ら手を打たなかった。それだけではない、アルコール依存となり五十代になって間もなく肝硬変で死亡した。無責任カス野郎である。この二人はあろうことか医者であった。DQNなのに。いくら未開の時代の呪術レベルの医療であっても酷い。仁術と言われていた頃に仁のカケラもない。他人に対する親愛の情、優しさが仁だそうだが、ふざけてんのか?と思う。曾祖父は、傷害事件も起こしている。米の目方を石を入れてごまかそうとした小作人の腕を切り落とし、それを金を渡して店を持たせて済ませ、自分は当時開拓中だった北海道で二年程医者をしてからまた戻っている。その神経が理解できない。
このクソカス兄弟の元に生まれた祖父は決して幸せではなかったと思う。六歳までを伯父の元で過ごしたことは致命的だった。同じくそこで育った妹と二人、頭がおかしいと言われるような状態だったのだから。祖父の末弟は幼いうちに病死しているのだが、唯一この弟だけは祖父は好きだったらしく、医者でありながら助けられなかったことを理由に伯父と父の二人を憎んでいた。このこと以外で二人について語ることは一切なかった。
進学のため家を出た祖父は、医学部に入ると言って実は文学部にいた。株で金を稼いでいたらしいのだが、結局は医学部に行っていないこと、大金を手にしていることがバレ、連れ戻されている。そこから祖父は復讐モードに入ってしまい、弟たちを全員追い出し、曾祖父が病死して家長となったのち家を破産させた。あまりにも早く復讐が終わってしまったため、祖父はここで目的を見失ったと思う。もしも一生かかるような難題であったなら祖父にとってまだマシだったのだろうが、何せクソカス兄弟が土台を蝕んでいたものだから、あっけなく崩壊してしまった。
その後の祖父は自分は病気だと言ってろくに働かず、自分の息子達、私の伯父と父を働かせていた。ついでに競馬にハマりキャンブル依存となった。ちなみに祖母も曾祖母も非常に短命で、末子を産むと感染症で死亡している。残された夫たちは迷走人生を歩む。父方の家はいずれは崩壊したと思うのだが、祖父がそこから脱出できなかったことがあまりにも哀れだ。壊すことは自由になることと違う。壊したのに、その家から自由になれなかった祖父は絶望したと思う。周りは取り合わなかったが、祖父は確かに病気だったと思う。精神療法を受けなくては、自分が幼い頃どのように育てられたのかを語らなくてはならなかったと思う。小説家になりたかった祖父は、自分の物語を語ることが全くできなかった。小説家になることを諦め、自分の物語を語らずに人生を終わらせてしまった。祖父の物語を聞いてあげたかったが、語ることも、書くこともせずに祖父は去った。祖父は症状で語ってはいたのだが、私は幼過ぎ、恐怖が強すぎて理解できず、通常の記憶もできなかった。
祖父は私や兄の持ち物で暴力をふるっていた。兄のブリキのおもちゃで父を殴って流血させ、私の子供椅子で母を殴り倒した。私と兄は同じことをされていたのを何十年もお互いに知らなかった。祖父が見た光景とおそらく同じなのだろう。同じことを祖父の妹もされていて、お互いに知らなかったのだろう。私はずっと母親を自分の座る椅子で殴るという画像にとりつかれていた。意識の上では思い出せなかった三歳未満の記憶を、どう話し合っても決裂して母を椅子で殴って終わるという強迫的な観念のなかに保持していた。子供用椅子が大嫌いで、それに座る幼い姪を見た時の恐怖と怒り、暴力への衝動。理由がわからなかったが、自分が何を見たのか知らされたのち、椅子で殴るイメージも子供用椅子に対する恐怖も消えていた。
祖父も祖父の妹も一人っきりで、自分の物、自分に所属する物で誰かに暴力が加えられるのを見せられたのだろう。自分の物であるがゆえに自分が加担していること、自分の責任であることを非言語的に宣告されたのだ。言葉を使わない、反論も拒否もできない無理矢理の加担と責任の押しつけ。犯行の目撃と同時の有罪宣告。凶器を振り下ろしたのはその持ち主ではなかったというのに。
幼い祖父に仕掛けられた時限爆弾は自爆テロのように祖父とその家を破壊した。そして祖父は幼い孫たちに同じ時限爆弾を仕掛けた。最初に誰が仕掛けたのか知らないけれど、世代を超えて時限爆弾は繰り返し仕掛けられ、仕掛けられた人間とその周りの人間を破壊し続けた。語られることが解除になるから言葉を持たない幼児に仕掛けられてきたのだと思う。精神科医の指示に従って行動している間に副次的に得られたことだが、これが祖父にも起こっていたらと思う。父方の家に対するどんな恨みがあって幼い子供に時限爆弾を仕掛けたのか知らないが、効果は絶大だったと思う。父方の家はもう存在していない。怖ろしい家だと子供心に恐怖していたので無くなってくれて内心ホッとしていたのだが、もう少し手加減して欲しかったよ、爆弾犯殿。
2014年11月5日水曜日
支配されちゃう私
支配されちゃう人々,大嶋信頼 をタイトルの"ちゃう"に目が吸い寄せられ、読む。ミラーニューロンについては、興味があったので大元になる文献は読んでいたので、そこまで言う?と疑問に思うのだが、なんちゃって科学ということで気にしないことにする。むしろユングの集合無意識については、分かりやすくていいなと思った。ラカンにしろユングにしろ門外漢にはとても難解で、現代語訳とか、超訳などはとてもありがたい。分かりやすくするために犠牲になっている部分もあるのだろうけれど。
ずっと支配されていろ、でも他人や社会には愛されている、自由にさせてもらったと言え!と親に強要されてきた。誰が食わせてやっている、住まわせてやっているんだ、誰のおかげで生きているんだ!犠牲になっていりゃいいんだ、お前が我慢すればいいんだ!と、親からも他人からも言われ続け、逃げ続けてきた。その結果私の居場所はどこにもなかった。親の家は最も支配される場所で、支配され、心を喰われる場所だった。
常に移動し続ける草食獣のように、他の人たちのなかに隠れながら、一つ所にとどまらないように、悪目立ちしないように生きていた。人の心を喰う人外たちも混じる集団のなかではそもそも無理なことなのだが、数が多いことだけが救いだった。両親の家では喰われるしかなかったから、たまに逃げられるだけマシだった。これをマシと言ってしまう私は自尊心が全くなかったと思う。
支配しようとする人間は惨めで醜悪な人間だ。私のことを、優しい人間だ、優しくしてくれ、我慢してくれ、と泣き落としにかかったり、私の拒否に対して怒って見せたりと三文芝居を繰り広げる。それはそれは醜悪である。本物の芝居を見たことのある人間にそんなものは通用しない。ただひたすら大根役者め…と思うだけだ。決められたセリフを言わない、筋書き通りに動かない私に対して心底吃驚した顔、傷ついた顔をする。その顔は、思い出しただけで笑えるくらいの無様な顔だ。鏡見てご覧?と鏡を差し出してやりたくなる。唾棄すべきものに対しては、唾棄してあげるのが正しい対応なのだろう。それをかわいそうに思って不問に付するのはむしろ不親切なのだろう。「ザマァ」と言ってあげている人たちはむしろ親切だと思う。鏡になってどう見えるかはっきり教えているのだから、曇りない鏡だと思う。歪んだ鏡となり、相手の妄想通りの支配者様を映してきたのが支配されちゃう私だ。
支配されちゃう人間であることを辞めるのは難しいことだが、自己催眠療法とカウンセリングを地道に続けることでいいらしい。方向性に間違いはない、ということはとても安心できる。何処まで回復できるのかは私にとっては高望みだと思う。必死にやっていることが根本から間違ってさえいなければ、大した成果が得られなくても、おそらく納得だけはできるだろう。私はこれまで、納得していないことのために努力してきて後悔してきたのだ。誰が泣こうが喚こうが自分が納得したこと以外はしない。決して。
親の愛は絶対だ、無いというのは子が悪い!という前提である社会や他人この二つのズレがどうしようもなく苦しかったのだと思う。親の愛が絶対なら、私にこのままずっと支配されていろと言うのか⁉︎という怒りと驚愕だ。
私の親が私に与えたものは絶対に愛ではない!という私自身の感覚
ずっと支配されていろ、でも他人や社会には愛されている、自由にさせてもらったと言え!と親に強要されてきた。誰が食わせてやっている、住まわせてやっているんだ、誰のおかげで生きているんだ!犠牲になっていりゃいいんだ、お前が我慢すればいいんだ!と、親からも他人からも言われ続け、逃げ続けてきた。その結果私の居場所はどこにもなかった。親の家は最も支配される場所で、支配され、心を喰われる場所だった。
常に移動し続ける草食獣のように、他の人たちのなかに隠れながら、一つ所にとどまらないように、悪目立ちしないように生きていた。人の心を喰う人外たちも混じる集団のなかではそもそも無理なことなのだが、数が多いことだけが救いだった。両親の家では喰われるしかなかったから、たまに逃げられるだけマシだった。これをマシと言ってしまう私は自尊心が全くなかったと思う。
支配しようとする人間は惨めで醜悪な人間だ。私のことを、優しい人間だ、優しくしてくれ、我慢してくれ、と泣き落としにかかったり、私の拒否に対して怒って見せたりと三文芝居を繰り広げる。それはそれは醜悪である。本物の芝居を見たことのある人間にそんなものは通用しない。ただひたすら大根役者め…と思うだけだ。決められたセリフを言わない、筋書き通りに動かない私に対して心底吃驚した顔、傷ついた顔をする。その顔は、思い出しただけで笑えるくらいの無様な顔だ。鏡見てご覧?と鏡を差し出してやりたくなる。唾棄すべきものに対しては、唾棄してあげるのが正しい対応なのだろう。それをかわいそうに思って不問に付するのはむしろ不親切なのだろう。「ザマァ」と言ってあげている人たちはむしろ親切だと思う。鏡になってどう見えるかはっきり教えているのだから、曇りない鏡だと思う。歪んだ鏡となり、相手の妄想通りの支配者様を映してきたのが支配されちゃう私だ。
支配されちゃう人間であることを辞めるのは難しいことだが、自己催眠療法とカウンセリングを地道に続けることでいいらしい。方向性に間違いはない、ということはとても安心できる。何処まで回復できるのかは私にとっては高望みだと思う。必死にやっていることが根本から間違ってさえいなければ、大した成果が得られなくても、おそらく納得だけはできるだろう。私はこれまで、納得していないことのために努力してきて後悔してきたのだ。誰が泣こうが喚こうが自分が納得したこと以外はしない。決して。
2014年10月28日火曜日
辺境住みと蜃気楼
落ち着いて本やテキストを読む時期の後、アウトプットしたい気分になったようだ。世間を騒がせる事件は、本が出版されるくらいの時間が経ってから関心を持つ。黒子のバスケ脅迫事件からはまだそれほど時間が経っていないが、本人の著書が出版されるなど、進み方が恐ろしく早く、もうだいぶ時間の経った事件のように思われるので少し書いてみたい。
最近の事件は事件を起こした側が文章を書いている。事件が起こって、被害者なり加害者なりが第三者によって書き立てられて、否応なしに事件について知ることになるのだが、渡邊受刑者本人の文章がネットで読めてしまう。当事者が生きていればこそだと思う。渡邊受刑者が読んで人生が改めて始まったと言う、消えたい/高橋和巳 を私も読んでみた。高橋和巳氏は被虐待者を治療する精神科医であり、非被虐待者。渡邊受刑者と私は被虐待者である。各用語の対応は必ずしも一対一対応ではないが、おそらく対応しているのではないかと思われるものを当てはめた。
高橋和巳氏は、世界を三つ設定している。
以上が大変ざっくりした氏の著書の大前提のようなものと言えるかと思う。ジャック・ラカンの象徴界、想像界、現実界のことだろうかと読んでいて思ってしまった。さらに渡邊受刑者がどう名付けたかと、私自身がどう名付けたかを書こうと思う。宇宙や、現実界は言語で表現不可、人間の認識範囲を超えているので、この二名には表現する語はない。
渡邊受刑者は、社会的存在となれなかった自分は「生ける屍」にしかなれず、茫漠たる怨念を持った「埒外の民」になってしまったと書いている。埒外の民とは上位概念らしいが、成人期以前の人間に適用するとしている。大人になってから、人や社会、地域とのつながりを持てれば「キズナマン」持てなければ「浮遊霊」。繋がりの全てを黒子のバスケ作者により切られてしまったと感じた渡邊受刑者は、浮遊霊からこの世に仇をなす「生霊」となった。辺縁の世界に住む異邦人である自分を分類している。変化や差異に敏感な人なのだろう…とかなり大雑把な私は思う。
さて私だが、「辺境住み」と「蜃気楼」だ。埒外の民は辺境の民と酷似だし、民が複数を連想させるので、住みにしたのでほぼ同じ意味ではないかと思われる。異邦人=辺境住みの私の社会的な存在は、蜃気楼レベルで実体がない。蜃気楼=高橋和巳氏の社会的存在、渡邊受刑者の浮遊霊だ。社会的存在であろうとする意志の強さが犯罪を選ばせたのかと思うほど、私は社会的存在であろうとする気力に欠けている。他者との間で起こることは蜃気楼に対して起こることであって、辺境に一人住まう私に変わりはない。いつ反転したのか覚えていないが、辺境にいる私の方が私なのだ。普通の人にはそれは存在していない、と異邦人を多数診てきた精神科医が本に書くまで知らなかった。いや、もう一人の異邦人が知らなかったと書くまで知る由もなかった。私の辺境は、トールキンの書くモルドールに似ている。火山ガスと硫黄たちこめるモルドールを、凍てついた、一滴の水も、生命もない場所にしたものだ。身を切る寒風が吹き続ける渇ききった世界だ。そこには私一人しかいない。社会的な存在であるためにつけられた私の名前には意味がない場所。私は名前のない存在で、名前がついているのは蜃気楼の方だ。
出所後自殺するという渡邊受刑者は、両親、いじめた人間、教師たち八人には何もする気力がないらしい。彼らは脅迫を受けた個人や団体に身代わりをさせたようなものだが、どう感じているのだろうか。そんな昔のことで自分に責任を問われても迷惑だ!くらいにしか思わないだろうけれど。いじめをした人間や子供を乱用した親は、後日このような形で社会に暴露されるとは思わなかったろう。せめてもの一太刀を八人に返せていたら、脅迫事件は起こらなかっただろうに。
改めて始まった人生は、プリズンニート生活から始まるようだが、人生の門出を少しだけ祝いたいと思う。人生の最初の呪いが解け、自分の人生と呼べるものを手にできるように、勝手に祈らせてもらおうと思う。
最近の事件は事件を起こした側が文章を書いている。事件が起こって、被害者なり加害者なりが第三者によって書き立てられて、否応なしに事件について知ることになるのだが、渡邊受刑者本人の文章がネットで読めてしまう。当事者が生きていればこそだと思う。渡邊受刑者が読んで人生が改めて始まったと言う、消えたい/高橋和巳 を私も読んでみた。高橋和巳氏は被虐待者を治療する精神科医であり、非被虐待者。渡邊受刑者と私は被虐待者である。各用語の対応は必ずしも一対一対応ではないが、おそらく対応しているのではないかと思われるものを当てはめた。
高橋和巳氏は、世界を三つ設定している。
- 普通の世界:社会的存在、普通の人が生きている
- 辺縁の世界:生命的存在、異邦人が生きている
- 宇宙:絶対的存在、自分の死を自覚したとき意識する
以上が大変ざっくりした氏の著書の大前提のようなものと言えるかと思う。ジャック・ラカンの象徴界、想像界、現実界のことだろうかと読んでいて思ってしまった。さらに渡邊受刑者がどう名付けたかと、私自身がどう名付けたかを書こうと思う。宇宙や、現実界は言語で表現不可、人間の認識範囲を超えているので、この二名には表現する語はない。
渡邊受刑者は、社会的存在となれなかった自分は「生ける屍」にしかなれず、茫漠たる怨念を持った「埒外の民」になってしまったと書いている。埒外の民とは上位概念らしいが、成人期以前の人間に適用するとしている。大人になってから、人や社会、地域とのつながりを持てれば「キズナマン」持てなければ「浮遊霊」。繋がりの全てを黒子のバスケ作者により切られてしまったと感じた渡邊受刑者は、浮遊霊からこの世に仇をなす「生霊」となった。辺縁の世界に住む異邦人である自分を分類している。変化や差異に敏感な人なのだろう…とかなり大雑把な私は思う。
自分が一連の事件を起こした動機は、「自分を存在させていた3つの設定の特に『マンガ家を目指して挫折した負け組』という設定を再び自分で信じ込めるようにするため」この文章を読んだ私の感想は、そっか、なるほどね、だった。自分しか信じていない、妄想に近い設定に対してそこまでするのか?というのが普通の感想だが、そこまでする人はいるのだ。生霊はいるではないか、かなりの頻度で。有名人や組織ではなく、立場が劣るとされているものに、弱いものに粘着しにいくから糾弾されないだけで。高橋和巳氏の社会的存在=渡邊受刑者のキズナマンになろうとしてほぼ死に物狂いの努力をしたのであろうと拝察するが、それが無になり、生霊になってしまった。生ける屍、埒外の民、無敵の人、浮遊霊、生霊は高橋和巳氏の言う異邦人かと思われる。
さて私だが、「辺境住み」と「蜃気楼」だ。埒外の民は辺境の民と酷似だし、民が複数を連想させるので、住みにしたのでほぼ同じ意味ではないかと思われる。異邦人=辺境住みの私の社会的な存在は、蜃気楼レベルで実体がない。蜃気楼=高橋和巳氏の社会的存在、渡邊受刑者の浮遊霊だ。社会的存在であろうとする意志の強さが犯罪を選ばせたのかと思うほど、私は社会的存在であろうとする気力に欠けている。他者との間で起こることは蜃気楼に対して起こることであって、辺境に一人住まう私に変わりはない。いつ反転したのか覚えていないが、辺境にいる私の方が私なのだ。普通の人にはそれは存在していない、と異邦人を多数診てきた精神科医が本に書くまで知らなかった。いや、もう一人の異邦人が知らなかったと書くまで知る由もなかった。私の辺境は、トールキンの書くモルドールに似ている。火山ガスと硫黄たちこめるモルドールを、凍てついた、一滴の水も、生命もない場所にしたものだ。身を切る寒風が吹き続ける渇ききった世界だ。そこには私一人しかいない。社会的な存在であるためにつけられた私の名前には意味がない場所。私は名前のない存在で、名前がついているのは蜃気楼の方だ。
出所後自殺するという渡邊受刑者は、両親、いじめた人間、教師たち八人には何もする気力がないらしい。彼らは脅迫を受けた個人や団体に身代わりをさせたようなものだが、どう感じているのだろうか。そんな昔のことで自分に責任を問われても迷惑だ!くらいにしか思わないだろうけれど。いじめをした人間や子供を乱用した親は、後日このような形で社会に暴露されるとは思わなかったろう。せめてもの一太刀を八人に返せていたら、脅迫事件は起こらなかっただろうに。
改めて始まった人生は、プリズンニート生活から始まるようだが、人生の門出を少しだけ祝いたいと思う。人生の最初の呪いが解け、自分の人生と呼べるものを手にできるように、勝手に祈らせてもらおうと思う。
2014年10月22日水曜日
変えられないことは諦めましょう
私の持つ罪悪感。祖父を助けられず、そのため母を助けることができなかったこと。わかっていながら何も変えることができなかったこと。今の私なら当時の私に対してこう言うのではないのだろうか
目に見えること、今わかっていることだけでこうなってしまったのではないんだよ。あなたが知らないこと、気づいていないこともあるから、どんなに頑張っても変えることはできないんだよ。おじいちゃんのこともお母さんのこともお父さんのことも諦めなさい。あなたが諦めて何もしなくても同じことだよ、なぜかって?こうなったのはあなたのせいじゃないからだよ。究極に無力だなと思うが、子供ならそれは当然だと思う。大人が果たすべき役割が果たされていないからといって、子供に代わりに果たせるものではない。大人が家庭で果たすべき役割を果たさなくても何の罰則もない。放棄された責任を子供が果たそうとしてしまうことはありがちなことではあるが、どう転んでも果たせずに罪悪感を負うだけだ。大人が責任を負うべきではないのだろうか?子供に負わせれば確実に果たせないのに、愛情がなかったのだ。私がそれでどうなろうと関心がなかったのだ。
愛情が自分にはないと思っていた。親から愛してもらえなかったから、愛することは出来ないと思っていたのだろう。前半部分は無意識に押し込んで、愛のない人間だと自分のことを思っていた。憎しみしかなかった。愛から学ぶのが一番いいけれど、同じことは憎しみからも学べるってどこで読んだのか忘れてしまった。でも、読むべき本を読んだんだと思う。自分の努力不足を嘆いてしまうが、辿り着いて読んだ本はきっと他にもあるのだ。
2014年10月6日月曜日
対人関係について
私ひとりでは私はいない。他人が私が存在しているかのような振る舞いをするから、私が存在しているのだと思う。
妙なことを考えていると思われるかもしれないが、自分がいることに確信が持てなかったことがある。誰かに話しかけられて初めて、あぁこの人には私が存在して見えるのだ、私はいるのだ…と思ったのだ。多分だいぶおかしかったと思う。
自分を労わるようになってしばらくしたら、気分が変化したようだ。自分がいるのは自明のことまではいかないが、自己ケアをする対象として以前より存在感があるように思う。まだどこかおかしい気もするが。
対人関係が薄い私ではあるが、その対人関係に私の存在がかかっているのだから、意味はあると思っている。対人関係を続けるように言ってくれた人は、私の存在がかかっているからという理由で助言したのだろうか。最初の対人関係は親とのそれであるが、残念ながら障害を受けるような類のものだった。それをなんとか他の対人関係で乗り越えようとしても、同じ傷をえぐられ、対人関係から引いてしまうのだ。
回復次第努力はするが、かなり嫌気がさしている。繰り返す度に嫌気も増加し、回復に時間がかかっていると思う。そしてようやく良くなったのにまた悪くなるリスクを負って対人関係を持つことがおそらく嫌なのだ。根本的なところで私は十代の頃と変わっていない。自信が持ちたくて努力しても自信が持てない、むしろ自信を失う。
正直休みたい。なぜこんなに疲れてしまったのか。誰からも存在していない状態となって休みたい。死んでしまいたいと思っているように聞こえるらしいのだが、休んで回復できるのではないかと思うから休んでみようと思うのだ、たぶん。死にはしないから、死にたくないから休みたい。
台風接近による気圧の変化により不調なのかもしれない。自分の体が冷えていくように感じる。温かい物を口にしてもいっときだけ。食べた後は消化器に血液が行ってしまい、かえって体が冷たくなってしまう。まだ10月なのに震えるほど寒い。
妙なことを考えていると思われるかもしれないが、自分がいることに確信が持てなかったことがある。誰かに話しかけられて初めて、あぁこの人には私が存在して見えるのだ、私はいるのだ…と思ったのだ。多分だいぶおかしかったと思う。
自分を労わるようになってしばらくしたら、気分が変化したようだ。自分がいるのは自明のことまではいかないが、自己ケアをする対象として以前より存在感があるように思う。まだどこかおかしい気もするが。
対人関係が薄い私ではあるが、その対人関係に私の存在がかかっているのだから、意味はあると思っている。対人関係を続けるように言ってくれた人は、私の存在がかかっているからという理由で助言したのだろうか。最初の対人関係は親とのそれであるが、残念ながら障害を受けるような類のものだった。それをなんとか他の対人関係で乗り越えようとしても、同じ傷をえぐられ、対人関係から引いてしまうのだ。
回復次第努力はするが、かなり嫌気がさしている。繰り返す度に嫌気も増加し、回復に時間がかかっていると思う。そしてようやく良くなったのにまた悪くなるリスクを負って対人関係を持つことがおそらく嫌なのだ。根本的なところで私は十代の頃と変わっていない。自信が持ちたくて努力しても自信が持てない、むしろ自信を失う。
正直休みたい。なぜこんなに疲れてしまったのか。誰からも存在していない状態となって休みたい。死んでしまいたいと思っているように聞こえるらしいのだが、休んで回復できるのではないかと思うから休んでみようと思うのだ、たぶん。死にはしないから、死にたくないから休みたい。
台風接近による気圧の変化により不調なのかもしれない。自分の体が冷えていくように感じる。温かい物を口にしてもいっときだけ。食べた後は消化器に血液が行ってしまい、かえって体が冷たくなってしまう。まだ10月なのに震えるほど寒い。
2014年10月4日土曜日
あなたにもいつか分かるでしょ、のいつかは来なかった。
母に関わっていると自分のことがお留守になる。全てが母を中心に回るようになるのだ。母は自分以外の誰にも興味はない、マウンティングするための粗探し以外には。
話は全て母自身のことになる。周りは常に二の次にされるのを身に沁みる以上に理解させられる。私も大して充実した人生は送っていないが、これほど空疎な人生を見ているのはやはりキツイものがある。母は自分自身に夢中なのだろう。私には魅力的な人には思えないが、本人は自分が優れていると思っているから仕方ない。
母について考えていると本当に嫌な気持ちになる。大人になればわかると言って、私の意見や考えを一切退けてきたが、大人になってわかったのは、母はむしろ酷いことをしていたということだけだ。いつか理解できる日が来るという期待が私にあったから、こんなにも嫌な気持ちになるのだ。どう責任を取るつもりだったのか知りたかった。ただ母には言ったことの責任を取るつもりなど端から無く、その場しのぎを言って我を通したかったのだ。
それを真に受けて、いつか分かるんだと何年も待った私が馬鹿なのだろう。母は、母の方が頭がいいんだから言う通りにしなさい、いつか分かるでしょう、とどんなに私が説明しても無視していた。右から左に聞き流しておいて、聞くだけは聞いてやったんだから自分は良い母親、黙って従っていればいいんだ、と。母のそんな高慢さ、卑怯さは私にはわかるまで何十年もかかってしまった。
自分が理解できないのは、相手の説明が悪いからで、それに従う必要などない、
相手が理解できないのは、相手の理解力が足りないせい、いつか分かるから従うべき
凄いダブルスタンダードだ。ダブルスタンダードは本人は気づかず、いい気分になっているけれど、言われた方は気づいて不快になるのだ。
話は全て母自身のことになる。周りは常に二の次にされるのを身に沁みる以上に理解させられる。私も大して充実した人生は送っていないが、これほど空疎な人生を見ているのはやはりキツイものがある。母は自分自身に夢中なのだろう。私には魅力的な人には思えないが、本人は自分が優れていると思っているから仕方ない。
母について考えていると本当に嫌な気持ちになる。大人になればわかると言って、私の意見や考えを一切退けてきたが、大人になってわかったのは、母はむしろ酷いことをしていたということだけだ。いつか理解できる日が来るという期待が私にあったから、こんなにも嫌な気持ちになるのだ。どう責任を取るつもりだったのか知りたかった。ただ母には言ったことの責任を取るつもりなど端から無く、その場しのぎを言って我を通したかったのだ。
それを真に受けて、いつか分かるんだと何年も待った私が馬鹿なのだろう。母は、母の方が頭がいいんだから言う通りにしなさい、いつか分かるでしょう、とどんなに私が説明しても無視していた。右から左に聞き流しておいて、聞くだけは聞いてやったんだから自分は良い母親、黙って従っていればいいんだ、と。母のそんな高慢さ、卑怯さは私にはわかるまで何十年もかかってしまった。
自分が理解できないのは、相手の説明が悪いからで、それに従う必要などない、
相手が理解できないのは、相手の理解力が足りないせい、いつか分かるから従うべき
凄いダブルスタンダードだ。ダブルスタンダードは本人は気づかず、いい気分になっているけれど、言われた方は気づいて不快になるのだ。
開設して一ヶ月
ふと気づくと開設から一ヶ月以上が過ぎていた。なんとか続けられて嬉しいが、ふと母が死ぬまで何年もかかったらと思うと、暗澹たる気持ちになる。母のことは考えざるを得ないのだから、ブログに書いた方がいい、それは確かだ。
しかしあまりにも黒いのだこのブログは!と自分で作っておいて文句タラタラである。
表向き用のブログを作って、明るいブログ主が、ほっこり、丁寧に暮らしていますぅ☆画像をメインに、文章は簡潔、改行たくさんです!を作ってみようかと。…無理だ。
でもそれが2ちゃんねるでニラヲチされたら、嬉しくてばりばり創作してしまうかもしれない。しかしそれは遠い道のりだ。
私は、くだらない妄想にふけるのが楽しくて好きなのだ。誰かに話して面白がって欲しいと思ったりもするが、ドン引きリスクもあるのでなかなかリアルでは言えない。とりあえず当分死にそうにない母親は放っといて、何か始めてみることにする。何って言われてもチョット困るのだが…未定ですって未定なのか!?決めてからでしょう普通…?
しかしあまりにも黒いのだこのブログは!と自分で作っておいて文句タラタラである。
表向き用のブログを作って、明るいブログ主が、ほっこり、丁寧に暮らしていますぅ☆画像をメインに、文章は簡潔、改行たくさんです!を作ってみようかと。…無理だ。
でもそれが2ちゃんねるでニラヲチされたら、嬉しくてばりばり創作してしまうかもしれない。しかしそれは遠い道のりだ。
私は、くだらない妄想にふけるのが楽しくて好きなのだ。誰かに話して面白がって欲しいと思ったりもするが、ドン引きリスクもあるのでなかなかリアルでは言えない。とりあえず当分死にそうにない母親は放っといて、何か始めてみることにする。何って言われてもチョット困るのだが…未定ですって未定なのか!?決めてからでしょう普通…?
2014年10月1日水曜日
身近な人の「攻撃」がスーッとなくなる本,水島広子
私が困っていることに対する回答のようなタイトルに惹かれ、読む。かなり実行の難しいことが書いてあるのだが、それを攻撃と解釈しなければ、攻撃がなくなることは確かである。相手を変えることはできないけれど、自分は変えられる、の典型のようだと思う。そして自分を変えることは、やっぱり難しいことではあるのだが。
step2では「攻撃」からダメージを受けない方法が書かれているのだが、攻撃を受けた時、「衝撃」を感じてしまって、そのこと自体がとても嫌だったのだが、切り替えがとっさにできないことは仕方のないことだということが分かった、ぶつけたらしばらくぶつけたところは痛い、当たり前なのだ。もう衝撃を受けたくないと、「避ける」「心を閉ざす」「警戒的になる」「すぐ怒る」という形で対人関係が影響される、とあった。これはその通り自分に起こった反応だったと思う。情けないが、感情的になってしまうのだ。自信がすっかりなくなってしまったが、それは「ただ衝撃への反応が起こっているのだ」と知ることにより避けられるだろうか?自信喪失して悪循環の罠にはまってしまうことは是非とも避けたい、不要なことだから。自分がダメなやつだ、ゴミ屑だという気持ちが強くなったら、「衝撃」を受けなかったかどうか振り返ろうかと思う。侮辱されることに馴らされた人間にとっては、衝撃すら鈍麻によって感じにくくなるから。気づかぬうちに忍び寄る恐怖のようだ。
しかし、自由であることが、相手が我慢していること、の場合それが「脅威」と取られることもあるのだけれど…これで「攻撃」されたことも結構あったような気がする。それでも相手が困っている人であることには変わりはないから、「お見舞いの一言」として、すみませんを言って、「かわす」を第一選択にするしかないと思う。特に仕事上の関係は、支障のない範囲で「かわす」、に変更しようと思う。これまでは「対処」を選択することが多かったと思う。今後は変えていこうと思う。実際の「攻撃」は突然加えられるし、第三者以降が加わって話がややこしくなるので、相手を安心させるとか、働きかけについてのstep4はやらないと思う。やっても無駄だという結論を自分が出してしまっていることに気づいた。
- 「脅威!」と感じるから、「攻撃」してしまう
step2では「攻撃」からダメージを受けない方法が書かれているのだが、攻撃を受けた時、「衝撃」を感じてしまって、そのこと自体がとても嫌だったのだが、切り替えがとっさにできないことは仕方のないことだということが分かった、ぶつけたらしばらくぶつけたところは痛い、当たり前なのだ。もう衝撃を受けたくないと、「避ける」「心を閉ざす」「警戒的になる」「すぐ怒る」という形で対人関係が影響される、とあった。これはその通り自分に起こった反応だったと思う。情けないが、感情的になってしまうのだ。自信がすっかりなくなってしまったが、それは「ただ衝撃への反応が起こっているのだ」と知ることにより避けられるだろうか?自信喪失して悪循環の罠にはまってしまうことは是非とも避けたい、不要なことだから。自分がダメなやつだ、ゴミ屑だという気持ちが強くなったら、「衝撃」を受けなかったかどうか振り返ろうかと思う。侮辱されることに馴らされた人間にとっては、衝撃すら鈍麻によって感じにくくなるから。気づかぬうちに忍び寄る恐怖のようだ。
- 私は被害者の座をおり、「自分の土俵」にもどる。
- 私が悪いから攻撃されるのではなく、相手が困っているから「攻撃」してくる
しかし、自由であることが、相手が我慢していること、の場合それが「脅威」と取られることもあるのだけれど…これで「攻撃」されたことも結構あったような気がする。それでも相手が困っている人であることには変わりはないから、「お見舞いの一言」として、すみませんを言って、「かわす」を第一選択にするしかないと思う。特に仕事上の関係は、支障のない範囲で「かわす」、に変更しようと思う。これまでは「対処」を選択することが多かったと思う。今後は変えていこうと思う。実際の「攻撃」は突然加えられるし、第三者以降が加わって話がややこしくなるので、相手を安心させるとか、働きかけについてのstep4はやらないと思う。やっても無駄だという結論を自分が出してしまっていることに気づいた。
- 攻撃されても被害者役は引き受けずにいることが自信を持つ秘訣
- 自分にも他人にも敬意を持つ
2014年9月29日月曜日
粘着してくるものからは離れる
私は、母を介護することや死に目に会うことは望んでいないので、拒否する。自分なりによく考えて出した結論で、感情的になって仕返しの一環として、ではない。世間様から見て立派な娘などというものにはなれなくて構わない。どちらかというと仕返しをしないために離れたいと思っている。仕返しするエネルギーを他のことに使いたい。
母から私への働きかけは、全て私から見れば攻撃としか感じられない。近くにいて、母の自己欺瞞の手伝いを小出しに要求されるのは、いつ来るかわからない攻撃に備えているのと同じ状態なので、とても疲れるのだと思う。拒否するとムッとして睨みつけたり、話の途中で何処かへ行こうとしたりで、まともな議論が成立しないのだ。愚痴垂れ流して、それを私が黙って聞いていることはもうない、ということが母には認められないらしい。
私はある程度自尊心を回復したのかもしれない。なんでそんなサンドバッグを私がしなくてはならないのか?と思えるようになった。何しろ母は自分が変わるつもりは無いのだから、死という変化さえ、変わるつもりがないから逃げる、でやり過ごすつもりなのだから。予想外の、斜め上をいったものだなぁと呆れる。自覚症状がなく、疼痛もなく、食欲があるなら、逃げられると思ってしまうものなのだろうか?死ぬのだ、ということを実感できないのかもしれない。
私にはおそらく、馬鹿は死ぬまでには治るんじゃないか、という期待があったと思う。治らないこともあるし、自分が巻き込まれないようにした方がいいと思い始めている。祖父は遠くにいて死に目も会わず、悲しまずで済ませたのに、母にはそれなりに期待していたのだろう。人は変われる、と。
さて、先週母から手紙が届いた。未開封。母の感情垂れ流しの、芝居がかった粘着な文章が嫌いで開けたくないのだ。文字がベットリとまとわりついてくるような、遠回しの察してクレクレが本当に気持ち悪いのだ。
遠回しの攻撃、つまり母の操作や要求に従え、なのだと思うと開封できない。私は全てを攻撃ととっているし、そこは批判されるところであろうことは分かっている。攻撃されたからといって母の言いなりになることは無いのだから、それは過剰な反応…と言われるかもしれない。
しかし、母のそういうやり口には、もうすでにうんざりだ。ずっと前のことになるが、母に面と向かって「あんたのそのやり口にはもううんざりだ!」と言ったことがあったが、記憶から消去されているのだろう。
今週は母からの手紙を開封できるだろうか。余命宣告によって過去の行いがチャラになった、愚痴垂れ流してもいいんだ、と思っているのだろうか。面倒くさい。未開封で捨ててしまおうかと思っている。
母から私への働きかけは、全て私から見れば攻撃としか感じられない。近くにいて、母の自己欺瞞の手伝いを小出しに要求されるのは、いつ来るかわからない攻撃に備えているのと同じ状態なので、とても疲れるのだと思う。拒否するとムッとして睨みつけたり、話の途中で何処かへ行こうとしたりで、まともな議論が成立しないのだ。愚痴垂れ流して、それを私が黙って聞いていることはもうない、ということが母には認められないらしい。
私はある程度自尊心を回復したのかもしれない。なんでそんなサンドバッグを私がしなくてはならないのか?と思えるようになった。何しろ母は自分が変わるつもりは無いのだから、死という変化さえ、変わるつもりがないから逃げる、でやり過ごすつもりなのだから。予想外の、斜め上をいったものだなぁと呆れる。自覚症状がなく、疼痛もなく、食欲があるなら、逃げられると思ってしまうものなのだろうか?死ぬのだ、ということを実感できないのかもしれない。
私にはおそらく、馬鹿は死ぬまでには治るんじゃないか、という期待があったと思う。治らないこともあるし、自分が巻き込まれないようにした方がいいと思い始めている。祖父は遠くにいて死に目も会わず、悲しまずで済ませたのに、母にはそれなりに期待していたのだろう。人は変われる、と。
さて、先週母から手紙が届いた。未開封。母の感情垂れ流しの、芝居がかった粘着な文章が嫌いで開けたくないのだ。文字がベットリとまとわりついてくるような、遠回しの察してクレクレが本当に気持ち悪いのだ。
遠回しの攻撃、つまり母の操作や要求に従え、なのだと思うと開封できない。私は全てを攻撃ととっているし、そこは批判されるところであろうことは分かっている。攻撃されたからといって母の言いなりになることは無いのだから、それは過剰な反応…と言われるかもしれない。
しかし、母のそういうやり口には、もうすでにうんざりだ。ずっと前のことになるが、母に面と向かって「あんたのそのやり口にはもううんざりだ!」と言ったことがあったが、記憶から消去されているのだろう。
今週は母からの手紙を開封できるだろうか。余命宣告によって過去の行いがチャラになった、愚痴垂れ流してもいいんだ、と思っているのだろうか。面倒くさい。未開封で捨ててしまおうかと思っている。
2014年9月27日土曜日
女は笑顔で殴りあう マウンティング女子の実態,瀧波ユカリ 犬山紙子
今年の初めに出た本。テレビドラマでマウンティング女子について知っている方も多いかと思う。私はカウンセリングで紹介されるまで知らなかった。マウンティングをしあう相手は身近で接触可能な人間なので、これが友人との対人関係と思っている人は多いと思う。私はこれを友達とは思わないので、マウンティングしない人を見つけては友達ということにしてきた。当然数は少ないのだが、十分だと思っている。
どうにもこの本を読んでいる間、不快だった。避けたいという不快感だと思う。知りたくないという不快感かもしれない。エッセイなのだから、観察者バイアスがあって当然だし、それを排除する努力も、自覚も一切ないのだが、多分そこに恐怖を感じるのだと思う。内容がどうあれ、母のバイアスと同じと見なしてしまうのだと思う。
動物の行動学では同種でも生息環境の条件により群れの行動も、個体の行動も変わることがわかっている。決してマウンティング女子のような固着した執拗な行動ではない。むしろなぜ人間は個体の生存にも、群れや社会の発展にも貢献しない行動に血道を上げるのだろうか。序列化の基準はいかようにもバイアスをかけ放題であり、そのような序列には参加したくない人間もいるはずなのだが、どうも存在しないと思われているような気がする。それらが母の行動が理解できなかったこと、母にとって、私という存在がいないことにされているのを思い出させるのだと思う。
基本的にエッセイは読者が明確になっていて、それ以外の人たちに読まれるとは考えていないと思う。おそらく私は読者対象から外れているのだろう。しかし、多数派だと思っている人たちは、こう考えているのだということが分かったし、私の母も強烈なマウンティング女子なのだ。姉妹や友人に勝てず、娘に執拗にマウントしたのだと思う。動物の群れでこんな馬鹿な個体が観察されたことがあるのだろうか?寡聞にして知らない。少し動物行動学の本を読もうか、いや、行動科学の本を読むべきなのかもしれない。
どうにもこの本を読んでいる間、不快だった。避けたいという不快感だと思う。知りたくないという不快感かもしれない。エッセイなのだから、観察者バイアスがあって当然だし、それを排除する努力も、自覚も一切ないのだが、多分そこに恐怖を感じるのだと思う。内容がどうあれ、母のバイアスと同じと見なしてしまうのだと思う。
- 注:観察者バイアスとは観察者が見出すことを期待している行動を強調しすぎて、他の行動に気づかないという観察者が原因となる測定誤差。これを避けるため、医学では二重盲検法が取られている。また、観察者が行動を見てその意味を解釈しても、その行動をした本人にとっては何か別の意味がある場合、観察者バイアスが生じているとされる。
これまで動物の行動学に関する本は読んできたが、人間の行動学=行動科学の分野の本にはあまり興味が持てなかった。かなり前のものだが、鳥類や社会性昆虫に関するコンラート・ローレンツ、E.O.ウィルソンの著書や、類人猿ではダイアン・フォッシーやジェーン・グドール、今西錦司だろうか。動物関連のものを読んでいた。
この本は科学の専門書ではないエッセイなのだけれど、行動科学や、動物の群れの行動が本のなかで言及されており、それが私には誤解か、誤用と感じられるのだ。本能!で全てを正当化する人に対して感じる反感に最も近いと思う。動物もやってるから人間もやっても仕方ないなら、人間とは何なのだ?と思うのだ。そもそも本能ではなく学習により身につけた行動を、本能だ、動物だで正当化するのが人間のすることだろうか。
この本は科学の専門書ではないエッセイなのだけれど、行動科学や、動物の群れの行動が本のなかで言及されており、それが私には誤解か、誤用と感じられるのだ。本能!で全てを正当化する人に対して感じる反感に最も近いと思う。動物もやってるから人間もやっても仕方ないなら、人間とは何なのだ?と思うのだ。そもそも本能ではなく学習により身につけた行動を、本能だ、動物だで正当化するのが人間のすることだろうか。
動物の行動学では同種でも生息環境の条件により群れの行動も、個体の行動も変わることがわかっている。決してマウンティング女子のような固着した執拗な行動ではない。むしろなぜ人間は個体の生存にも、群れや社会の発展にも貢献しない行動に血道を上げるのだろうか。序列化の基準はいかようにもバイアスをかけ放題であり、そのような序列には参加したくない人間もいるはずなのだが、どうも存在しないと思われているような気がする。それらが母の行動が理解できなかったこと、母にとって、私という存在がいないことにされているのを思い出させるのだと思う。
基本的にエッセイは読者が明確になっていて、それ以外の人たちに読まれるとは考えていないと思う。おそらく私は読者対象から外れているのだろう。しかし、多数派だと思っている人たちは、こう考えているのだということが分かったし、私の母も強烈なマウンティング女子なのだ。姉妹や友人に勝てず、娘に執拗にマウントしたのだと思う。動物の群れでこんな馬鹿な個体が観察されたことがあるのだろうか?寡聞にして知らない。少し動物行動学の本を読もうか、いや、行動科学の本を読むべきなのかもしれない。
2014年9月21日日曜日
自己欺瞞
自分で自分の心をあざむくこと。自分の良心や本心に反しているのを知りながら、それを自分に対して無理に正当化すること。
辞書ではこれが意味となっているようだが、知っている、とは限らないのではないだろうか。自分で自分の心を欺いたことを自分から隠すところまでを自己欺瞞というのではないだろうか。意識の上では「知らない」ことにして、無理なく正当化するのではないかと思う。意識の上か下かはものすごく重要だと思う。
自己欺瞞はしたと同時に自己欺瞞であることを隠され「正当な考え」とされるのだ。おそらく無理に正当化していることが意識の上にある人は、一人で自己欺瞞するであろう。他者の目からは無意識に隠そうとしているものがよく見えることを知っているから。
私と母の関係上での用法は
母の自己欺瞞に巻き込まれたと私は思っている。考えを持つことを許さず、母自身の考えを押し付ける相手だったのだろう。母にとって娘とは、他人との間ならモラハラか虐めとされることでも、やっていい相手だったのだろう。正当化しながらモラハラや虐めを続けられるのは好都合だったのだろう。
自分で自分を騙す母は、恐ろしかった。どんなひどいことでもできる。どんなに私を傷つけても、私以外にばれなければ、「私はやっていない」と思い込む。私は手足の様なもので、ひとりの人間ではない。他人だという感覚がないのだ。現実とは、私を除く他人からどう見えるかであって、どう見えるかコントロールすれば現実が克服できると思っているのだ。実際にやったことでも、やっていないと人に思わせられれば、「私はやっていない」ということになる。立派でなくても、他人に立派であると思わせられれば、「私は立派である」ことになる。
何一つ現実は克服できないが、自己欺瞞により、非現実的な理想化された母になっていた。周りは感謝してすべてを差し出すべきという、出来損ないの教祖様だった。他人は無理だから教祖様ではなく、母親になったのだろう。今では他人がどう思うかすら、自分の思い込みで決めている。まだ他人に言われたことに、激昂していた頃の方がマシだったのだろう。他人にすらどう感じるか決めさせなくなった母は、周りに距離を置かれる人になったと思う。とことん自己欺瞞する母はどんな死を迎えるのだろうか。自己欺瞞のなかに逃げ込んでも、死だけは正確に追ってくる。どこへも逃げられない。どんな風に死ぬかという死に方に選択の余地がたまにあるだけで、死なないという選択はない。
これまでに、自己欺瞞をやめ、自分自身の責任において選択し、自分のなかに何かを作る、という選択をする機会はあった。ささやかだし、大したものができないのが嫌で、本当は凄い自分という自己欺瞞を選んだのだろう。それはひとりでもできることであって、私を巻き込まないで欲しかった。凄いと錯覚するために私をこき下ろして、得たものではささやかにすら自分のなかを満たすことはできない。どれだけこき下ろしても満足しない母に、果てし無くこき下ろされ続ける人生。そんな人生を私に押し付ける人が母なのだと思いながら、欲求不満を漲らせる母に圧倒され続けていた私は、果たして本当に存在していたのだろうか?母にとっては間違いなく存在していない、存在を抹消されたものだ。この世でその惨めな、哀れな子の存在を認めることができるのは私だけだ。だから、母親のすることは私のためを思ってのことだと自己欺瞞することは、私にはできない。母の人生にとってよくないこと、責任転嫁や自己欺瞞のために私を利用したことは、決して許すことはできない。そんなことのために私は生きてきたのではない。自分はかわいそうだから、被害者だから、誰かから何かしてもらっても、誰かに八つ当たりしてもいいなどという自己欺瞞はひとりでやればいい。
私にとって自己欺瞞とは、やったら死ぬときに後悔することなのだと思う。やるならひとりで、誰の手も借りずにやることにする。
私と母の関係上での用法は
母の自己欺瞞に巻き込まれたと私は思っている。考えを持つことを許さず、母自身の考えを押し付ける相手だったのだろう。母にとって娘とは、他人との間ならモラハラか虐めとされることでも、やっていい相手だったのだろう。正当化しながらモラハラや虐めを続けられるのは好都合だったのだろう。
自分で自分を騙す母は、恐ろしかった。どんなひどいことでもできる。どんなに私を傷つけても、私以外にばれなければ、「私はやっていない」と思い込む。私は手足の様なもので、ひとりの人間ではない。他人だという感覚がないのだ。現実とは、私を除く他人からどう見えるかであって、どう見えるかコントロールすれば現実が克服できると思っているのだ。実際にやったことでも、やっていないと人に思わせられれば、「私はやっていない」ということになる。立派でなくても、他人に立派であると思わせられれば、「私は立派である」ことになる。
何一つ現実は克服できないが、自己欺瞞により、非現実的な理想化された母になっていた。周りは感謝してすべてを差し出すべきという、出来損ないの教祖様だった。他人は無理だから教祖様ではなく、母親になったのだろう。今では他人がどう思うかすら、自分の思い込みで決めている。まだ他人に言われたことに、激昂していた頃の方がマシだったのだろう。他人にすらどう感じるか決めさせなくなった母は、周りに距離を置かれる人になったと思う。とことん自己欺瞞する母はどんな死を迎えるのだろうか。自己欺瞞のなかに逃げ込んでも、死だけは正確に追ってくる。どこへも逃げられない。どんな風に死ぬかという死に方に選択の余地がたまにあるだけで、死なないという選択はない。
これまでに、自己欺瞞をやめ、自分自身の責任において選択し、自分のなかに何かを作る、という選択をする機会はあった。ささやかだし、大したものができないのが嫌で、本当は凄い自分という自己欺瞞を選んだのだろう。それはひとりでもできることであって、私を巻き込まないで欲しかった。凄いと錯覚するために私をこき下ろして、得たものではささやかにすら自分のなかを満たすことはできない。どれだけこき下ろしても満足しない母に、果てし無くこき下ろされ続ける人生。そんな人生を私に押し付ける人が母なのだと思いながら、欲求不満を漲らせる母に圧倒され続けていた私は、果たして本当に存在していたのだろうか?母にとっては間違いなく存在していない、存在を抹消されたものだ。この世でその惨めな、哀れな子の存在を認めることができるのは私だけだ。だから、母親のすることは私のためを思ってのことだと自己欺瞞することは、私にはできない。母の人生にとってよくないこと、責任転嫁や自己欺瞞のために私を利用したことは、決して許すことはできない。そんなことのために私は生きてきたのではない。自分はかわいそうだから、被害者だから、誰かから何かしてもらっても、誰かに八つ当たりしてもいいなどという自己欺瞞はひとりでやればいい。
私にとって自己欺瞞とは、やったら死ぬときに後悔することなのだと思う。やるならひとりで、誰の手も借りずにやることにする。
2014年9月19日金曜日
ジェノグラム
心理療法のためのプログラムはたくさんある。作品を作るような芸術系のもの、香りや運動、瞑想など感覚系のもの、宗教や哲学系のもの。
一番印象が強かったのは、ジェノグラムだ。取材系とでも言おうか。家系図を書くのだ、母方も父方も。かなり横に広い感じになる。縦長の直系のものが歴史の教科書からイメージされてしまうが、本来横広がりとなるものだ。兄弟の数の多い世代が上にいれば、かなりの横広がりである。
初めて描いたのは、15年ほど前のことだ。書き上げたとき、何かがカチッとはまったようだった。専門の方に見てもらい、数世代前からの流れや、関係の強い人間の間には線を引くなど、地図のようなものが出来上がった。等高線で高さが示されるように、関わり方も描かれるのだ。単なる血縁を示す図ではない。世代を渡って繰り返されたことや、自分に至る流れ、自分が今いる流れ、自分からの流れ、個人の問題と捉えられがちなメンタルヘルスの問題だけれど、大きな流れのなかで駒が似たような問題行動を繰り返していることがわかった。
私は結婚もせず、子も成さなかったので途切れる流れではあるのだが、あまり気にならないのは、ジェノグラム的には大勢血縁者がいることが影響している。そして、それがこのジェノグラムのなかではそれほど奇異なことではないと思ったからだ。
また機会があったら、母が死んだら再度描くかもしれない。
一番印象が強かったのは、ジェノグラムだ。取材系とでも言おうか。家系図を書くのだ、母方も父方も。かなり横に広い感じになる。縦長の直系のものが歴史の教科書からイメージされてしまうが、本来横広がりとなるものだ。兄弟の数の多い世代が上にいれば、かなりの横広がりである。
初めて描いたのは、15年ほど前のことだ。書き上げたとき、何かがカチッとはまったようだった。専門の方に見てもらい、数世代前からの流れや、関係の強い人間の間には線を引くなど、地図のようなものが出来上がった。等高線で高さが示されるように、関わり方も描かれるのだ。単なる血縁を示す図ではない。世代を渡って繰り返されたことや、自分に至る流れ、自分が今いる流れ、自分からの流れ、個人の問題と捉えられがちなメンタルヘルスの問題だけれど、大きな流れのなかで駒が似たような問題行動を繰り返していることがわかった。
私は結婚もせず、子も成さなかったので途切れる流れではあるのだが、あまり気にならないのは、ジェノグラム的には大勢血縁者がいることが影響している。そして、それがこのジェノグラムのなかではそれほど奇異なことではないと思ったからだ。
また機会があったら、母が死んだら再度描くかもしれない。
2014年9月17日水曜日
セス・アイボリーの21日,星野之宣
星野之宣のスターダストメモリーズという短編集のなかの一編。
この短編は、私が小説も含めて最も好きな短編の三つに入ると思う。漫画に限ればこれが一番である。電子書籍にもなっているので、ぜひお勧めしたい。スコラから出版されたものをもっているが、別の出版社から再販されているので、手に入りにくいものではない。がしかし、好きすぎるあまり、テキスト化してみた。絵での表現の方がもちろん良いが、13編中の1編だけのために購入する人はもともとファンで読んでいるはず。星野之宣って誰?な方のため、無謀にもテキスト化した。祖母〜母〜娘と女性だけのお話で、原作なしで男性に描けるとは驚きなのだ。ネタバレが嫌な方のため、別のページに上げておく。
→セス・アイボリーの21日のページへ移動
私がおまえだったら!という言葉は、私が母から非言語的にも言語的にも聞かされてきた言葉である。そしてこの短編のなかで、この言葉が主人公の口から出た時、涙が出たのだ。これまで母の口から出たその言葉、同じ意味で使われていたにもかかわらず、その言葉に対しては不快と拒絶しか持てなかったのだ。
その心情を理解できた、理解できたからこそ、泣けたんだと思う。ただ剥き出しの感情をぶつけられても、理解はできなかった。虚構のなかで、あり得ない設定のなかで表現されたものが私に理解をもたらしてくれたのだ。表紙も入れて24ページ、5分以内でよみ終わるものが。
何かに一矢報いたいと、私がおまえだったらという感情を直接ぶつけることはその相手に理解されることはない。それができるのは、それを仕事にしているプロだけだ。
感情を直接的に感じながら他者に提示する行動、それは攻撃だ。
感情を間接的に言語、画像、音楽などに変化させて提示する行動、それは表現だ。
相手に理解される可能性があるのは表現であり、攻撃ではない。理解を求めている相手が、攻撃により離れていくことは人間の不幸のなかでも、悲惨度の高いことだと思う。
攻撃を受けたとき、攻撃を見たとき、私はどこかで相手が理解を求めていることが分かったのだと思う。被害者の立場でありながら、理解できないという自責の念を感じてもいたのだ。よしんば理解をしても、攻撃してくる本人は、自分のしていることが攻撃であることにも、それには理由があることにも自分で気づいていない。自分が何かを欲求していることを知らないまま、誰かが欲求を満たしてくれることを望んでいるのだ。自分は何も要求などしていない、それが生じる前に誰かが読み取って要求を満たしてくれるから。これを達成してあげられなかった私は、自分の無力を自分で責めてしまうのだ。どんなに無茶な要求でも、対人関係によっては満たそうとしてしまうことがある。満たせなかったことに罪悪感を感じることがある。そのような対人関係は依存的としか言えないのだが。
母セス・アイボリーは今しか生きられなかった。過去も、未来も持てなかった。今、という瞬間しか生きられないセス・アイボリーの持っているのは、高純度の感情だ。本人が気づかないようにできるような低品質の感情ではないのだ。自分の感情を引き受けて、その一生を過ごしたセス・アイボリーは、その母にもその娘にも深く愛された存在だ。母と娘のなかにしか存在したことのないセス・アイボリーは純度の高い感情の結晶のようだ。物語を読んだ人の感情に、新たに結晶を形成する核となってくれるような気がする。
この短編は、私が小説も含めて最も好きな短編の三つに入ると思う。漫画に限ればこれが一番である。電子書籍にもなっているので、ぜひお勧めしたい。スコラから出版されたものをもっているが、別の出版社から再販されているので、手に入りにくいものではない。がしかし、好きすぎるあまり、テキスト化してみた。絵での表現の方がもちろん良いが、13編中の1編だけのために購入する人はもともとファンで読んでいるはず。星野之宣って誰?な方のため、無謀にもテキスト化した。祖母〜母〜娘と女性だけのお話で、原作なしで男性に描けるとは驚きなのだ。ネタバレが嫌な方のため、別のページに上げておく。
→セス・アイボリーの21日のページへ移動
私がおまえだったら!という言葉は、私が母から非言語的にも言語的にも聞かされてきた言葉である。そしてこの短編のなかで、この言葉が主人公の口から出た時、涙が出たのだ。これまで母の口から出たその言葉、同じ意味で使われていたにもかかわらず、その言葉に対しては不快と拒絶しか持てなかったのだ。
その心情を理解できた、理解できたからこそ、泣けたんだと思う。ただ剥き出しの感情をぶつけられても、理解はできなかった。虚構のなかで、あり得ない設定のなかで表現されたものが私に理解をもたらしてくれたのだ。表紙も入れて24ページ、5分以内でよみ終わるものが。
何かに一矢報いたいと、私がおまえだったらという感情を直接ぶつけることはその相手に理解されることはない。それができるのは、それを仕事にしているプロだけだ。
感情を直接的に感じながら他者に提示する行動、それは攻撃だ。
感情を間接的に言語、画像、音楽などに変化させて提示する行動、それは表現だ。
相手に理解される可能性があるのは表現であり、攻撃ではない。理解を求めている相手が、攻撃により離れていくことは人間の不幸のなかでも、悲惨度の高いことだと思う。
攻撃を受けたとき、攻撃を見たとき、私はどこかで相手が理解を求めていることが分かったのだと思う。被害者の立場でありながら、理解できないという自責の念を感じてもいたのだ。よしんば理解をしても、攻撃してくる本人は、自分のしていることが攻撃であることにも、それには理由があることにも自分で気づいていない。自分が何かを欲求していることを知らないまま、誰かが欲求を満たしてくれることを望んでいるのだ。自分は何も要求などしていない、それが生じる前に誰かが読み取って要求を満たしてくれるから。これを達成してあげられなかった私は、自分の無力を自分で責めてしまうのだ。どんなに無茶な要求でも、対人関係によっては満たそうとしてしまうことがある。満たせなかったことに罪悪感を感じることがある。そのような対人関係は依存的としか言えないのだが。
母セス・アイボリーは今しか生きられなかった。過去も、未来も持てなかった。今、という瞬間しか生きられないセス・アイボリーの持っているのは、高純度の感情だ。本人が気づかないようにできるような低品質の感情ではないのだ。自分の感情を引き受けて、その一生を過ごしたセス・アイボリーは、その母にもその娘にも深く愛された存在だ。母と娘のなかにしか存在したことのないセス・アイボリーは純度の高い感情の結晶のようだ。物語を読んだ人の感情に、新たに結晶を形成する核となってくれるような気がする。
生きている間になのか、死ぬ前なのか
死ぬ前にしたいことと生きている間にしたいことはよく似ていて違う。
死を前にして後悔していることが何か、ということは以前に投稿したが、これはしておけばよかった、実際にはしなかったことだ。
→死を前にした人が後悔していること
死ぬ前にしたいこととは、誰かに会いたいとか、これを食べたいとか、いい例が思い浮かばないけれど、その時になるまで分からないことなのかもしれない。すごくくだらないことや恥ずかしいことかもしれない。死ぬ前にしたいことは、そこに至る経緯によってはかなり違ったものになりそうだ。不確定な未来、というジャンルに入っていることなのだ。死が関わっているのに未来とは。自分の死を受け容れられないなら、死ぬ前にしておきたいことが何かわからないだろう。馬鹿は死ななきゃ治らないってこれだろうか。
私がしたいことの一つは、きっと何かを食べたいってことなんじゃないかと思う。多分甘い物…勿論それに合うお茶と。生きてる間にしておきたいことでもあるので、甘い物とお茶はしっかり頂いておこう。死ぬ前に何を食べるか決めるためには、いろいろ試しておかなくては。なんか楽しくなってきた。
時々は、生きている間にしたいことは何か考えながら生きようかと思う。それがちょっとなんだかな…と思うようなくだらないことでも、あまりご立派なことでなくても、他人を巻き込まないことであれば、やってみようと思う。ご立派なことなどこれまでしたことがない私は、大したことをするはずはない。ただ楽しいとか、綺麗とかが見つけられることをたくさんするのだ。
死を前にして後悔していることが何か、ということは以前に投稿したが、これはしておけばよかった、実際にはしなかったことだ。
→死を前にした人が後悔していること
死ぬ前にしたいこととは、誰かに会いたいとか、これを食べたいとか、いい例が思い浮かばないけれど、その時になるまで分からないことなのかもしれない。すごくくだらないことや恥ずかしいことかもしれない。死ぬ前にしたいことは、そこに至る経緯によってはかなり違ったものになりそうだ。不確定な未来、というジャンルに入っていることなのだ。死が関わっているのに未来とは。自分の死を受け容れられないなら、死ぬ前にしておきたいことが何かわからないだろう。馬鹿は死ななきゃ治らないってこれだろうか。
私がしたいことの一つは、きっと何かを食べたいってことなんじゃないかと思う。多分甘い物…勿論それに合うお茶と。生きてる間にしておきたいことでもあるので、甘い物とお茶はしっかり頂いておこう。死ぬ前に何を食べるか決めるためには、いろいろ試しておかなくては。なんか楽しくなってきた。
時々は、生きている間にしたいことは何か考えながら生きようかと思う。それがちょっとなんだかな…と思うようなくだらないことでも、あまりご立派なことでなくても、他人を巻き込まないことであれば、やってみようと思う。ご立派なことなどこれまでしたことがない私は、大したことをするはずはない。ただ楽しいとか、綺麗とかが見つけられることをたくさんするのだ。
2014年9月15日月曜日
このブログでやりたいこと
私がこのブログに投稿していることは、過ぎたことをいつまでも…と言われてしまうようなことだ。過去のことを蒸し返しても自分のためにはならない、許して乗り越え、前向きにならなくてはならない。それが正しいし、目指すべきとされて、従ってきたが、わからなくなった。本当に私のためか?違うだろう。
文句ぐらい言わせろー!
後から何を言っても変わらないなら、それこそ文句ぐらい好きに言いたい。誰かに変わって欲しいとも、過去を変えられるとも思っていない。何を言っても変わらないからこそ、安心して言いたいことが言えるのではないだろうか。
当時は、家族が崩壊しないように、何か言うことは無理だったが、今は言える。だから言う、碌なもんじゃなかったと。どんなに綺麗事言おうが、忘れたことにしようが、私はそこに居たし、覚えている。まともな家族ではなかった。誰がなんと言おうと私はそう思っている。
ブログに言いたいことを好きなように投稿して、ようやく沈澱していたものが浮き上がってきたように思う。重く沈んでいたものが攪拌されて動くようになったのは嬉しいことだ。沈澱物が言葉になってブログ上に出ていったかのようだ。引き続きシェイクに励もうと思う。
もう沈澱の重さに耐えるのは無理、かつ無意味だと思ってしまったら、この重い疲労感から逃れたいと思うようになった。何かの意味があると思っていたら、まだ沈澱させたままでいたかもしれない。動きづらさや生きにくさといったものが軽減されたら嬉しい。
変わることは難しいし、変わったという実感が持てないこともあるけれど、私は変わりたいと思っているのだ。自信や確信はあまり持てないのだけれど。
文句ぐらい言わせろー!
後から何を言っても変わらないなら、それこそ文句ぐらい好きに言いたい。誰かに変わって欲しいとも、過去を変えられるとも思っていない。何を言っても変わらないからこそ、安心して言いたいことが言えるのではないだろうか。
当時は、家族が崩壊しないように、何か言うことは無理だったが、今は言える。だから言う、碌なもんじゃなかったと。どんなに綺麗事言おうが、忘れたことにしようが、私はそこに居たし、覚えている。まともな家族ではなかった。誰がなんと言おうと私はそう思っている。
ブログに言いたいことを好きなように投稿して、ようやく沈澱していたものが浮き上がってきたように思う。重く沈んでいたものが攪拌されて動くようになったのは嬉しいことだ。沈澱物が言葉になってブログ上に出ていったかのようだ。引き続きシェイクに励もうと思う。
もう沈澱の重さに耐えるのは無理、かつ無意味だと思ってしまったら、この重い疲労感から逃れたいと思うようになった。何かの意味があると思っていたら、まだ沈澱させたままでいたかもしれない。動きづらさや生きにくさといったものが軽減されたら嬉しい。
変わることは難しいし、変わったという実感が持てないこともあるけれど、私は変わりたいと思っているのだ。自信や確信はあまり持てないのだけれど。
2014年9月14日日曜日
腰抜けの選択
母は病状はゆっくりと進行している。別の抗がん剤を使うために、今月再入院となった。現状は苦しさや痛みがなく、何をしても良いが、治療以外にやりたいことはないらしい。治らないことは明らかなのに、治療をしたら治ると思い込んでいたいのだろう。したいこともすべきことも自分にないことは気にならないようだ。
不老不死ではないのだから、いずれは死ぬのに準備はせず、逃げの一手。しかし死からは逃げられないし、これは変えられない。私が代わりに死ぬことはできない。こんなことは母との間では初めてだ。代わりに誰も死んであげられないのだから、母が自分で自分の死を引き受けるしかないのだ。これは異常事態だ。何かの達成ならば娘にやらせて、出来れば母のおかげ!出来なければ娘のせい!にすることも可能だったが、死だけはそれは不可能だ。
私はこれまで一度も、母が自分で何かをやり遂げるのを見たことがない。自分の死以上に自分のものと言えるものはないと思うし、努力せずに達成できることなのに、死はお気に召さないらしい。病気で可哀想な人を演じるのはいいが、現実で死ぬことになるのは何か都合が悪いのだろう。
自分の死にあたっても、何も考えない人は存在している。たとえ終末医療があっても、自分にとって尊厳のある死とはこれだ、と言えるものがなければ終末医療は役に立たない。終末医療も尊厳のある死も、自分で選び取るものだ。選択したという責任が伴うから、母には選択することができないのだろう。失敗すること、その責任を取ることを恐れて、何もやろうとしなかった母らしいと思う。しかし何も選択しなくても、死だけは確実に母のところへやってくる。それが私にはとても不思議に思える。
母は「選択をしない」という選択をしたのだろう。目前に死が迫っているというのに、腰抜けの選択しかできなかったのだ。「こう生きたい」も「こう死にたい」も持たない母は、治ると自己欺瞞し、治らないと責任転嫁して、死ぬまでを過ごすのだろう。
それを私は確認したいのだろうか。わざわざ見る価値があるのだろうか、これまでずっと見続けてきたのと同じことを。何かが腑に落ちたり、納得できたりするとは思えない。それができそうにないから、私は今、苦しいのではないだろうか。以下の前提で自分がどうしたいのか、落ち着いて考えようと思う。
・母は死を前にしてやっておきたいことはない。
・私という存在は母にとって無意味。
あまりにも貧しく、辛くて考えることすら嫌になる。選択をしないという腰抜けの選択をせず、これから私がどうするかを選ぶのだ。腹を括ることはいつも私にとって難しい。強くなりたい。
不老不死ではないのだから、いずれは死ぬのに準備はせず、逃げの一手。しかし死からは逃げられないし、これは変えられない。私が代わりに死ぬことはできない。こんなことは母との間では初めてだ。代わりに誰も死んであげられないのだから、母が自分で自分の死を引き受けるしかないのだ。これは異常事態だ。何かの達成ならば娘にやらせて、出来れば母のおかげ!出来なければ娘のせい!にすることも可能だったが、死だけはそれは不可能だ。
私はこれまで一度も、母が自分で何かをやり遂げるのを見たことがない。自分の死以上に自分のものと言えるものはないと思うし、努力せずに達成できることなのに、死はお気に召さないらしい。病気で可哀想な人を演じるのはいいが、現実で死ぬことになるのは何か都合が悪いのだろう。
自分の死にあたっても、何も考えない人は存在している。たとえ終末医療があっても、自分にとって尊厳のある死とはこれだ、と言えるものがなければ終末医療は役に立たない。終末医療も尊厳のある死も、自分で選び取るものだ。選択したという責任が伴うから、母には選択することができないのだろう。失敗すること、その責任を取ることを恐れて、何もやろうとしなかった母らしいと思う。しかし何も選択しなくても、死だけは確実に母のところへやってくる。それが私にはとても不思議に思える。
母は「選択をしない」という選択をしたのだろう。目前に死が迫っているというのに、腰抜けの選択しかできなかったのだ。「こう生きたい」も「こう死にたい」も持たない母は、治ると自己欺瞞し、治らないと責任転嫁して、死ぬまでを過ごすのだろう。
それを私は確認したいのだろうか。わざわざ見る価値があるのだろうか、これまでずっと見続けてきたのと同じことを。何かが腑に落ちたり、納得できたりするとは思えない。それができそうにないから、私は今、苦しいのではないだろうか。以下の前提で自分がどうしたいのか、落ち着いて考えようと思う。
・母は死を前にしてやっておきたいことはない。
・私という存在は母にとって無意味。
あまりにも貧しく、辛くて考えることすら嫌になる。選択をしないという腰抜けの選択をせず、これから私がどうするかを選ぶのだ。腹を括ることはいつも私にとって難しい。強くなりたい。
2014年9月9日火曜日
笑ったこと(げんふうけいさん)
知り合いの土星人が「地球人って幸せになろうとする努力をするより、『自分は幸せだ』と周りに思い込ませる努力をするよね。優秀になる努力をするより、『自分は優秀だ』と周りに思い込ませる努力をするよね。なんで?」と聞いてきたので「楽をしようとして損をするのが好きなんだ」と答えておきました。
以上、げんふうけい さんのサイトを読んでいて、笑ってしまった文章です。土星人と地球人の会話にありそうで、地球人のテケトーさと報告を受けた土星人たちのどよめきが浮かんで、声を上げて笑ってしまった。一人の部屋で。
本を読むだけの気力もなく、ネットの文章を読んでいるときに、笑ってしまう幸運に出くわす。きっとはたから見たら、可哀想…なのだろうけれど、私にとってはそういう日はいい日だ。決まってよく眠れる。誰かに共感してもらえたと思うと、安心するのだと思う。
楽をしようとして損をするのが好きな地球人を見て、謎に思う土星人とはいい友達になれそうな気がする。
以上、げんふうけい さんのサイトを読んでいて、笑ってしまった文章です。土星人と地球人の会話にありそうで、地球人のテケトーさと報告を受けた土星人たちのどよめきが浮かんで、声を上げて笑ってしまった。一人の部屋で。
本を読むだけの気力もなく、ネットの文章を読んでいるときに、笑ってしまう幸運に出くわす。きっとはたから見たら、可哀想…なのだろうけれど、私にとってはそういう日はいい日だ。決まってよく眠れる。誰かに共感してもらえたと思うと、安心するのだと思う。
楽をしようとして損をするのが好きな地球人を見て、謎に思う土星人とはいい友達になれそうな気がする。
住について
自分の安全のために最初に必要なもの、住むところ。私の部屋は、ある時突然、汚部屋になっていった。もちろん精神状態が反映されるので、荒れていたことはあったが、ゴミを部屋から全く出せなくなったのは、これが初めてだった。
ゴミの内容は、ジャンクフードの包装紙や、スーパーの見切り品のトレーなど、自己評価の低さを感じさせるものだった。自分の価値は、20%引きとか半額なのだとでもいうかのようだ。洗い物もせず、ゴミも出さず、夏は腐臭がしていたが、腐っている自分にはそれがお似合いだと思っていた。冷蔵庫の中には、温めればいいだけの状態にしてあった元味噌汁と、ひとつひとつ紙に包んで野菜室にしまわれた炭化した元野菜。ジップロックの中のハム。軽くなった卵。それらを片付けた時、難破船の冷蔵庫みたいだと思った。難破するまでちゃんと生活が営まれていたのに、突然乗組員がいなくなったようだった。ラップがかけられ、漏れ出すこともなく溶けていた元食料。容器と袋を出し、コバエの死骸を掃除したら、再度使える状態になった。匂いも残っていなかった。自分が突然セルフネグレクト状態に落ち込んでいたことがわかった。一年以上セルフネグレクトをして、ようやくゴミを捨てた時、寂しくて悲しくて泣いた。ゴミ袋の消えた場所を見て、なぜそんな喪失感を感じるのか解らなかった。
ゴミの内容は、ジャンクフードの包装紙や、スーパーの見切り品のトレーなど、自己評価の低さを感じさせるものだった。自分の価値は、20%引きとか半額なのだとでもいうかのようだ。洗い物もせず、ゴミも出さず、夏は腐臭がしていたが、腐っている自分にはそれがお似合いだと思っていた。冷蔵庫の中には、温めればいいだけの状態にしてあった元味噌汁と、ひとつひとつ紙に包んで野菜室にしまわれた炭化した元野菜。ジップロックの中のハム。軽くなった卵。それらを片付けた時、難破船の冷蔵庫みたいだと思った。難破するまでちゃんと生活が営まれていたのに、突然乗組員がいなくなったようだった。ラップがかけられ、漏れ出すこともなく溶けていた元食料。容器と袋を出し、コバエの死骸を掃除したら、再度使える状態になった。匂いも残っていなかった。自分が突然セルフネグレクト状態に落ち込んでいたことがわかった。一年以上セルフネグレクトをして、ようやくゴミを捨てた時、寂しくて悲しくて泣いた。ゴミ袋の消えた場所を見て、なぜそんな喪失感を感じるのか解らなかった。
ずっと私は努力してきたつもりだった。親からは保護的な環境を与えられなかったし、愛情ももらえなかった。どんなに努力しても、恩を着せられて見返りを要求される搾取要員でしかない。別の生き方があると思って、外に出て暮らした。親とは違う人たちもいたけれど、似たような人たちもいた。似たような人たちから、親と同じような取り扱いを受けることを拒否し、私を人間として扱ってくれる人を探していた。
私を人間扱いしてくれると思っていた面子の一人が、仕事中に私を罵倒した。仕事に手間取り、1〜2分ロスしたが仕事自体は完了した。私の技術を他の技術者と比較して落とし、怒鳴りつけた。私にとっては、メインにしている技術ではなく、条件によっては手間取ることもある準備のための技術。手間取ってもあまり自己否定しなかったので、なぜそこでそんなに落としてくるのか理解できなかった。怒鳴られながら、父親に見捨てられたときのことを思い出していた。相手に対する信頼が足下から崩れ、底なしの穴に落下していくような、無重力状態のような、掴むところも足がかりになるところもなく落下していくような気持ちだった。
その後、何度か口先だけの半ギレの謝罪をされ、改善することを条件にもう一度だけ仕事の依頼を受けた。逆らった罰なのか、他の技術者の後にされ、準備をするよう言われてから1時間以上待たされた。1〜2分待たされて切れた人間が、私を1時間以上待たせ、それを指摘しても何が問題なのか解らないようだった。謝れば済むと思っていることがよくわかったので着信拒否し、以降仕事は受けていない。
私は、仕事で関わる人たちと、まともな人間関係を築くことを諦めることにした。私は期待しすぎたのだ。異性との親密な関係を諦め、家族を諦め、仕事での信頼関係を諦めた。私にはもう何もない。もうどうでもいい。それが汚部屋になったと思う。
それでも汚部屋を掃除している人たちのブログを見て、少しづつ部屋を片付けてきた。ブログを読むことも対人関係の一つなのだろう。勝手に励まされ、ゴミを捨て、自分のために料理をしている。汚部屋に戻らずに済むのなら、対人関係なんて諦めてもいい。それはゴミのような対人関係だったのだ。
住がセルフケアの機能を維持していることは、私にとって対人関係以上に大切なんだと思う。
それでも汚部屋を掃除している人たちのブログを見て、少しづつ部屋を片付けてきた。ブログを読むことも対人関係の一つなのだろう。勝手に励まされ、ゴミを捨て、自分のために料理をしている。汚部屋に戻らずに済むのなら、対人関係なんて諦めてもいい。それはゴミのような対人関係だったのだ。
住がセルフケアの機能を維持していることは、私にとって対人関係以上に大切なんだと思う。
2014年9月7日日曜日
変質家族は存在する
母親のことを、一人で最前列で見たせいか、母が演じて見せたことを思い出して吐きそうになることがある。自分の言葉でかけなかったので、以下引用。
もともと自分に対する自信がない人なので、相手をおとしめることによって自分の価値を高めようとしたり、相手を見下すことによって、弱い自我を守ろうとします。ひとたび相手を一段下に見ると、自分の不安な気持ちをかくすために、強い口調になるなど感情的な態度をとります。
相手が現状を正しく認識したり、行動を起こしたりできないように変質的なコミュニケーションを使います。どんな形であっても、負けや失敗が恐ろしいからです。批評にも耐えられないので、たとえどんな手段を使っても、最後には自分が勝利者になったことにして、体面を取り繕おうとします。
引用終わり。
私は一体母親にとってなんだったのだろうか。どう思うかまで指図できる奴隷だろうか。娘自身の考えなど許さないのに、母を尊敬するよう強要して、私は尊敬されている!と本気で思っていたのだろうか。その貧しい人間関係からなにか得られたのだろうか。
この貧困は、撲滅できない。母が自分で選んだ貧困だからだ。私にできるのは、この貧困を引き継がないこと、自分自身の貧困を耐えることだけだ。貧しいから誰かから盗んで構わない、という考えを母は何処かでこっそり採用したのだろう。そしてそのことを自分身から隠すことも選んだ。
母には、相手をあやつって支配する、という形の人間関係しか作れない。
家族の弱みを見つけ、それを攻撃し、傷つけて自分の優位を確保する。
相手が悪い、自分が被害者だと信じ込んでいる母にとって、加害者に仕立て上げた家族を繰り返ししつこく攻撃することは、楽しいことなのだろう。
家族であっても、相手の自我が壊れるのを見ると、自分の力を感じられて嬉しいのだろう。
ただし何か力を得たように錯覚しているだけで、母自身の問題が解決することはない。
母の家族という集団が、変質して、お互いを大切にしあった家族とは全く違ったものになっていったのは当然の帰結だ。長年大切にしあってきた他家族がしていることを真似するよう未だに要求される。自発的に何かをすることを子供から奪い去っておいて、子供が自発的に自分のために何かをしないと不満に思うところは、全く変わらないのだ。間違いを指摘されても、決して認めることはない。誰の話も聞かない。過ちを認めることはなく、謝罪もしない。自分のやり方が不十分だったことを残念に思うくらいだろう。もっと徹底的に相手の自我を崩壊させておけばよかった…と。
家族を自分のいいように乱用して変質させ、死を前にして自分が得たものが不満だとしても、もう遅い。この変質家族の中で先に死ぬのは母だ。自分のために変質させた家族の中で、変質させた張本人が最初に死ぬのはなんとも皮肉だ。いやむしろ幸運か。
変質家族から自分が得たものだけを持って、死ねばいいと思う。自分の得たものが、他人が手にしているものより貧しいのは、夫が子供が何もしてくれないからだと責任転嫁しながら死ねばよいのだと思う。転嫁されても私に果たすべき責任などない。私の得たものを母に渡すことも不可能だ。私から繰り返し取り上げてきた母の手には、私から奪ったものは残っていない。私の大切だったものは奪われ、踏み躙られて空費されるだけで、母の自尊心にはならなかった。私にとって大切なものが、母によって空費されるのを見ているしかなかった。
ずっと思い出すことができなかったが、私の大切なものを私の目の前で踏み躙り、私に勝とうとする母が憎くて仕方なかった。殺してやりたかった。そして未来の私自身が、家族という密室内で起こったことをなかったことにして、母を許すことも許せないと思っていた。私の記憶すら、自分の都合のいいように操作できると思っている母が憎かった。家族だけしか信用できないんだ、世間は冷たい、恐ろしいと繰り返す母が、心底恐ろしかった。外の世界より恐ろしいのは私を閉じ込めようとする母だった。
こんなことをした母を、許すことなどできない。自分のしたことから逃げ続ける母を許すことはできない。死んでいようが生きていようが関係ない。死んだ後も、誰かに自分を被害者だと思わせ続けようとしている母は、死んでも他人の記憶のなかで責任転嫁をし続ける人間だ。それを許すことはできない。母親が誰かの耳に呪いを吹き込むことは止められないが、母の死んだ後も私は生きて、それらを見つけ次第片付けようと思う。私にできる分だけ。
私はよく母も誰も殺さなかったと思う。自分自身も含めて、殺意を人間に向けて殺してしまったことはまだない。母の死を望むことくらいは自分に許したいと思う。
もともと自分に対する自信がない人なので、相手をおとしめることによって自分の価値を高めようとしたり、相手を見下すことによって、弱い自我を守ろうとします。ひとたび相手を一段下に見ると、自分の不安な気持ちをかくすために、強い口調になるなど感情的な態度をとります。
相手が現状を正しく認識したり、行動を起こしたりできないように変質的なコミュニケーションを使います。どんな形であっても、負けや失敗が恐ろしいからです。批評にも耐えられないので、たとえどんな手段を使っても、最後には自分が勝利者になったことにして、体面を取り繕おうとします。
引用終わり。
私は一体母親にとってなんだったのだろうか。どう思うかまで指図できる奴隷だろうか。娘自身の考えなど許さないのに、母を尊敬するよう強要して、私は尊敬されている!と本気で思っていたのだろうか。その貧しい人間関係からなにか得られたのだろうか。
この貧困は、撲滅できない。母が自分で選んだ貧困だからだ。私にできるのは、この貧困を引き継がないこと、自分自身の貧困を耐えることだけだ。貧しいから誰かから盗んで構わない、という考えを母は何処かでこっそり採用したのだろう。そしてそのことを自分身から隠すことも選んだ。
母には、相手をあやつって支配する、という形の人間関係しか作れない。
家族の弱みを見つけ、それを攻撃し、傷つけて自分の優位を確保する。
相手が悪い、自分が被害者だと信じ込んでいる母にとって、加害者に仕立て上げた家族を繰り返ししつこく攻撃することは、楽しいことなのだろう。
家族であっても、相手の自我が壊れるのを見ると、自分の力を感じられて嬉しいのだろう。
ただし何か力を得たように錯覚しているだけで、母自身の問題が解決することはない。
母の家族という集団が、変質して、お互いを大切にしあった家族とは全く違ったものになっていったのは当然の帰結だ。長年大切にしあってきた他家族がしていることを真似するよう未だに要求される。自発的に何かをすることを子供から奪い去っておいて、子供が自発的に自分のために何かをしないと不満に思うところは、全く変わらないのだ。間違いを指摘されても、決して認めることはない。誰の話も聞かない。過ちを認めることはなく、謝罪もしない。自分のやり方が不十分だったことを残念に思うくらいだろう。もっと徹底的に相手の自我を崩壊させておけばよかった…と。
家族を自分のいいように乱用して変質させ、死を前にして自分が得たものが不満だとしても、もう遅い。この変質家族の中で先に死ぬのは母だ。自分のために変質させた家族の中で、変質させた張本人が最初に死ぬのはなんとも皮肉だ。いやむしろ幸運か。
変質家族から自分が得たものだけを持って、死ねばいいと思う。自分の得たものが、他人が手にしているものより貧しいのは、夫が子供が何もしてくれないからだと責任転嫁しながら死ねばよいのだと思う。転嫁されても私に果たすべき責任などない。私の得たものを母に渡すことも不可能だ。私から繰り返し取り上げてきた母の手には、私から奪ったものは残っていない。私の大切だったものは奪われ、踏み躙られて空費されるだけで、母の自尊心にはならなかった。私にとって大切なものが、母によって空費されるのを見ているしかなかった。
ずっと思い出すことができなかったが、私の大切なものを私の目の前で踏み躙り、私に勝とうとする母が憎くて仕方なかった。殺してやりたかった。そして未来の私自身が、家族という密室内で起こったことをなかったことにして、母を許すことも許せないと思っていた。私の記憶すら、自分の都合のいいように操作できると思っている母が憎かった。家族だけしか信用できないんだ、世間は冷たい、恐ろしいと繰り返す母が、心底恐ろしかった。外の世界より恐ろしいのは私を閉じ込めようとする母だった。
こんなことをした母を、許すことなどできない。自分のしたことから逃げ続ける母を許すことはできない。死んでいようが生きていようが関係ない。死んだ後も、誰かに自分を被害者だと思わせ続けようとしている母は、死んでも他人の記憶のなかで責任転嫁をし続ける人間だ。それを許すことはできない。母親が誰かの耳に呪いを吹き込むことは止められないが、母の死んだ後も私は生きて、それらを見つけ次第片付けようと思う。私にできる分だけ。
私はよく母も誰も殺さなかったと思う。自分自身も含めて、殺意を人間に向けて殺してしまったことはまだない。母の死を望むことくらいは自分に許したいと思う。
2014年9月5日金曜日
楽しむこと、自発的に遊ぶこと
私が楽しむと、母の機嫌が悪くなった。友人と楽しむことはもちろん私にとって喜びだったが、それは同時に母の不興を買うことだった。後から遊びに行ったことをなじられるのだ。行かせないわけではなかったのは、理解ある母という立場も欲しかったのだろう。後で嫌味をネチネチと言われ、次第に消極的になっていった。読書だけが楽しみとして残った。読書=勉強と思う母は、私が楽しんでいるのがわからなかったので、とても都合が良かった。現実から本の中に逃げ込んで、しばらく別世界にいることはその時だけとはいえ、解放だった。ときどき著者に蹴り出されるようなラストを味わったり、なんで知ってるの?と思うような文章を読んで、ゾクゾクするほど楽しかった。
自発的に遊ぶこと、時間を忘れ、没入することは楽しかった。楽しむために必要な、心の自由。母親は心の自由を持っていなかったから、私が心の自由を持つことを不快に思い、持たせまいとしたのだろう。母といると、母の苦しみを解らせるために、娘の私に苦しみを与えていることが判った。私はこんなひどい目にあったんだ!という話の後、決まって私に同じことをしたからだ。どれほど辛いか解らせたいからといって、母が祖母からされたことではないのに、私は母に仕返しされるのは理不尽だと思う。
しかしそんな事をしておきながら、
母のおかげで、娘の私はこんなに恵まれた人生を送れています!
と世間様に対して言わせたかったので、内では母の仕返しに苦しめられているのに、外では母親のおかげで恵まれた人生を送る娘を演じなければならなかった。こんな矛盾した要求は、いくら母親のためでも耐えられない。やればやるほど、母の仕返しと、世間にたいして恵まれた娘に見せかけるための演技指導が激しくなり、頭がおかしくなりそうだった。私の恵まれた娘演技に不満な母は、自由にさせてやったのに…この恩知らず!と長時間詰るようになっていった。(一人暮らしをはじめた直後、いかにも大切にされて育った感じだよね、とやっかみ交じりに同級生に言われたので、演技に問題はなかったと思われます)
今から考えると、よく怒りで誰かを殺傷したりしなかったものだと思う。ニュースで見る未成年の殺人者について、あ、同じだ、と思う人がたまにいたからだ。私は自分のことをものすごく罪深く、まるで罪そのものだと思っていた。そして罪そのものなのだから、罪悪感を感じることも許されないと思っていた。それは人間のすることであり、ゴミクズの私には罪悪感を感じる資格などない、と。悪そのものの私なのだから苦しむはずはないと思っていた。
自分で自分のことをおかしいと思い、精神科へ相談に行ってみたいと思ったのは高校生の頃だった。精神科医で、人気作家でもある人達の本を何冊か読んでみたが、具体的な治療については書かれていなかった。が、必ず名前が出てくる人がいた。その人の書いた物に従って治療は行われているらしかったので、高校の図書館にあるその人の全集を読み始めた。結果は最悪だった。もう死んだその人に、文句を言ってやりたいと思った。もしも精神科へ行ったら、その人の書いた事を盲目的に信じる、もっと質の悪い人達に会うことになるのだ。私はハードカバーのご立派なその本を力任せに閉じた。背表紙が立てた音がやたら耳障りで、本棚にぶち込むと、もう誰にも助けてはもらえない、自分でどうにかするしかないんだ…でも一人でどうしたらいいんだろう?と思った。そうはいっても、助けが何もなかったわけではなかった。理解している人、知っている人は何処かにいて、映画に紛れ込ませてあったり、芸術関連のものに慎重に隠されていた。癪に障ることだが、嘘を言っているとされた症例の記述こそが、私にとっては同じような目に会った人が存在していることの証明だった。
ちなみに私が高校生の間に、アリス・ミラーの「魂の殺人」は出版されていた。私が探していた本だった。しかし私にはそこまで辿り着く能力がなかった。辿り着いて読んでいたら、違う人生があったかもしれないと思う。人生でやり直したいことがあるとしたらこの本を読むことだ。高校生の時に、外部に助けを求めようと思った時に。
原家族は私にとって、どうしてもそこから逃げ出さなくてはならない、なんとかして合法的に、親が認めざるを得ない形で脱出すべきところだった。地元の大学には無い学科を志望して、進学を理由に一人暮らしを始めた。もちろん物理的距離をとったからといって、長期間の洗脳が簡単に解けるわけではなかったが、それ以上洗脳されることがなくなった。不幸が高尚&親が偉い、という教義のカルト洗脳集団のようなところだ。おそらく今も。母から離れていることが、私には必要なのだと思う。
奴隷が自由になり、好きなことを楽しみ、以前より幸せになったのを、母が見ないで済むように。
自発的に遊ぶこと、時間を忘れ、没入することは楽しかった。楽しむために必要な、心の自由。母親は心の自由を持っていなかったから、私が心の自由を持つことを不快に思い、持たせまいとしたのだろう。母といると、母の苦しみを解らせるために、娘の私に苦しみを与えていることが判った。私はこんなひどい目にあったんだ!という話の後、決まって私に同じことをしたからだ。どれほど辛いか解らせたいからといって、母が祖母からされたことではないのに、私は母に仕返しされるのは理不尽だと思う。
しかしそんな事をしておきながら、
母のおかげで、娘の私はこんなに恵まれた人生を送れています!
と世間様に対して言わせたかったので、内では母の仕返しに苦しめられているのに、外では母親のおかげで恵まれた人生を送る娘を演じなければならなかった。こんな矛盾した要求は、いくら母親のためでも耐えられない。やればやるほど、母の仕返しと、世間にたいして恵まれた娘に見せかけるための演技指導が激しくなり、頭がおかしくなりそうだった。私の恵まれた娘演技に不満な母は、自由にさせてやったのに…この恩知らず!と長時間詰るようになっていった。(一人暮らしをはじめた直後、いかにも大切にされて育った感じだよね、とやっかみ交じりに同級生に言われたので、演技に問題はなかったと思われます)
今から考えると、よく怒りで誰かを殺傷したりしなかったものだと思う。ニュースで見る未成年の殺人者について、あ、同じだ、と思う人がたまにいたからだ。私は自分のことをものすごく罪深く、まるで罪そのものだと思っていた。そして罪そのものなのだから、罪悪感を感じることも許されないと思っていた。それは人間のすることであり、ゴミクズの私には罪悪感を感じる資格などない、と。悪そのものの私なのだから苦しむはずはないと思っていた。
自分で自分のことをおかしいと思い、精神科へ相談に行ってみたいと思ったのは高校生の頃だった。精神科医で、人気作家でもある人達の本を何冊か読んでみたが、具体的な治療については書かれていなかった。が、必ず名前が出てくる人がいた。その人の書いた物に従って治療は行われているらしかったので、高校の図書館にあるその人の全集を読み始めた。結果は最悪だった。もう死んだその人に、文句を言ってやりたいと思った。もしも精神科へ行ったら、その人の書いた事を盲目的に信じる、もっと質の悪い人達に会うことになるのだ。私はハードカバーのご立派なその本を力任せに閉じた。背表紙が立てた音がやたら耳障りで、本棚にぶち込むと、もう誰にも助けてはもらえない、自分でどうにかするしかないんだ…でも一人でどうしたらいいんだろう?と思った。そうはいっても、助けが何もなかったわけではなかった。理解している人、知っている人は何処かにいて、映画に紛れ込ませてあったり、芸術関連のものに慎重に隠されていた。癪に障ることだが、嘘を言っているとされた症例の記述こそが、私にとっては同じような目に会った人が存在していることの証明だった。
ちなみに私が高校生の間に、アリス・ミラーの「魂の殺人」は出版されていた。私が探していた本だった。しかし私にはそこまで辿り着く能力がなかった。辿り着いて読んでいたら、違う人生があったかもしれないと思う。人生でやり直したいことがあるとしたらこの本を読むことだ。高校生の時に、外部に助けを求めようと思った時に。
原家族は私にとって、どうしてもそこから逃げ出さなくてはならない、なんとかして合法的に、親が認めざるを得ない形で脱出すべきところだった。地元の大学には無い学科を志望して、進学を理由に一人暮らしを始めた。もちろん物理的距離をとったからといって、長期間の洗脳が簡単に解けるわけではなかったが、それ以上洗脳されることがなくなった。不幸が高尚&親が偉い、という教義のカルト洗脳集団のようなところだ。おそらく今も。母から離れていることが、私には必要なのだと思う。
奴隷が自由になり、好きなことを楽しみ、以前より幸せになったのを、母が見ないで済むように。
2014年9月4日木曜日
死を前にした人が後悔していること
1・自分自身に忠実に生きればよかった。
2・あれほど一生懸命働かなくてもよかった。
3・もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった。
4・友人関係を続けておけばよかった。
5・自分をもっと幸せにしてあげればよかった。
終末医療に従事する医療関係者に、ホスピス利用者がどんなことを死を前にして後悔していたか質問したところ、これらが答えとして得られたそうだ。あれほど一生懸命働かなくてもよかったという気持ちがあるとは意外だった。満足ではなく、後悔を感じているとは。
私は仕事が意義を与えてくれる、と期待しているから逆の結果になることが意外なのだ。そもそもなぜそう思い込むようになったのかも覚えていない。仕事を得るために労力を注いだからだろうか。仕事に打ち込みたくて打ち込むのではなく、生きがいを期待して打ち込むことは、おそらく間違いだ。何かや誰かに期待してしまうことを自覚するのはけっこう難しい。ふと気がつくと、期待したり希望を持ったりしている。心貧しい人間だと認めるしかない。
母親の余命宣告にあたり、これまで読まなかった類いの文章を読むようになり、自分が死ぬことの準備をしたいと思うようになった。老前整理、体力の維持、これから先に起こる問題に対応するための情報収集…色々と取り組まなくてはならないことがわかった。老死するのは先のことだが、早めの急死でなかった場合、かなり多くの選択に迫られるだろう。死ぬのもかなり大変だ。
自分に忠実に、気持ちを表す勇気を持って生きること、については手帳に書いて見直すことにするが、対人関係と仕事は、あまり頑張りすぎずに生きたい。できれば対人関係からは撤退したいのが私の本心なのだろう。こんな私でも、対人関係の薄さを死ぬ間際に後悔するものだろうか?私が後悔することが何か、まだ想像がつかない。
2・あれほど一生懸命働かなくてもよかった。
3・もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった。
4・友人関係を続けておけばよかった。
5・自分をもっと幸せにしてあげればよかった。
終末医療に従事する医療関係者に、ホスピス利用者がどんなことを死を前にして後悔していたか質問したところ、これらが答えとして得られたそうだ。あれほど一生懸命働かなくてもよかったという気持ちがあるとは意外だった。満足ではなく、後悔を感じているとは。
私は仕事が意義を与えてくれる、と期待しているから逆の結果になることが意外なのだ。そもそもなぜそう思い込むようになったのかも覚えていない。仕事を得るために労力を注いだからだろうか。仕事に打ち込みたくて打ち込むのではなく、生きがいを期待して打ち込むことは、おそらく間違いだ。何かや誰かに期待してしまうことを自覚するのはけっこう難しい。ふと気がつくと、期待したり希望を持ったりしている。心貧しい人間だと認めるしかない。
母親の余命宣告にあたり、これまで読まなかった類いの文章を読むようになり、自分が死ぬことの準備をしたいと思うようになった。老前整理、体力の維持、これから先に起こる問題に対応するための情報収集…色々と取り組まなくてはならないことがわかった。老死するのは先のことだが、早めの急死でなかった場合、かなり多くの選択に迫られるだろう。死ぬのもかなり大変だ。
自分に忠実に、気持ちを表す勇気を持って生きること、については手帳に書いて見直すことにするが、対人関係と仕事は、あまり頑張りすぎずに生きたい。できれば対人関係からは撤退したいのが私の本心なのだろう。こんな私でも、対人関係の薄さを死ぬ間際に後悔するものだろうか?私が後悔することが何か、まだ想像がつかない。
2014年9月3日水曜日
衣について
私はまるで男子のようだった。運動し、日焼けもし、ショートカットで男物を着ていた。なんというか、典型的だったと思う。母親は私の体が女性的になってきたとき、嫌悪感も露わに、太ってる!肉がついてる…と忌々しそうに私の体を見て言った。まぁよくあることなのだが。
私が服装を変えるきっかけとなったのは、ある女の子を見てしまったことだ。体の線が全くわからない、サイズが大きすぎる服を着て、まるで女性らしさがない服装だった。メガネも似ている。自分自身を見せられたようだったこと、その服が却って自分の弱点を晒してしまっていることに強い衝撃を受けた。声をかけて、むしろ見つけられるから危険だよ、やめないと、と言えたらよかったが、動くことができなかった。それからはサイズの甘いものを着ないようになった。それでもスカートは履かず、パンツスタイルのみだが。
通院の付き添いで、たとえパンツでもスリムなものを着ていると、母には
「男の人の気を引きたいと思われるからやめなさい」と言われる。
唖然とした。ブルカでも着ろと?貧弱な体型に緩い服が合わないことすらわからないのか?気が狂ったのかと思ったが、おかしな思い込みが多いのは元々だった。女性でありながら、女性の服装のせいにする男性と同じ思考回路をしているのが気持ち悪かった。痴漢があの服は誘っているんだとか、触って欲しいんだとか、責任を転嫁するのと同じだった。男尊女卑の強い人だと思っていたが、そこまで男性の考え方を取り入れなくても…いや、「セクハラをする男性」の考えを取り入れなくても…。自分が女性であることをどう思っているのだろうか。
母は、私が上司にセクハラされて、苦しんで痩せたときも、そんなことで会社を辞める気?そんなの許さないから!だけ言い捨て、それ以降その問題は完全無視だった。何より優先なのは、いい勤め先に勤めている娘の母である自分自身だった。母にとって最優先事項は自分の立ち位置で、辛かろうが苦しかろうがその根拠を私が供給し続けるべきだと思っていたのだろう。だから、供給し続けるよう命令して、それで済ませたのだ。私は奴隷だったのだ、ご主人様に奉仕するための。
母からはまともな服飾関連の文化を伝達されなかったが、服のデザインをする人と知り合いになる機会に恵まれ、その人の服をかなり持つようになった。優雅に着てね!と彼女の服に対する情熱とイメージをたくさん一緒にもらった。服そのものが喜びの源で、他人からどう見られるかなどは考慮に入っていない。彼女が自分で選んだ布と裁断の独自性は、緊張感もあるが、布の肌触りが心地よく、それを着て活動することが想定された服だった。衣に関しては、彼女と友人達によって、母親の歪んだ思い込みの絡まない状態で楽しむことができるようになったと思う。何より都内に何年か住んで、そこに暮らす女性達を見て、自分のダサさを痛いほど味わったのが有効だったと思う。どんなに奇抜な格好でも、自分が好きだと思えば着ていいし、何をその人が素敵だと思っているかが提示されていて、地下鉄で観察するのが楽しかった。
母は、年と共に服に興味のない男性のようになっている。ジャケットでありさえすれば、デザインもサイズも無頓着で構わないという考えで、まともに鏡を見ていないんだろうな、とわかってしまうような。なんでそれを選ぶのか…と見る者を呆れさせる。それでも大量に服は持っているというありがちな状態。
服を抑圧の道具にした母親は、服に仕返しされているのだろう。
私が服装を変えるきっかけとなったのは、ある女の子を見てしまったことだ。体の線が全くわからない、サイズが大きすぎる服を着て、まるで女性らしさがない服装だった。メガネも似ている。自分自身を見せられたようだったこと、その服が却って自分の弱点を晒してしまっていることに強い衝撃を受けた。声をかけて、むしろ見つけられるから危険だよ、やめないと、と言えたらよかったが、動くことができなかった。それからはサイズの甘いものを着ないようになった。それでもスカートは履かず、パンツスタイルのみだが。
通院の付き添いで、たとえパンツでもスリムなものを着ていると、母には
「男の人の気を引きたいと思われるからやめなさい」と言われる。
唖然とした。ブルカでも着ろと?貧弱な体型に緩い服が合わないことすらわからないのか?気が狂ったのかと思ったが、おかしな思い込みが多いのは元々だった。女性でありながら、女性の服装のせいにする男性と同じ思考回路をしているのが気持ち悪かった。痴漢があの服は誘っているんだとか、触って欲しいんだとか、責任を転嫁するのと同じだった。男尊女卑の強い人だと思っていたが、そこまで男性の考え方を取り入れなくても…いや、「セクハラをする男性」の考えを取り入れなくても…。自分が女性であることをどう思っているのだろうか。
母は、私が上司にセクハラされて、苦しんで痩せたときも、そんなことで会社を辞める気?そんなの許さないから!だけ言い捨て、それ以降その問題は完全無視だった。何より優先なのは、いい勤め先に勤めている娘の母である自分自身だった。母にとって最優先事項は自分の立ち位置で、辛かろうが苦しかろうがその根拠を私が供給し続けるべきだと思っていたのだろう。だから、供給し続けるよう命令して、それで済ませたのだ。私は奴隷だったのだ、ご主人様に奉仕するための。
母からはまともな服飾関連の文化を伝達されなかったが、服のデザインをする人と知り合いになる機会に恵まれ、その人の服をかなり持つようになった。優雅に着てね!と彼女の服に対する情熱とイメージをたくさん一緒にもらった。服そのものが喜びの源で、他人からどう見られるかなどは考慮に入っていない。彼女が自分で選んだ布と裁断の独自性は、緊張感もあるが、布の肌触りが心地よく、それを着て活動することが想定された服だった。衣に関しては、彼女と友人達によって、母親の歪んだ思い込みの絡まない状態で楽しむことができるようになったと思う。何より都内に何年か住んで、そこに暮らす女性達を見て、自分のダサさを痛いほど味わったのが有効だったと思う。どんなに奇抜な格好でも、自分が好きだと思えば着ていいし、何をその人が素敵だと思っているかが提示されていて、地下鉄で観察するのが楽しかった。
母は、年と共に服に興味のない男性のようになっている。ジャケットでありさえすれば、デザインもサイズも無頓着で構わないという考えで、まともに鏡を見ていないんだろうな、とわかってしまうような。なんでそれを選ぶのか…と見る者を呆れさせる。それでも大量に服は持っているというありがちな状態。
服を抑圧の道具にした母親は、服に仕返しされているのだろう。
2014年9月2日火曜日
私が見た共依存者、母親
共依存は治療を受けるようになってから知った言葉。耐える女性は男性受けは良いが、その子供受けは最悪だと思う。私は共依存という言葉を知らない間は母を卑怯者だと思っていた。そして家の外にいる人は、それが解らず、騙されていることに気付かない間抜けだと思っていた。でも、母の卑怯さが他人にわかってしまうことは恥ずかしくて嫌だと思っていた。
共依存者は外部の人の前では当たり良く、感じの良い人を装う。
家族など内側の人には抑鬱的な自己を表現し、深いため息をつく。
外部の人のためにしてあげたことは、自分の体裁のためにやっていることなのに、家族のためだとし、その見返りを要求した。何かをしてあげた人から返してもらうのが、対等な人間関係だが、優位に立ちたがる母は、見返りを求めず黙ってしてあげる人を演じていた。外の人には遠慮し、その遠慮分は家族に対する要求に上乗せすればいいのだ。外面が良過ぎる、ご立派すぎる人を見かけると、家族はさぞ大変だろうな…と思う。
逃げられない家族はいいなりだ、その場を凌ぐため、褒めたり愚痴を聞いたり、罵られるがままになる。これを繰り返すのだが、ただの繰り返しでは済まなくなる。いつの間にか、私のおかげで周りの人生は成り立っている!という誇大妄想を語り始める。どうしてそうなるのか理解できなかった。母はむしろ負担で、重荷だったからだ。自分の欲求のため家族を疲弊させる人だと思っていた。
母を含む共依存の女性たちは、相手を自分に依存させ、自分に依存するものをコントロールすることに嗜癖する。共依存者のやっていることは、相手のためにと言いながら、自分の思いどおりに相手を操作することだ。操作される方の気持ちなど一顧だにしない。自分に依存する他者の欲求などどうでもいい。自分の欲求充足こそ最重要なのだ。自己犠牲に見せかけた支配。相手の生殺与奪権を握っていると勘違いし、自分こそが偉いのだと錯覚する。
「アタシが怒鳴りつけてやったから、アンタは勉強するようになったんだ!怠け者のアンタの成績がいいのは、このアタシのおかげなんだからね!」という言葉は母の口から私に向けて繰り返された。勉強している最中に、部屋に足音荒くやってきては、わめき散らした。母が満足して部屋から出て行くまで勉強に戻れなかった。怠けて勉強不足だったのは試験に不合格だった高校生の母だ。すなわち投影/自己紹介。
私を罵って心理的安定を図る人が自分の母親であることが辛かった。娘を使って自己愛を満たしている母の顔はとても醜かった。
幼い頃は、同じ人の顔が、世界で一番綺麗な顔に見えていたのに。
共依存者は外部の人の前では当たり良く、感じの良い人を装う。
家族など内側の人には抑鬱的な自己を表現し、深いため息をつく。
外部の人のためにしてあげたことは、自分の体裁のためにやっていることなのに、家族のためだとし、その見返りを要求した。何かをしてあげた人から返してもらうのが、対等な人間関係だが、優位に立ちたがる母は、見返りを求めず黙ってしてあげる人を演じていた。外の人には遠慮し、その遠慮分は家族に対する要求に上乗せすればいいのだ。外面が良過ぎる、ご立派すぎる人を見かけると、家族はさぞ大変だろうな…と思う。
逃げられない家族はいいなりだ、その場を凌ぐため、褒めたり愚痴を聞いたり、罵られるがままになる。これを繰り返すのだが、ただの繰り返しでは済まなくなる。いつの間にか、私のおかげで周りの人生は成り立っている!という誇大妄想を語り始める。どうしてそうなるのか理解できなかった。母はむしろ負担で、重荷だったからだ。自分の欲求のため家族を疲弊させる人だと思っていた。
母を含む共依存の女性たちは、相手を自分に依存させ、自分に依存するものをコントロールすることに嗜癖する。共依存者のやっていることは、相手のためにと言いながら、自分の思いどおりに相手を操作することだ。操作される方の気持ちなど一顧だにしない。自分に依存する他者の欲求などどうでもいい。自分の欲求充足こそ最重要なのだ。自己犠牲に見せかけた支配。相手の生殺与奪権を握っていると勘違いし、自分こそが偉いのだと錯覚する。
「アタシが怒鳴りつけてやったから、アンタは勉強するようになったんだ!怠け者のアンタの成績がいいのは、このアタシのおかげなんだからね!」という言葉は母の口から私に向けて繰り返された。勉強している最中に、部屋に足音荒くやってきては、わめき散らした。母が満足して部屋から出て行くまで勉強に戻れなかった。怠けて勉強不足だったのは試験に不合格だった高校生の母だ。すなわち投影/自己紹介。
私を罵って心理的安定を図る人が自分の母親であることが辛かった。娘を使って自己愛を満たしている母の顔はとても醜かった。
幼い頃は、同じ人の顔が、世界で一番綺麗な顔に見えていたのに。
2014年9月1日月曜日
投影/悪口は自己紹介
認めたくない自分の劣っている部分、それを相手に移して(映して)、まるで相手の欠点のように指摘し、非難し、自分がその欠点を持っていないことにする。そこに居合わせた第三者から見れば、誰かを矯正してあげているつもりが、自分の欠点を自分で紹介してしまっている失笑茶番劇にしか見えない。
投影して、欠点を非難することは、相手を負の感情を捨てるゴミ箱にしていることと同じ。自分の欠点は改善されることなくそのまま残り続ける。一時しのぎのため誰かに投影することを繰り返し、誰かをゴミ箱にしなくてはいられない人になる。内に向かって自己嫌悪となるはずのものが、外に向かって、教育の名を借りた他人を攻撃する悪口となる。
にちゃんねるの言語センスは凄いものがあると思う。人のことを言えないでしょ?とは実際に相手を目の前にしたら、恐ろしくて言えないと思う。自分を守ろうとして欠点を他人に押し付けたら、返す刀で、それ自己紹介だね☆なんて、モニター越しでなければ恐ろしくて言えない。悪口を言って、悦びにギラギラと顔を輝かせる人は、珍しくない。職場で家庭で学校で社交の場でよく見かけると思う。他人は変えられず、一緒に悪口を言っていたことにされるリスクを負わされ続けるしかないのか…?
私と母の関係上での用法は
ーーーここは趣向を変えて、私が新語を練習することにする。
母:本当に田舎の人って自分のみっともなさに気付いてなくて、常識がないのよね〜。
プ:それって自己紹介だね☆姉妹だから出身一緒でしょ?その服センス悪い、よくそんなの着てられるね
母:私の肺がん治せないくせに、医者のくせに!
プ:それって自己紹介だね☆私が闘病中甘ったれてるから治らないって言ったよね、自分が甘ったれてるから肺がん治せないんじゃない?精神的な甘えで病気になるって言ったんだから、自分の病気は精神力で治すんでしょ?偉そうに言ってたくせに治せないんだ。
母:私が肺がんになったのは孫がストレスを掛けたせいだ!
プ:それって自己紹介だね☆大したことできない大人しい子のしたことを針小棒大に言って、被害者ぶって、ストレスかけられたお芝居を熱演しすぎたんじゃないの?お芝居もやりすぎは禁物よね。それがストレスになって肺がんになったんじゃない?自分のせいだね。
こんな感じだろうか。できれば母と二人になるのは避けたい。私が誰にも言わないと見越して、自分の醜い部分を吐き出してくる。好都合なことに耳の遠くなった、貴女の夫にでも言っとくれ。
生きている限り、被害者ぶり続けるのだろう。それになんの意味があるのかわからない。もうじき死ぬのに、やりたいことは責任転嫁なのだろうか?
呼吸が苦しくなって話すことができなくなるまで続けるつもりだろうか…?
酸素がもったいねぇ。
投影して、欠点を非難することは、相手を負の感情を捨てるゴミ箱にしていることと同じ。自分の欠点は改善されることなくそのまま残り続ける。一時しのぎのため誰かに投影することを繰り返し、誰かをゴミ箱にしなくてはいられない人になる。内に向かって自己嫌悪となるはずのものが、外に向かって、教育の名を借りた他人を攻撃する悪口となる。
にちゃんねるの言語センスは凄いものがあると思う。人のことを言えないでしょ?とは実際に相手を目の前にしたら、恐ろしくて言えないと思う。自分を守ろうとして欠点を他人に押し付けたら、返す刀で、それ自己紹介だね☆なんて、モニター越しでなければ恐ろしくて言えない。悪口を言って、悦びにギラギラと顔を輝かせる人は、珍しくない。職場で家庭で学校で社交の場でよく見かけると思う。他人は変えられず、一緒に悪口を言っていたことにされるリスクを負わされ続けるしかないのか…?
私と母の関係上での用法は
ーーーここは趣向を変えて、私が新語を練習することにする。
母:本当に田舎の人って自分のみっともなさに気付いてなくて、常識がないのよね〜。
プ:それって自己紹介だね☆姉妹だから出身一緒でしょ?その服センス悪い、よくそんなの着てられるね
母:私の肺がん治せないくせに、医者のくせに!
プ:それって自己紹介だね☆私が闘病中甘ったれてるから治らないって言ったよね、自分が甘ったれてるから肺がん治せないんじゃない?精神的な甘えで病気になるって言ったんだから、自分の病気は精神力で治すんでしょ?偉そうに言ってたくせに治せないんだ。
母:私が肺がんになったのは孫がストレスを掛けたせいだ!
プ:それって自己紹介だね☆大したことできない大人しい子のしたことを針小棒大に言って、被害者ぶって、ストレスかけられたお芝居を熱演しすぎたんじゃないの?お芝居もやりすぎは禁物よね。それがストレスになって肺がんになったんじゃない?自分のせいだね。
こんな感じだろうか。できれば母と二人になるのは避けたい。私が誰にも言わないと見越して、自分の醜い部分を吐き出してくる。好都合なことに耳の遠くなった、貴女の夫にでも言っとくれ。
生きている限り、被害者ぶり続けるのだろう。それになんの意味があるのかわからない。もうじき死ぬのに、やりたいことは責任転嫁なのだろうか?
呼吸が苦しくなって話すことができなくなるまで続けるつもりだろうか…?
酸素がもったいねぇ。
2014年8月31日日曜日
食について
母親の作る食事が嫌いだった。母親が怒鳴り散らす食事時間は苦痛だった。母親は、家事のようなくだらない仕事は自分の仕事ではない、と傲慢な男性のような言葉を吐いていた。そういう人の家事能力が高くないところまで男性のようだった。
外面がいいので、母は料理がうまいと思われていたらしい。人により出す料理が違っているとは知らなかったのだろう。家族外の人、兄、父、私の順で食事に差がつけられていた。弁当は同級生という他人の見るものだから、まともであったのかと今にして思う。それでも凄い思い出がある。白いご飯に白い幼虫が大量に混じっていた。小さな黒い頭と白い虫体が白米のなかに埋れていた。小さな足も写真のように思い出せる。遠目にはわからなかったのか、どうしたの?と同級生に聞かれた。何も言えなかった。虫のたくさんいる米を研ぎ、炊き上がったそれを杓文字でよそえる神経が理解できない。どうやったらそんな気持ち悪いことができるのだろう。嫌がらせのためならそこまでできるものだろうか?幼虫のことを言ったときに、ヘラヘラ笑う母をみて、ああ、わかっていてやったのだと思った。幼虫炊込み御飯を食わせるほど私が気に入らなかったのだろう。
母は自分が作ったものを全部食べないと、わめき散らした。嫌がらせのように、多くよそい、無理やり食べさせるのが常だった。どのくらいか聞かれて、量や数を答えても、それ以上を出し、なんで食べない!と食事中に喚いた。謝らせるためだったのだろう。相応しくないことをさせたことに対する処罰だったのだろう。イヤイヤながら作ったことがわかる食事は食べるのが苦痛だった。あの食事は毒入りだったと思う。愚痴を言う母に対し、父と私が、では自分たちがやるから、と食事の準備をすると、いつも以上にわめき散らし、二度とさせなかった。父の味噌汁が美味しかったことが不満だったのだろう。くだらない仕事をさせられている、と母が被害者ぶり、家族を加害者にするための食事は続いた。
メシマズ嫁のことをネットをするようになってから知ったが、よく似てると思う。母の味噌汁はとても不味かった。だしの煮干や鰹節はそのままで、味噌カスも多く、ドロドロで嫌な味がした。トーストにバターをバターナイフを使わず直接塗り、バターの塊にはパンくずが付いたままできちんと包まれず酸化していた。一人暮らしをして、バターナイフを使い、しっかり包むようにして初めてバターが美味しいことを知った。手抜きとされる顆粒だしやインスタントの味噌汁はサラサラした液体だった。誰かが私に作ってくれた味噌汁はことの他美味しかった。私の当時の好物は、牛乳とヨーグルトと林檎。これらは自分で開封または皮を剥いて一人で食べることができたから。特に林檎は、冬にダンボールのままで置かれ、不衛生な冷蔵庫に入らないので、一番好きだった。牛乳は冷蔵庫で匂いがついてしまうので、開けたら1リットル飲んでいた。今ではその三つはそれほど食べることもなくなった。
外面がいいので、母は料理がうまいと思われていたらしい。人により出す料理が違っているとは知らなかったのだろう。家族外の人、兄、父、私の順で食事に差がつけられていた。弁当は同級生という他人の見るものだから、まともであったのかと今にして思う。それでも凄い思い出がある。白いご飯に白い幼虫が大量に混じっていた。小さな黒い頭と白い虫体が白米のなかに埋れていた。小さな足も写真のように思い出せる。遠目にはわからなかったのか、どうしたの?と同級生に聞かれた。何も言えなかった。虫のたくさんいる米を研ぎ、炊き上がったそれを杓文字でよそえる神経が理解できない。どうやったらそんな気持ち悪いことができるのだろう。嫌がらせのためならそこまでできるものだろうか?幼虫のことを言ったときに、ヘラヘラ笑う母をみて、ああ、わかっていてやったのだと思った。幼虫炊込み御飯を食わせるほど私が気に入らなかったのだろう。
お弁当は、一人暮らしをしてからも、作ることがどうしても嫌だった。でもなぜかこの夏から、時々作れるようになり、美味しいと感じるようになったのが嬉しい。三十年も手作り弁当が嫌いで、コンビニ弁当や、スーパーのお弁当が好きだったのだ。何がどうしてこうなったのかよくわからない。けれど、食事を作るときには自分に言い聞かせようと思う、
母から毒を食べさせられることはもうない。食事を作るときに、自分に毒を盛るような気持ちで食事を作るようなことはもうしない。作ってやる価値がない人間だと自分で自分を貶めるようなことをしてはいけない。母が私にしたことを、自分で自分に繰り返すようなことは、もうやめるのだ、と。
2014年8月30日土曜日
健康に生きて行くために必要なこと
ま、自分は何とか出来るだろう=自分への信頼
ま、身近な人が助けてくれるだろう=身近な人への信頼
ま、今まで大丈夫だったし、これからも大丈夫だろう=世界への信頼
これらがあって
ま、何とかなるだろう
=先に何が起こるかわからなくても、落ち着いて暮らす、健康に生きる。
が可能になる。もちろん、様々な問題が発生してこれらが揺らぐことはあっても、回復させながら生きていく。
治療を受けるなかで知った、この三つは本当に基本だと思う。人生における最優先事項で、社会的達成など、このはるか後でいい、自己実現なんて寝言だ。あくまで私見。
「自分、身近な人、世界への信頼感」は、その最初の場所である家庭がどのようなものであったかに左右されると思う。最優先事項が人生の最初の時期に達成された人は、祝福された人だ。家庭のなかに暴力があったり、虐待があれば、自分にも、身近な人である家族にも、幼児にとっての家庭は全世界だから、世界への信頼感さえも、持つことはできないだろう。人生の最初の時期に呪詛されたとでもいうべきか。
この呪いから回復するために、間違った自己治療を含め、意識的に無意識的に、様々なことをやってきた。効果はあったのかなかったのか自分ではわからない。
生きている限りは、治せるところまで治したい。自分への信頼がないことは辛く、苦しい。努力して何かを得ても、自分自身に価値があるとは思えなかった。何をしてもダメだとしか思えなかった私が自分への信頼を回復するために何をしたらいいのか。今、私は、日常生活の小さな達成を自分で認めることをやってみている。なんだそんなこと…と思われるかもしれないが、私にはそれができていない。
母は日々の生活のなか、躾の名を借りて些細なことを執拗にあげつらい、私の心を踏み躙ってきた。幼い頃からの執拗な積み重ねは、頑強であり、深く私に埋め込まれ、思い出すと母に対する恐怖が蘇る。私の身体や衣食住に加えられる惨めな経験、日常生活のなかにある、思い出すきっかけとなる家事は辛い。生育家庭で暮らした時間より、一人で暮らした時間の方が長いのに。
本来家事は、再生産を可能にするための準備や、回復のためのもの。本来の機能を取り戻せるように、努力したい。
母親を含む他人から毒を受けても、回復できるように、解毒できるようになりたい。他人の心理的な問題を押し付けられて、身代わりをさせられるのはもう嫌なのだ。
ま、身近な人が助けてくれるだろう=身近な人への信頼
ま、今まで大丈夫だったし、これからも大丈夫だろう=世界への信頼
これらがあって
ま、何とかなるだろう
=先に何が起こるかわからなくても、落ち着いて暮らす、健康に生きる。
が可能になる。もちろん、様々な問題が発生してこれらが揺らぐことはあっても、回復させながら生きていく。
治療を受けるなかで知った、この三つは本当に基本だと思う。人生における最優先事項で、社会的達成など、このはるか後でいい、自己実現なんて寝言だ。あくまで私見。
「自分、身近な人、世界への信頼感」は、その最初の場所である家庭がどのようなものであったかに左右されると思う。最優先事項が人生の最初の時期に達成された人は、祝福された人だ。家庭のなかに暴力があったり、虐待があれば、自分にも、身近な人である家族にも、幼児にとっての家庭は全世界だから、世界への信頼感さえも、持つことはできないだろう。人生の最初の時期に呪詛されたとでもいうべきか。
この呪いから回復するために、間違った自己治療を含め、意識的に無意識的に、様々なことをやってきた。効果はあったのかなかったのか自分ではわからない。
生きている限りは、治せるところまで治したい。自分への信頼がないことは辛く、苦しい。努力して何かを得ても、自分自身に価値があるとは思えなかった。何をしてもダメだとしか思えなかった私が自分への信頼を回復するために何をしたらいいのか。今、私は、日常生活の小さな達成を自分で認めることをやってみている。なんだそんなこと…と思われるかもしれないが、私にはそれができていない。
母は日々の生活のなか、躾の名を借りて些細なことを執拗にあげつらい、私の心を踏み躙ってきた。幼い頃からの執拗な積み重ねは、頑強であり、深く私に埋め込まれ、思い出すと母に対する恐怖が蘇る。私の身体や衣食住に加えられる惨めな経験、日常生活のなかにある、思い出すきっかけとなる家事は辛い。生育家庭で暮らした時間より、一人で暮らした時間の方が長いのに。
本来家事は、再生産を可能にするための準備や、回復のためのもの。本来の機能を取り戻せるように、努力したい。
母親を含む他人から毒を受けても、回復できるように、解毒できるようになりたい。他人の心理的な問題を押し付けられて、身代わりをさせられるのはもう嫌なのだ。
このブログの目的と私の目標
非公開から公開にしてみて、少し慣れたような気がする。拙ブログに対して、怒りや不快を感じる客人もいるかもしれないが、母が死ぬまで、自分を正気に保つために続けたいと思う。それまで、荒らし目的の方に、見つからないでいてくれたらありがたい。
コメント欄の荒らしや、2ちゃんに晒されたことを知ってショックを受ける、等々、メンタルアタックは管理人の力を削ぐ。ネット上での活動は、なかなかの心理的消耗戦を呈したりする。そのため拙ブログでは、コメントに返事をしないことにしている。
自分の頭のなかにあることをアウトプットするために開設したので、コメント返しは最優先事項ではない。返コメントはご容赦頂きたい。しかしもちろん読んでいる。読みっぱなしなのだが。
私が消耗するようなことはしない。その失敗は、母親のために行動することで回復不能なほどのダメージを食らったので、もう繰り返さない。
母は生きている限り、毒を撒き続けるだろう。死ぬとなれば、完全に離れていることができない。母が生者に呪いをかけないことを確認したいからだ。今まで、母から言語的、非言語的な呪いをくらい、それらは毒のように私を蝕んだが、同じものを屁のようにしばらく臭い程度のものと思えるくらい自分の強さをレベルアップさせたい。なんて無理かねぇ…。
誰も巻き込まれることなく、執着され呪いをかけられることなく、
母だけをあの世へ送りたい。
合掌
コメント欄の荒らしや、2ちゃんに晒されたことを知ってショックを受ける、等々、メンタルアタックは管理人の力を削ぐ。ネット上での活動は、なかなかの心理的消耗戦を呈したりする。そのため拙ブログでは、コメントに返事をしないことにしている。
自分の頭のなかにあることをアウトプットするために開設したので、コメント返しは最優先事項ではない。返コメントはご容赦頂きたい。しかしもちろん読んでいる。読みっぱなしなのだが。
私が消耗するようなことはしない。その失敗は、母親のために行動することで回復不能なほどのダメージを食らったので、もう繰り返さない。
母は生きている限り、毒を撒き続けるだろう。死ぬとなれば、完全に離れていることができない。母が生者に呪いをかけないことを確認したいからだ。今まで、母から言語的、非言語的な呪いをくらい、それらは毒のように私を蝕んだが、同じものを屁のようにしばらく臭い程度のものと思えるくらい自分の強さをレベルアップさせたい。なんて無理かねぇ…。
誰も巻き込まれることなく、執着され呪いをかけられることなく、
母だけをあの世へ送りたい。
合掌
2014年8月29日金曜日
孝行の したい時分に 親はなし
これは川柳として江戸期に詠まれたもののようです
大人になり、親の気持ちがわかったころには、親は亡くなっていて、生きている間に孝行したらよかったな…という気持ちを詠んだもの
私と母の関係上での用法は
まずこの川柳に対して冒涜的なのは、母がこれを口に出すことです。祖父母のことを思ってではなく、私に向けて。ちなみに母親の言う親孝行とは、親の言いなりになることで、わたしが幸せになることではありません。
「私のようないい親は早死にする」と弱々しい声で言いつつ、今親孝行しろ、すぐ親孝行しろ、ここでしろ!と自分の要求を通していました。当時私は十代中頃。死ぬ死ぬ詐欺により極度の不安に陥り、コロっと騙されていました。長いこと死ぬ死ぬ詐欺を繰り返すとその対人関係が死にます…。もちろん母親にとっては私を人とも思っていなかったから、死んでも構わなかったのでしょう。
いつまでも死なない、おかしい、と十年後位に気づきました、遅い。死んで腐った対人関係をつづけて毒をたっぷりもらってしまいました。
その頃の親と同じ年齢になり、どうしてあんなマネができたのか、わたしには母の気持ちが全くわかりません。10代の人間を脅して言いなりにするなんて、その位の年齢の女の子達を見て、なんて酷い人間なんだと、むしろ軽蔑してます。
この川柳は心理的に健康な親に育てられた子供の気持ちを詠んだもので、毒親に育てられたものにとっては、理解できない心情だと思います。この後に
されど墓に布団は着せられず
とあるそうなので、親孝行とは、どうやら暖かい布団と食べ物、という衣食のたりていることらしいのです。それが孝行?と、物の豊かな現代人は思ってしまいます。当時の布団が現代で言うと何に当たるのかわかりませんが、親の言いなりになって自分の人生を差し出すことではないはずです。詠んだ人は差し出してませんし。
母親は自分の都合のいいようにこの川柳を使ったんでしょう。母親の入った墓を蹴り飛ばしてやりたいくらいですが、他の人も入っているので多分やらないと思います。それ以前にまだ入ってませんでしたね…
大人になり、親の気持ちがわかったころには、親は亡くなっていて、生きている間に孝行したらよかったな…という気持ちを詠んだもの
私と母の関係上での用法は
まずこの川柳に対して冒涜的なのは、母がこれを口に出すことです。祖父母のことを思ってではなく、私に向けて。ちなみに母親の言う親孝行とは、親の言いなりになることで、わたしが幸せになることではありません。
「私のようないい親は早死にする」と弱々しい声で言いつつ、今親孝行しろ、すぐ親孝行しろ、ここでしろ!と自分の要求を通していました。当時私は十代中頃。死ぬ死ぬ詐欺により極度の不安に陥り、コロっと騙されていました。長いこと死ぬ死ぬ詐欺を繰り返すとその対人関係が死にます…。もちろん母親にとっては私を人とも思っていなかったから、死んでも構わなかったのでしょう。
いつまでも死なない、おかしい、と十年後位に気づきました、遅い。死んで腐った対人関係をつづけて毒をたっぷりもらってしまいました。
その頃の親と同じ年齢になり、どうしてあんなマネができたのか、わたしには母の気持ちが全くわかりません。10代の人間を脅して言いなりにするなんて、その位の年齢の女の子達を見て、なんて酷い人間なんだと、むしろ軽蔑してます。
この川柳は心理的に健康な親に育てられた子供の気持ちを詠んだもので、毒親に育てられたものにとっては、理解できない心情だと思います。この後に
されど墓に布団は着せられず
とあるそうなので、親孝行とは、どうやら暖かい布団と食べ物、という衣食のたりていることらしいのです。それが孝行?と、物の豊かな現代人は思ってしまいます。当時の布団が現代で言うと何に当たるのかわかりませんが、親の言いなりになって自分の人生を差し出すことではないはずです。詠んだ人は差し出してませんし。
母親は自分の都合のいいようにこの川柳を使ったんでしょう。母親の入った墓を蹴り飛ばしてやりたいくらいですが、他の人も入っているので多分やらないと思います。それ以前にまだ入ってませんでしたね…
現在の私から見た母親
2013年母親はガンで余命宣告を受けた。その時点では半年だった。もちろん治療の効果があって、余命が伸びたゆえ、私がこのブログを書いているのだが。
ステージ4で、転移していたが、それも放射線治療にて改善。骨転移は現在はない。肺の腫瘍で、片肺が正常なので、日常生活は送れる。抗がん剤が効いて、腫瘍がある側の肺に広がっていた小さい腫瘍塊は消えている。幸運にも得た余命だが、どう使おうか、とは考えないらしい。映画や本などでは、自分のやりたかったことに取り組んだり、とても感動的、肯定的、人間の素晴らしさや生きることに対する前向きな姿勢をこれでもかっ!と見せてくれるが、そんなものはかけらもない。
なんとも不思議だが趣味をやめたのだ。自分の楽しみを味わおうとするものかと思っていた。趣味が何もないのは体裁が悪いから、世間体のためにやっていたのかもしれない。お茶と山歩きだが、体力的にできるにもかかわらず、やめてしまった。お茶に関してはそもそも伯母が師範をしていたが、母はこの伯母が嫌いで批判をよくしていた。夫を早くに亡くし、子供を一人で育てた人なのだが。悪口は自己紹介だが、田舎者で意識が低い、考え方が間違っているなどなど。姉妹なのだから、どちらも田舎者だし、ブーメランにしかならないことには気づかないようだった。この伯母は姉妹のなかで最も容姿がよく、華やかな人だ。モテてリア充だったことは私も聞き及んでいる。母はひがんでいたのだろう。姉妹のいない私には、姉妹間の競争はわからなかった。別の家庭を持つようになっても続くのか。比較するネタには困らないだろうけれど。
母親には、自分自身の好きなことに打ち込む、ということがどんなことなのかわからないのだと思う。姉妹との比較がおそらく行動の原動力となっていて、自分自身の欲求を深く考えたこともないのだろう。体裁や世間体などの、他者から見て良しとされる、が行動や考えの選択基準となっていて、こんなにちゃんとしてるのに評価されていない、と常に欲求不満だったのだと思う。今にして思えばだが。
私は幼い頃母の味方だった。母が自分のいない間に死んでしまったらどうしようと、習い事に行くのが辛かった。あの強烈な不安感を覚えている。あの頃、母親が苦しんでいるのは自分のせいで、なんとかしなくてはならないと必死になっていて、母の要求を叶えようとしていた。
騙されていたことに気付いたのはずっと後だった。いや騙されていることに気づかないようにしていたのだろう。母親に騙されて利用される娘だなんて、自覚したくなかった。
母親が、自分は被害者だということにして責任逃れをしつづけるのは構わない。でも私に責任転嫁することは許さない。子供に責任負わせて逃げられることではないのだ。そもそも何から逃げようとしているのだろう。世間は母親のことなど気にかけていない。母親の人生に関心を持ち、責任の追求などという労力をはらったのは私くらいのものだ。
私は母親を愛していた。でも、悪い女にひっかかって人生を随分辛いものにしてしまったと思う。これが赤の他人なら、まだよかったと思う。もうそんなのにひっかからんぞと次を選ぶことも出来ただろう。しかしそんな女が私の母親なのだ。次の母親を探すという選択肢はない。どんなに悪い、嫌な女でも、子供を産んでしまえば、自分から逃げることのできない人間を手に入れられる。好きなだけ虐めても、躾で誤魔化せる。威張り、自分を立派だと言わせることが出来る。無限の権力を持って、誰かの上に君臨して、現実では惨めな自分をごまかしていたのだろう。
ステージ4で、転移していたが、それも放射線治療にて改善。骨転移は現在はない。肺の腫瘍で、片肺が正常なので、日常生活は送れる。抗がん剤が効いて、腫瘍がある側の肺に広がっていた小さい腫瘍塊は消えている。幸運にも得た余命だが、どう使おうか、とは考えないらしい。映画や本などでは、自分のやりたかったことに取り組んだり、とても感動的、肯定的、人間の素晴らしさや生きることに対する前向きな姿勢をこれでもかっ!と見せてくれるが、そんなものはかけらもない。
なんとも不思議だが趣味をやめたのだ。自分の楽しみを味わおうとするものかと思っていた。趣味が何もないのは体裁が悪いから、世間体のためにやっていたのかもしれない。お茶と山歩きだが、体力的にできるにもかかわらず、やめてしまった。お茶に関してはそもそも伯母が師範をしていたが、母はこの伯母が嫌いで批判をよくしていた。夫を早くに亡くし、子供を一人で育てた人なのだが。悪口は自己紹介だが、田舎者で意識が低い、考え方が間違っているなどなど。姉妹なのだから、どちらも田舎者だし、ブーメランにしかならないことには気づかないようだった。この伯母は姉妹のなかで最も容姿がよく、華やかな人だ。モテてリア充だったことは私も聞き及んでいる。母はひがんでいたのだろう。姉妹のいない私には、姉妹間の競争はわからなかった。別の家庭を持つようになっても続くのか。比較するネタには困らないだろうけれど。
母親には、自分自身の好きなことに打ち込む、ということがどんなことなのかわからないのだと思う。姉妹との比較がおそらく行動の原動力となっていて、自分自身の欲求を深く考えたこともないのだろう。体裁や世間体などの、他者から見て良しとされる、が行動や考えの選択基準となっていて、こんなにちゃんとしてるのに評価されていない、と常に欲求不満だったのだと思う。今にして思えばだが。
私は幼い頃母の味方だった。母が自分のいない間に死んでしまったらどうしようと、習い事に行くのが辛かった。あの強烈な不安感を覚えている。あの頃、母親が苦しんでいるのは自分のせいで、なんとかしなくてはならないと必死になっていて、母の要求を叶えようとしていた。
騙されていたことに気付いたのはずっと後だった。いや騙されていることに気づかないようにしていたのだろう。母親に騙されて利用される娘だなんて、自覚したくなかった。
母親が、自分は被害者だということにして責任逃れをしつづけるのは構わない。でも私に責任転嫁することは許さない。子供に責任負わせて逃げられることではないのだ。そもそも何から逃げようとしているのだろう。世間は母親のことなど気にかけていない。母親の人生に関心を持ち、責任の追求などという労力をはらったのは私くらいのものだ。
私は母親を愛していた。でも、悪い女にひっかかって人生を随分辛いものにしてしまったと思う。これが赤の他人なら、まだよかったと思う。もうそんなのにひっかからんぞと次を選ぶことも出来ただろう。しかしそんな女が私の母親なのだ。次の母親を探すという選択肢はない。どんなに悪い、嫌な女でも、子供を産んでしまえば、自分から逃げることのできない人間を手に入れられる。好きなだけ虐めても、躾で誤魔化せる。威張り、自分を立派だと言わせることが出来る。無限の権力を持って、誰かの上に君臨して、現実では惨めな自分をごまかしていたのだろう。
2014年8月28日木曜日
母の前半生
母親の幼い頃の写真をみたことがある。母の兄が出征するときに撮られたもの。祖父母と六人姉妹が写っている。母は四歳位、二十歳前後の若い伯母から末の妹の母までがいて、なかなか良い写真だった。モノクロだし荒いけれど、ワンピース姿の伯母は特に綺麗だった。この集団のなかでは、母はあまり関心をもたれなかったかもしれない。
母の生まれた家は自作農家で、貧しいわけではなかったと思う。伯父は無事に帰ってくることができ、戦後の食糧難も全く感じなかったそうだ。何種類か果樹も育て、現金収入も米収穫期以外にあったので、馬を飼ったり、豚を飼ってみたり、いろいろ作物を試してみたり、積極的な農家だったと思う。
私が幼い頃行った祖父母の家で、伯母たちの着物が薄暗い部屋に拡げられると、そこだけ明るく、古びた箪笥から色が流れ出るようだった。帯の鈍い光がぼんやりとうねっていた。母と伯母たちが着付けをする様は、なんとも綺麗だった。私にとってはワクワクする驚異の場所だったのだ。
同じものでも人によって感じ方が違う。私の目に美しく映ったものは、母にとって、古臭く、田舎臭いものだったのかもしれない。姉妹のなかで最も美しいわけでもなく、最も賢いわけでもない母には鬱屈したものがあったのだろうか。母の嫌いな美しい伯母が語るその家と、母が語る家とはまるで違う。美しい伯母によれば、川面に緑が映るなかを渡し舟で下って行く輝きに満ちた場所、母から見れば、粗野で無作法で下品な人たちばかりの嫌な場所。
母のすぐ上の姉によれば、情緒面で不安定な兄嫁が来た後が辛かったそうだ。小姑達を悩ませた強烈なその人は、私にとっては、日に焼けて深くひび割れた手を持つ人だった。私が会ったのはずっと後になってからで、子供四人産んだ後でも伯父の嫁になれて嬉しいと思っているらしい人だった。過去に、メンヘラ彼女が疑心暗鬼になって、変装して彼をストーカー…のようなことをしたらしいのだが、関係者があまり語らないので、詳細不明。
おそらく母は、女性が可能な社会階層の移動は結婚によるものだ、姉妹のなかで一番いいところに嫁に行こう、と思ったのではないだろうか。父方の祖父が、お見合いのときに「お金の苦労はさせない」と言ったから結婚したのに…と母がボヤいたときには心底驚いた。結婚相手は父なのに、なんで祖父の言ったことが決め手になるのか解らなかった。お金は祖父が使うので、マイナスがあった。資産が目当てだったくせにそうじゃない振りをして資産状況も確認せず、怠慢としか言いようがない。いいところの奥様ではなく、お店に行ったらつけを払ってくれと言われる奥様になってしまった。
そこで自分の浅ましさを反省していたら、人生違っていただろうに。母には自業自得だという自省はなかった。ひたすら祖父が悪いと責任転嫁し続けた。自分は被害者だというところから一歩も動かなかった。因果応報は自分以外に起こることなのだ。自分は純粋な被害者なのだ、と。
美しさでも賢さでもお金でも一番になれず、権力が手に入れられなかった母は、被害者であることで手に入れられる権力に固執した。 責任の全てを相手に負わせてバッシングすることは、全てを失った人たちに許された唯一の逆転の行為。自分で努力し自分の力で欲しいものを手に入れることは、したくなかったのだろう。万策尽きた気分だったろう。おそらく周りが差し出したものを上品に受け取って、誰かに謙遜して見せるのが望みだったのだろう。
その後、私の学歴によって、姉妹たち以上のものをようやく手に入れた。そして私を貶めて謙遜して見せるのがたいそうお気に召していたらしい。でもそれも一番美しい伯母の孫たちが、それ以上の学歴を手に入れるまでのことだった。
母親の強欲さは私の想像の及ばないものだった。私はもう義務は果たしたつもりだったのに、全く満足せず、私への不満を募らせ、被害者ぶる母が理解できなかった。疲れ切って倒れた馬を、全力で執拗に鞭打つ母は、人間ではなかった。
ニーチェがみたら、私をかばって泣いてくれただろうか?きっとそうしてくれたと思いたい。発狂はしない程度で。
母の生まれた家は自作農家で、貧しいわけではなかったと思う。伯父は無事に帰ってくることができ、戦後の食糧難も全く感じなかったそうだ。何種類か果樹も育て、現金収入も米収穫期以外にあったので、馬を飼ったり、豚を飼ってみたり、いろいろ作物を試してみたり、積極的な農家だったと思う。
私が幼い頃行った祖父母の家で、伯母たちの着物が薄暗い部屋に拡げられると、そこだけ明るく、古びた箪笥から色が流れ出るようだった。帯の鈍い光がぼんやりとうねっていた。母と伯母たちが着付けをする様は、なんとも綺麗だった。私にとってはワクワクする驚異の場所だったのだ。
同じものでも人によって感じ方が違う。私の目に美しく映ったものは、母にとって、古臭く、田舎臭いものだったのかもしれない。姉妹のなかで最も美しいわけでもなく、最も賢いわけでもない母には鬱屈したものがあったのだろうか。母の嫌いな美しい伯母が語るその家と、母が語る家とはまるで違う。美しい伯母によれば、川面に緑が映るなかを渡し舟で下って行く輝きに満ちた場所、母から見れば、粗野で無作法で下品な人たちばかりの嫌な場所。
母のすぐ上の姉によれば、情緒面で不安定な兄嫁が来た後が辛かったそうだ。小姑達を悩ませた強烈なその人は、私にとっては、日に焼けて深くひび割れた手を持つ人だった。私が会ったのはずっと後になってからで、子供四人産んだ後でも伯父の嫁になれて嬉しいと思っているらしい人だった。過去に、メンヘラ彼女が疑心暗鬼になって、変装して彼をストーカー…のようなことをしたらしいのだが、関係者があまり語らないので、詳細不明。
おそらく母は、女性が可能な社会階層の移動は結婚によるものだ、姉妹のなかで一番いいところに嫁に行こう、と思ったのではないだろうか。父方の祖父が、お見合いのときに「お金の苦労はさせない」と言ったから結婚したのに…と母がボヤいたときには心底驚いた。結婚相手は父なのに、なんで祖父の言ったことが決め手になるのか解らなかった。お金は祖父が使うので、マイナスがあった。資産が目当てだったくせにそうじゃない振りをして資産状況も確認せず、怠慢としか言いようがない。いいところの奥様ではなく、お店に行ったらつけを払ってくれと言われる奥様になってしまった。
そこで自分の浅ましさを反省していたら、人生違っていただろうに。母には自業自得だという自省はなかった。ひたすら祖父が悪いと責任転嫁し続けた。自分は被害者だというところから一歩も動かなかった。因果応報は自分以外に起こることなのだ。自分は純粋な被害者なのだ、と。
美しさでも賢さでもお金でも一番になれず、権力が手に入れられなかった母は、被害者であることで手に入れられる権力に固執した。 責任の全てを相手に負わせてバッシングすることは、全てを失った人たちに許された唯一の逆転の行為。自分で努力し自分の力で欲しいものを手に入れることは、したくなかったのだろう。万策尽きた気分だったろう。おそらく周りが差し出したものを上品に受け取って、誰かに謙遜して見せるのが望みだったのだろう。
その後、私の学歴によって、姉妹たち以上のものをようやく手に入れた。そして私を貶めて謙遜して見せるのがたいそうお気に召していたらしい。でもそれも一番美しい伯母の孫たちが、それ以上の学歴を手に入れるまでのことだった。
母親の強欲さは私の想像の及ばないものだった。私はもう義務は果たしたつもりだったのに、全く満足せず、私への不満を募らせ、被害者ぶる母が理解できなかった。疲れ切って倒れた馬を、全力で執拗に鞭打つ母は、人間ではなかった。
ニーチェがみたら、私をかばって泣いてくれただろうか?きっとそうしてくれたと思いたい。発狂はしない程度で。
休憩
休みたいとブログに書いた後、睡眠時間が伸びた。目覚めると酷く憂うつで、どうしたものかと思いつつも、食事を用意し、片付けと掃除し、風呂はサボったが不調のピークは過ぎたような気がする。毎朝鏡の前で、西尾和美著、今日一日のアファメーション当日分を読むのだが、あまりの嫌さにそのあと泣くという思い返すとオカシイことをしていた。この本が出版されたとき、大型書店で手にとって、周りに大勢人がいるのに、怒りのあまり破きたい衝動に駆られてしまい、あわてて平積みに戻し逃げ帰った。当社比ではだいぶ進歩したのだ。努力したことを認めようと思う。だから休憩してもいい。
休憩することは悪いことでもなければ怠けていることでもない。
考え方や感じ方、行動を改めようとするとき、決まって母が私にしたことが思い出される。何かをやり遂げて、満足して休んでいるとそれを見つけて、怠けている!とか、ちょっと出来るからっていい気になってる!と私の話は一切聞かずに罵倒してきた。ずっとそうされてきて、休憩ができなくなっていたのだと思う。逃れることのできない罵倒から逃れたかった。逃れることなどできないのに、無駄な努力をしていた。休憩していると罵倒されるから、休憩ができない人間になってしまっていた。休むと罪悪感や、その分償わなくてはならないという不安や恐怖が増加する。むしろ休まない方が楽だったが、何処かで休まなくてはならないのだ。自分の部屋を自分が休憩できる、回復できる場所にすることが私にとってはとても難しい。気がつくと体が硬くなって、緊張している。部屋に一人で居るときでさえ。
私に原因があって罵倒されていたのではない。母が誰かを罵倒したかったから私にその役割があてがわれたのだ。私はダメな人間でもゴミクズでもなかったのだ。
本当のことや現実は、子供の私には受け入れがたかったろうと思う。今の私でも耐える限界で、消耗する。親にゴミクズ扱いされていても、他人に受け入れられ、社会で人と生きていくことは諦めず努力すれば可能だ、大人になることはできるのだ、と幼かった私に言ってあげたい。自信が持てず、不安でどうしようもない私には安心できる人も場所もなかった。安心できる人や場所を見つけても、母からその人や場所の悪口を聞かされるのが嫌で自分から諦めた。弱い人間だと思う。そしてさらに自信を失う悪循環からどうやって抜け出したらいいのか解らなかった。ただただ逃げることしか考えられなかった。
許すことが必要だと繰り返し聞いたり読んだりするが、私は母親を許せない。どうして許せるのかも解らないし、解らなくても何ら痛痒を感じない。母が生きている限り、許したらそれを言質に要求してくる。母の奴隷になることを要求してくる。許すとはそういう意味なのか?違う。そのような許しモドキを母に与えることはできない。私にとってそれは許しではない。同じ言葉を違う意味で使っているのだ。どういう意味で言葉が使われているか知ろうともせず、他人が、みんなが親を許せと言っているんだから親の都合のいい意味で許すよう強要する親が私の親だ。
親を許す努力より、休憩する方がずっと私のためになる。親を許そうと努力する暇があったら休憩しようと思う。下手な考えは休むのと似ていない。休むことの方が比べ物にならないくらい建設的なことだと思う。
休憩することは悪いことでもなければ怠けていることでもない。
考え方や感じ方、行動を改めようとするとき、決まって母が私にしたことが思い出される。何かをやり遂げて、満足して休んでいるとそれを見つけて、怠けている!とか、ちょっと出来るからっていい気になってる!と私の話は一切聞かずに罵倒してきた。ずっとそうされてきて、休憩ができなくなっていたのだと思う。逃れることのできない罵倒から逃れたかった。逃れることなどできないのに、無駄な努力をしていた。休憩していると罵倒されるから、休憩ができない人間になってしまっていた。休むと罪悪感や、その分償わなくてはならないという不安や恐怖が増加する。むしろ休まない方が楽だったが、何処かで休まなくてはならないのだ。自分の部屋を自分が休憩できる、回復できる場所にすることが私にとってはとても難しい。気がつくと体が硬くなって、緊張している。部屋に一人で居るときでさえ。
私に原因があって罵倒されていたのではない。母が誰かを罵倒したかったから私にその役割があてがわれたのだ。私はダメな人間でもゴミクズでもなかったのだ。
本当のことや現実は、子供の私には受け入れがたかったろうと思う。今の私でも耐える限界で、消耗する。親にゴミクズ扱いされていても、他人に受け入れられ、社会で人と生きていくことは諦めず努力すれば可能だ、大人になることはできるのだ、と幼かった私に言ってあげたい。自信が持てず、不安でどうしようもない私には安心できる人も場所もなかった。安心できる人や場所を見つけても、母からその人や場所の悪口を聞かされるのが嫌で自分から諦めた。弱い人間だと思う。そしてさらに自信を失う悪循環からどうやって抜け出したらいいのか解らなかった。ただただ逃げることしか考えられなかった。
許すことが必要だと繰り返し聞いたり読んだりするが、私は母親を許せない。どうして許せるのかも解らないし、解らなくても何ら痛痒を感じない。母が生きている限り、許したらそれを言質に要求してくる。母の奴隷になることを要求してくる。許すとはそういう意味なのか?違う。そのような許しモドキを母に与えることはできない。私にとってそれは許しではない。同じ言葉を違う意味で使っているのだ。どういう意味で言葉が使われているか知ろうともせず、他人が、みんなが親を許せと言っているんだから親の都合のいい意味で許すよう強要する親が私の親だ。
親を許す努力より、休憩する方がずっと私のためになる。親を許そうと努力する暇があったら休憩しようと思う。下手な考えは休むのと似ていない。休むことの方が比べ物にならないくらい建設的なことだと思う。
ある家族の肖像
家族は、構成する人間が生まれたり死んだりすることによって少しづつ変わって行く。虐待的な人間が死んで、これで終わりになるかと思ったら、その後釜に虐げられていると思っていた人間が座る。自分を虐げていた人間の劣化コピーになってしまった。当人にその自覚はないけれど。
果てし無く続くかと思われた家族の不健全なあり方も、おそらく母の死をもっておわる。母の後釜に座りたがる人間は見当たらない。家族の問題は三代続くと思う。おそらくアルコール依存症であった私の曽祖父は、かなりの問題行動を起こしていた。その息子である祖父、その息子の嫁である母、と続いてきたように思う。
私が生まれたのは、問題が破壊的になった時期を過ぎてからだった。私の祖父は怒りに任せて、自分の家を破壊してしまっていた。そしてそれを悔やんでいた。罪の意識というようなまともなものではなく、自分に権力を与えていたものを乱暴に扱って壊して後悔する、子供がお気に入りのおもちゃを壊して遊べなくなって悲しい、というレベルの悲しみ方だったが。
長い時間をかけて、一つの家族が消えていった。もちろんそれはすでに想像上の家族であり、ちりぢりになった血縁者たちは、それぞれの家庭を築いているのだから、幾つかの家族に変化しただけなのだ。しかしその想像上の家に私の祖父と、嫁にきた母は、捉えられていた。何かに取り憑かれて、ありもしないものをあることにしていた。
存在していないとしか私には思えないものが、祖父や母のなかに存在し続けた。それから得られる威光のような幻が見えていたのは祖父と母だけだった。幻と共に母があの世へと旅立ってくれるよう、誰かの心に幻を植え付けていかないように、私は母より先に死ぬ訳にはいかないのだ。
果てし無く続くかと思われた家族の不健全なあり方も、おそらく母の死をもっておわる。母の後釜に座りたがる人間は見当たらない。家族の問題は三代続くと思う。おそらくアルコール依存症であった私の曽祖父は、かなりの問題行動を起こしていた。その息子である祖父、その息子の嫁である母、と続いてきたように思う。
私が生まれたのは、問題が破壊的になった時期を過ぎてからだった。私の祖父は怒りに任せて、自分の家を破壊してしまっていた。そしてそれを悔やんでいた。罪の意識というようなまともなものではなく、自分に権力を与えていたものを乱暴に扱って壊して後悔する、子供がお気に入りのおもちゃを壊して遊べなくなって悲しい、というレベルの悲しみ方だったが。
長い時間をかけて、一つの家族が消えていった。もちろんそれはすでに想像上の家族であり、ちりぢりになった血縁者たちは、それぞれの家庭を築いているのだから、幾つかの家族に変化しただけなのだ。しかしその想像上の家に私の祖父と、嫁にきた母は、捉えられていた。何かに取り憑かれて、ありもしないものをあることにしていた。
存在していないとしか私には思えないものが、祖父や母のなかに存在し続けた。それから得られる威光のような幻が見えていたのは祖父と母だけだった。幻と共に母があの世へと旅立ってくれるよう、誰かの心に幻を植え付けていかないように、私は母より先に死ぬ訳にはいかないのだ。
2014年8月27日水曜日
ブログの公開
いくつか文章を投稿してみて、公開にしてみようかとふと思った。このブログに母親が死ぬまでを期限に、自分の経験したことや、考えを書いてみようと思ったが、非公開のままでも、苦痛が軽くなる。荒らしの危険を負ってまで公開することもないか?と消極性が頭をもたげていた。コメントをもらっても返す自信はない。コメントは、返し無しという条件がのめる方のみ、アイメッセージにて書き込んでください。ブログ主である私の独断で削除しますし、削除理由の説明もいたしません。
このブログに書いたことを、自分のなかから流し去ることが出来たらと思います。母親が亡くなったらブログごと削除して、自分の足枷となっている生育家庭での記憶から少しでも自由になりたいと思っています。
このブログに書いたことを、自分のなかから流し去ることが出来たらと思います。母親が亡くなったらブログごと削除して、自分の足枷となっている生育家庭での記憶から少しでも自由になりたいと思っています。
ダブルバインド/二重拘束
互いに矛盾する二つの命令を与え、心理的板挟み状態を作ること。
母娘問題でよく出てくるのは、勉強しろ、男の子なぞに現を抜かすなと言っていた母親が努力の果てに得た仕事をしている娘に、結婚は?男の一人くらい連れて来れないの?と無茶な要求を突きつけたりすること
私と母の関係上での用法は
母親は優秀であり、その娘は当然母親のおかげで大学に行ったし優秀である。母親以外の人間に対しては優越してなくてはいけない。しかし大卒であっても娘は母親以下であり、母親にバカにされるのは当然であり、母親を大卒以上の人間であると言い、崇めなくてはならない。読むべき本は、まず娘が読んで、最も良い本を母親に教えるべきで、母親の労力が最小になるようにすべきなのだ。娘は母親を一段高いところにあげてやり、そののち低いところへおりて、跪いて母親を称えるべきなのだ。他人に優越しなくてはならないが、母より劣っていなくてはならない。
母親は実際には高卒で、本は読まない、勉強をしたくない人間である。もちろんその結果物知らずであり、やることの大半は、調べもせず思い込みで実行するので、間違いである。母より劣っているという条件を満たしながら他人より優れることは不可能である。がしかしこの矛盾した要求を娘に対しては当然のように突きつけ、娘をダブルバインド状態に突き落としていい気分になる。サディスト。思いやりのなさはサイコパス的でもあると思う。
母娘問題でよく出てくるのは、勉強しろ、男の子なぞに現を抜かすなと言っていた母親が努力の果てに得た仕事をしている娘に、結婚は?男の一人くらい連れて来れないの?と無茶な要求を突きつけたりすること
私と母の関係上での用法は
母親は優秀であり、その娘は当然母親のおかげで大学に行ったし優秀である。母親以外の人間に対しては優越してなくてはいけない。しかし大卒であっても娘は母親以下であり、母親にバカにされるのは当然であり、母親を大卒以上の人間であると言い、崇めなくてはならない。読むべき本は、まず娘が読んで、最も良い本を母親に教えるべきで、母親の労力が最小になるようにすべきなのだ。娘は母親を一段高いところにあげてやり、そののち低いところへおりて、跪いて母親を称えるべきなのだ。他人に優越しなくてはならないが、母より劣っていなくてはならない。
母親は実際には高卒で、本は読まない、勉強をしたくない人間である。もちろんその結果物知らずであり、やることの大半は、調べもせず思い込みで実行するので、間違いである。母より劣っているという条件を満たしながら他人より優れることは不可能である。がしかしこの矛盾した要求を娘に対しては当然のように突きつけ、娘をダブルバインド状態に突き落としていい気分になる。サディスト。思いやりのなさはサイコパス的でもあると思う。
2014年8月26日火曜日
シズコさん,佐野洋子
母であるシズコさんについて娘である洋子さんが書いたエッセイ。
シズコさんは24歳で洋子さんを産み、93歳で亡くなる。洋子さんはシズコさんとは決して上手く行っていなかったが、母親を愛していないことに強い罪悪感を感じている。母の望む施設への入所のため有り金はたき、その上で
私は母を金で捨てたとはっきり認識した。
愛の代わりを金で払ったのだ。
母はひざが少し悪かったが、健康だった。
と書いている。自分が同居で介護をするのが当然のことなのに、と思っているのだ。洋子さんはシズコさんに触ることができない。幼い頃にシズコさんに、つなごうとした手を振り払われたことがあるからだ。シズコさんに撫でられたり、抱きしめられたりした記憶もなく、父や兄弟の感触を記憶している。もちろんそれでは介護は無理。しかしそんな洋子さんが、シズコさんが呆けてから触れるようになった。母と同じに布団に入って、白い髪の頭を撫で、ごめんなさい、と号泣するのだ。呆けたシズコさんは
私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ
と言ったのだ。なぜそれがシズコさんに言えたのか、とても不思議に思ったが、洋子さんの50年以上に渡る自責の念は消えたのだ。それだけで。
洋子さんという娘のシズコさんという母親に対する求愛、男女ではないから求愛はおかしいのだが、文字通りの意味で求愛と思う、はめでたく叶い、楽しみで嬉しい施設通いをするようになるのだ。結婚もし、子供もいる洋子さんにとって、シズコさんとごめんなさいありがとうを言い合ったことが人生の一大事であったとは、人生の最初の対人関係の強力さに、恐れを感じてしまう。洋子さんはまた
どのような介護をしたとしても、母が死んだ時、私はある達成感と、思い残すことはないという気のすませかたが出来たのではないかとも思う。
とも書いている。これほどのことを母との関係に込めてしまうとは、娘とは一体なんなのだろうか、とほとんど畏れとも言うべきものを感じる。母親を愛していない娘なのだと洋子さんは繰り返し書いているが、母親の愛を乞うているひとは、母親を愛しているひとなのではないだろうか。
洋子さんには妹もいるが、おそらく違う母娘関係があったと思う。しかし、洋子さんはそれに充分な注意を払えないような集中度の高いシズコさんとの終わりの時期を過ごしていたようだ。このエッセイの中ではそれから死までの記憶があまりない、と書かれている。それほど喪失感が大きかったのか。姉妹のいない私には、姉妹間で起こることについて無知だが、それがかなり重要なことになりうるのは6人姉妹の末の母を見ているとわかる。姉妹間の優劣が人生における選択に影響を及ぼしたように思えてならないのだ。
誰かの人生が自分と同じようであることも、参考になることもきっとあまりないと私は思っているので、このエッセイとは違って、私が許されることはないと思っている。現在介護の必要がなく、呆けてもいない母は、母の人生を生きている。そこには私の存在する余地はない。私の関わる過去などなかったことにしているのだから。
シズコさんは24歳で洋子さんを産み、93歳で亡くなる。洋子さんはシズコさんとは決して上手く行っていなかったが、母親を愛していないことに強い罪悪感を感じている。母の望む施設への入所のため有り金はたき、その上で
私は母を金で捨てたとはっきり認識した。
愛の代わりを金で払ったのだ。
母はひざが少し悪かったが、健康だった。
と書いている。自分が同居で介護をするのが当然のことなのに、と思っているのだ。洋子さんはシズコさんに触ることができない。幼い頃にシズコさんに、つなごうとした手を振り払われたことがあるからだ。シズコさんに撫でられたり、抱きしめられたりした記憶もなく、父や兄弟の感触を記憶している。もちろんそれでは介護は無理。しかしそんな洋子さんが、シズコさんが呆けてから触れるようになった。母と同じに布団に入って、白い髪の頭を撫で、ごめんなさい、と号泣するのだ。呆けたシズコさんは
私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ
と言ったのだ。なぜそれがシズコさんに言えたのか、とても不思議に思ったが、洋子さんの50年以上に渡る自責の念は消えたのだ。それだけで。
洋子さんという娘のシズコさんという母親に対する求愛、男女ではないから求愛はおかしいのだが、文字通りの意味で求愛と思う、はめでたく叶い、楽しみで嬉しい施設通いをするようになるのだ。結婚もし、子供もいる洋子さんにとって、シズコさんとごめんなさいありがとうを言い合ったことが人生の一大事であったとは、人生の最初の対人関係の強力さに、恐れを感じてしまう。洋子さんはまた
どのような介護をしたとしても、母が死んだ時、私はある達成感と、思い残すことはないという気のすませかたが出来たのではないかとも思う。
とも書いている。これほどのことを母との関係に込めてしまうとは、娘とは一体なんなのだろうか、とほとんど畏れとも言うべきものを感じる。母親を愛していない娘なのだと洋子さんは繰り返し書いているが、母親の愛を乞うているひとは、母親を愛しているひとなのではないだろうか。
洋子さんには妹もいるが、おそらく違う母娘関係があったと思う。しかし、洋子さんはそれに充分な注意を払えないような集中度の高いシズコさんとの終わりの時期を過ごしていたようだ。このエッセイの中ではそれから死までの記憶があまりない、と書かれている。それほど喪失感が大きかったのか。姉妹のいない私には、姉妹間で起こることについて無知だが、それがかなり重要なことになりうるのは6人姉妹の末の母を見ているとわかる。姉妹間の優劣が人生における選択に影響を及ぼしたように思えてならないのだ。
誰かの人生が自分と同じようであることも、参考になることもきっとあまりないと私は思っているので、このエッセイとは違って、私が許されることはないと思っている。現在介護の必要がなく、呆けてもいない母は、母の人生を生きている。そこには私の存在する余地はない。私の関わる過去などなかったことにしているのだから。
はじめに
9月ブログ開設を目標に、8月末にこれを試験的に書いている。
母の死が具体的になりつつある現在、どうにもならなかった私たちの母娘関係について書いてみたくなった。それぞれの母娘で、違った道のりを辿ると思うが、私たちはどうも良い方向に転がりそうも無い。一例として誰かに読んでいただきたいとは思うが、助言はしないでほしい。もう今更どうにもできない母娘だからだ。
関係改善のために注いだ努力は空費され、私には、母の人生にとって自分の存在は無意味だったのだという毒が残った。
私は母より先に死にたく無い。親孝行のためでなく、生き残った方が勝ちなのだと思っているからだ。
映画プロメテウスで、デビッドが言ったことにニヤリとした。
Doesn't everyone want their parents dead?
そうだ、私は母にもう死んでほしいと思っているのだ。
母の死が具体的になりつつある現在、どうにもならなかった私たちの母娘関係について書いてみたくなった。それぞれの母娘で、違った道のりを辿ると思うが、私たちはどうも良い方向に転がりそうも無い。一例として誰かに読んでいただきたいとは思うが、助言はしないでほしい。もう今更どうにもできない母娘だからだ。
関係改善のために注いだ努力は空費され、私には、母の人生にとって自分の存在は無意味だったのだという毒が残った。
私は母より先に死にたく無い。親孝行のためでなく、生き残った方が勝ちなのだと思っているからだ。
映画プロメテウスで、デビッドが言ったことにニヤリとした。
Doesn't everyone want their parents dead?
そうだ、私は母にもう死んでほしいと思っているのだ。
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